第57話 決着
文字数 3,759文字
ローゼンバーグのトップオブザワールドがゆっくりと片手を突き出す。
一定の色を持たず次々とその身体の色彩を変えるこの化け物は唸るでもなく吠えるでもなく攻撃を繰り出した。
指先から放たれたものがアイシャを襲う。
タタタタタタタタ。
反射的に彼女は拳のラッシュでガードした。
「ウダダダダダダダダ!」
拳にトゲのようなものが刺さり、消える。
一瞬の痛みすらなくそのことがかえってアイシャを戸惑わせた。
今のはバラ園で戦ったリーゼントの男の能力だ。だというのにトゲによるダメージがない。
妙な違和感があった。
アイシャは身を構えたまま考える。
これは、どういうこと?
そういえばさっきナイフを乱打したとき砕けるでもなく折れるでもなくナイフは消え去った。拳圧で破壊したときには破砕音を鳴らして砕けたのに……。
アイシャは拳を見た。
これまでと同じ黒い光のグローブだ。
手の甲に黒い宝石こそ浮かべているがこれはパワーアップしているときに出てくる徴のようなもの。身体から漂っている黒いオーラにしてもこれが初めてという訳ではない。
今までになかった外見的な変化などどこにもなくここから違いを見出そうとするのは不可能に思えた。
でも、何かがおかしい。
トップオブザワールドが再びトゲを発射する。
タタタタタタタタ。
アイシャは拳を使ってそれらを防ぐ。
「ウダダダダダダダダ!」
あのリーゼントの男の能力と一緒なら対応可能だ。
だが、ぞわりと悪寒が走った。
ステップを踏んで横に飛ぶとアイシャがいた場所に電撃が落ちた。マヒの精霊の力だ。危うく食らうところだったと内心苦笑した。今身体を痺れさせられたら確実に殺られる。ローゼンバーグが慈悲をかけてくれるなどとは思えなかった。
ローゼンバーグが短く嗤う。
「ふむ、それならこれはどうだ」
トップオブザワールドが横に手を振る。数本の稲妻が空間を破って水平に撃ち出された。
アイシャは素早く身をひねり稲妻を避ける。自分でも信じられないほどの身体能力だった。
しかし身体の反応は本能的と呼べるレベルで鋭くなっている。アイシャはこれもダーティワークの副次的な作用だと推した。ローゼンバーグの能力がソウルハンターからソウルイーターへと進化したときダーティワークも進化を遂げている。認めたくはないが実の親娘だからこその血の繋がりの結果だ。
今回もそうした理由によって影響を受けたのだろう。
ダーティワークはまた進化している。
アイシャはグッと拳を握る。
いくぞッ!
彼女は気合いを新たにローゼンバーグとの距離を詰める。自分の攻撃範囲に入った瞬間拳を叩き込んだ。
「ウダァッ!」
ローゼンバーグは避けることなくその身に受け止める。強い衝撃にも似た感覚が拳を通じて伝わった。
「うごぉ?」
予期していなかった、と言わんばかりの表情でローゼンバーグが呻く。片膝をついた彼の目は怒りと驚愕をない混ぜにしたものとなった。それでも僅かに困惑が上回っていたらしく言葉が漏れる。
「ベクトル操作できない……だと? それになぜ透化しない?」
本体を守ろうとするようにトップオブザワールドが手刀を突いてくる。
アイシャはぎりぎりで回避した。サイドステップを踏み鳴らし距離をとる。冷気とナイフの攻撃が追ってくるが髪の毛一本分の差でそれもかわした。
一呼吸する暇もなく雷撃が落ちてくる。
アイシャはバックステップでそれからも逃れると地を蹴って開いていたローゼンバーグとの間合いを縮めた。
スピードを殺さず体当たりともとれる勢いで拳を撃ち込む。
「ウダァッ!」
トップオブザワールドがゆらりと揺れる。その刹那ローゼンバーグたちの姿が消えた。
アイシャは即断して振り向きざまに乱打する。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダ!」
初めの一発に感触があったもののその後に続きがない。アイシャは構えを直してあたりを見回した。
数メートル離れた位置の空間が歪曲し右腕を庇うように押さえるローゼンバーグとぼんやりと立つトップオブザワールドが現出する。忌々しげに見つめてくるローゼンバーグが憎しみを吐き出すように言った。
「お前はまた進化したのか」
「……」
答えずただ睨みつける。
左人差し指でアイシャを指差すとローゼンバーグが怒鳴った。
「私が十二年かけてようやく得たものをお前程度に覆されてたまるかッ!」
アイシャは黙って次を待つ。ローゼンバーグが何をしようと対処できる気がした。沸々と沸いてくる自信はやけに確信めいていて、その正体まではわからぬものの彼女に余裕を与えていた。
ローゼンバーグたちの姿がゆらめき、消失する。
アイシャは打ち込むべき位置に拳を放った。
「ウダァッ!」
「おごぉっ!」
ローゼンバーグの顔面にヒットし、確かな手応えと快感を抱く。アイシャは薄く笑った。まだ理屈は不明だがそんなものはどうでもいい。
ぶちのめす。
それだけだ。
ローゼンバーグが喚く。
「そうか、この力! お前、手に入れたな! 進化してその能力を手に入れたな!」
トップオブザワールドの顔の真ん中が消えていた。正確にはローゼンバーグの殴られた位置と同じ部分がそっくり欠けていると言うべきか。
よく見ると右腕の一部も失っている。
「万物ではなく無の精霊の力を手に入れたなッ!」
なるほど。
アイシャは自分の記憶にあるアボイドノートの知識と照らし合わせ納得した。それにアボイド・アップルは精霊の力を無にする方法を求めていた。それはローゼンバーグの目的とは逆のものだ。
魂の在処には万物の政令だけがいたのではない。
無の政令もいたのだ。
「皮肉なものね」
アイシャは冷ややかに言った。
「あんたが十二年前あたしを生かしておかなければこんなことにならなかったのに。万物の精霊の力なんて求めなければあたしがこの力を得ることもなかったのに」
「黙れ、この小娘がッ!」
ローゼンバーグが激昂する。
トップオブザワールドが左手で手刀を振るってきた。
「無に還るのはお前のほうだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
アイシャはその一撃を楽々と避けるとありったけの力を込めてラッシュをぶちかました。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……ウダァッ!」
拳がローゼンバーグの身体のありとあらゆる武威を殴打する。
倒れることすら許されずローゼンバーグは奇妙なダンスを踊った。彼が殴られる度にトップオブザワールドの身体