40 呪いの正体
文字数 2,457文字
「面白くない」
憮然と呟き、書簡をウドの胸に押し当てた。「そんな紙切れ今すぐ焼き捨ててやりたい」
「それはそれで愉快なことになりそうですが」
書簡を受け取ったウドは苦笑した。「しかし、あんな小さな子供にあなた様が翻弄されている光景がこれほどに滑稽とは思いませんでしたなあ……」
「そうやって、また私を笑う」
フォルクハルトは不甲斐ない気持ちに首を振り、何気なく頭に手を置いたところで「そうか!」と、呻 いた。「部屋か。彼らにも部屋がいるのか」
「もういっそ地下牢で良いのでは?」と、澄まし顔でウドは応えた。「どうせ人質なわけですし」
「いや、それは流石 に……」フォルクハルトは苦笑した。「ウドの人格を疑う」
それを聞いたウドは何やら満足そうな顔をした。「部屋の案内は私がしておきましょうか?」
「いや、それも流石に……」フォルクハルトは苦渋の表情を浮かべた。「私がやらねば不味 かろうな?」
客 と主人 という関係にある時、主人が自ら率先して客をもてなすのが昔からのガリアの流儀だ。もしも主人側が応対できない事情がある場合には、誰それに代理をさせる旨を最初に客へ伝えておくことも作法の一つだった。ダニエルやタイスに対しては、したがってフォルクハルト自らが行動せねば礼儀知らずの辱 めを受けることになってしまう。
せめて部屋を出る前にウドに代理させると伝えておけば……。
しても詮無いことだが、後悔した。フォルクハルトは急ぎ部屋を用意し、ダニエルを迎えに部屋へと戻っていった。
4
フォルクハルトを完膚なきまでにやりこめたはずのダニエルだったが、こちらはこちらで自分の行動のすべてに対して後悔の思いを滲ませていた。
帰るべきとわかっていたはずなのだ。ロルトワルヌ砦に戻るのが合理的な選択だと。フォルクハルトに言われるまでもない。去るべきだった。書簡を国王に取り次ぐ確約をあの王太子から得た以上、今日としてはそれで充分、いや、余りあるほどの成果だった。
あの瞬間、あの場を確かにダニエルは掌握した。流れは完全に自分のものだった。
仮にあの王太子がこの先で不履行を起こそうとも、あの場で交わした「約束」をもってすればいかようにでもダニエルの優位は維持できた。その自信がダニエルにはある。だからロルトワルヌに戻ったところで何 ら問題はなかったはずなのだ。
いや、むしろ戻らねば危険だ。この命が危うい。
それに、ダニエルがここに留まっているうちにあの〈死神 〉がロルトワルヌに侵攻しないとも限らない。未 だ戦支度をしている様子のないこの砦だが、そんなものがただの偽装にすぎない可能性は捨てきれなかった。一戦交える気構えならロルトワルヌにもある。しかしあの砦には奇襲への備えがどこまであるかが疑わしい。この目の届かぬところ、この手の及ばぬところで何かが起きるのだけは、困る。
「それなのに……」
ダニエルは呟いた。それなのに、何を血迷った?
言葉に滲 む不甲斐なさが心を刺し貫いた。
何が、人質だ。確かに私には質の価値がある。しかしいくらなんでもありすぎる。
ダニエルをこの城に繋 ぎ留めるかどうかの手札 はフォルクハルトの手に最初からあり、しかしそれを彼が認識していたかどうかさえ怪しいものだった。なぜ自ら率先して引きに行き、わざわざ相手にその存在を教えてやる必要があったのだ。ダニエルは自分の行動が信じられなかった。しかも相手は、その札を認識してもなお要 らぬと捨てたのだ。それにも関わらず強引に捨て札を拾い無理にも押しつけたのは他 ならぬ自分ではないか。
舞い上がっていたのか?
ダニエルは自分の両手を見つめ、すぐにその手で顔を覆った。舞い上がっていたとしか思えない。面と向かって顔を見て、遠目で見た以上に整っていたその容姿に驚いてしまったことは否定のしようがない。
あの王太子が、ダニエルの思い描いてきた東ガリア人像とはまるで違っていたのも誤算だった。東ガリア人というのは直情的で駆け引きを苦手とし、感情を乱されればまともな判断力を失うような、こちらが情に訴えて理を説けば簡単に絆 されるような、そういう単純な人間だと思っていた。
見 縊 っていたのかもしれない。
ダニエルは溜息をついた。
フォルクハルトの考えていることがまるでわからなかった。
最初に出した手札を「普通」と破り捨てたまでは、まだよかった。しかし「お断りしたら?」とは、あれはどういう意図だったのか。やり口がまるで西ゴール風だ。予想外だった。そのため意図的にこちらから駆け引きを仕掛けたはずが、気付くと相手の空気に引きに寄せられ、ダニエルは持っていた札の全部を曝 け出していた。
タイスのあの顔は、怒っていた。また自分の命を軽く扱ったから。
後 でこっぴどく叱られることになるだろうが、叱られるくらいならどうということもない。問題はこの先の展開がまるで見えなくなったということにある。
どちらにしても私の命はあの男に握られた。もう、どうにもならない。
二つ目の溜息をつきながらダニエルは考えた。それにしても不可解だと。
どうしてフォルクハルトは手札を取らなかったのか。
なぜ、帰れなどと言ったのか。
その言葉に乗ってダニエルが帰る素振りを見せたら、あの男は豹変して態度を変えたのだろうか。いや、そんなことはあるまい。興味がないと言いきり、あそこまで頑なにダニエルを拒絶したのだ。どう見ても本気で自分をこの城から追い出したい様子だった。毛嫌いされているとしか思えない。
つれない。
あまりにつれないとダニエルの心は悲しみに震えた。このように冷淡な扱いを受けることにダニエルは慣れていなかった。なにしろこの体が呪われてからというもの……。
思うと不思議な気持ちがダニエルを包んだ。
そうだ。おかしいではないか。支配し服従させたいという欲求に相手が支配されるのがこの呪いの本質だ。ダニエルを見た者は必ずそうなった。力を持つ者ほど好奇の視線を伸ばし、いつだって我慢しきれず手を伸ばす。そして最後には破滅する。
憮然と呟き、書簡をウドの胸に押し当てた。「そんな紙切れ今すぐ焼き捨ててやりたい」
「それはそれで愉快なことになりそうですが」
書簡を受け取ったウドは苦笑した。「しかし、あんな小さな子供にあなた様が翻弄されている光景がこれほどに滑稽とは思いませんでしたなあ……」
「そうやって、また私を笑う」
フォルクハルトは不甲斐ない気持ちに首を振り、何気なく頭に手を置いたところで「そうか!」と、
「もういっそ地下牢で良いのでは?」と、澄まし顔でウドは応えた。「どうせ人質なわけですし」
「いや、それは
それを聞いたウドは何やら満足そうな顔をした。「部屋の案内は私がしておきましょうか?」
「いや、それも流石に……」フォルクハルトは苦渋の表情を浮かべた。「私がやらねば
せめて部屋を出る前にウドに代理させると伝えておけば……。
しても詮無いことだが、後悔した。フォルクハルトは急ぎ部屋を用意し、ダニエルを迎えに部屋へと戻っていった。
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フォルクハルトを完膚なきまでにやりこめたはずのダニエルだったが、こちらはこちらで自分の行動のすべてに対して後悔の思いを滲ませていた。
帰るべきとわかっていたはずなのだ。ロルトワルヌ砦に戻るのが合理的な選択だと。フォルクハルトに言われるまでもない。去るべきだった。書簡を国王に取り次ぐ確約をあの王太子から得た以上、今日としてはそれで充分、いや、余りあるほどの成果だった。
あの瞬間、あの場を確かにダニエルは掌握した。流れは完全に自分のものだった。
仮にあの王太子がこの先で不履行を起こそうとも、あの場で交わした「約束」をもってすればいかようにでもダニエルの優位は維持できた。その自信がダニエルにはある。だからロルトワルヌに戻ったところで
いや、むしろ戻らねば危険だ。この命が危うい。
それに、ダニエルがここに留まっているうちにあの〈
「それなのに……」
ダニエルは呟いた。それなのに、何を血迷った?
言葉に
何が、人質だ。確かに私には質の価値がある。しかしいくらなんでもありすぎる。
ダニエルをこの城に
舞い上がっていたのか?
ダニエルは自分の両手を見つめ、すぐにその手で顔を覆った。舞い上がっていたとしか思えない。面と向かって顔を見て、遠目で見た以上に整っていたその容姿に驚いてしまったことは否定のしようがない。
あの王太子が、ダニエルの思い描いてきた東ガリア人像とはまるで違っていたのも誤算だった。東ガリア人というのは直情的で駆け引きを苦手とし、感情を乱されればまともな判断力を失うような、こちらが情に訴えて理を説けば簡単に
ダニエルは溜息をついた。
フォルクハルトの考えていることがまるでわからなかった。
最初に出した手札を「普通」と破り捨てたまでは、まだよかった。しかし「お断りしたら?」とは、あれはどういう意図だったのか。やり口がまるで西ゴール風だ。予想外だった。そのため意図的にこちらから駆け引きを仕掛けたはずが、気付くと相手の空気に引きに寄せられ、ダニエルは持っていた札の全部を
タイスのあの顔は、怒っていた。また自分の命を軽く扱ったから。
どちらにしても私の命はあの男に握られた。もう、どうにもならない。
二つ目の溜息をつきながらダニエルは考えた。それにしても不可解だと。
どうしてフォルクハルトは手札を取らなかったのか。
なぜ、帰れなどと言ったのか。
その言葉に乗ってダニエルが帰る素振りを見せたら、あの男は豹変して態度を変えたのだろうか。いや、そんなことはあるまい。興味がないと言いきり、あそこまで頑なにダニエルを拒絶したのだ。どう見ても本気で自分をこの城から追い出したい様子だった。毛嫌いされているとしか思えない。
つれない。
あまりにつれないとダニエルの心は悲しみに震えた。このように冷淡な扱いを受けることにダニエルは慣れていなかった。なにしろこの体が呪われてからというもの……。
思うと不思議な気持ちがダニエルを包んだ。
そうだ。おかしいではないか。支配し服従させたいという欲求に相手が支配されるのがこの呪いの本質だ。ダニエルを見た者は必ずそうなった。力を持つ者ほど好奇の視線を伸ばし、いつだって我慢しきれず手を伸ばす。そして最後には破滅する。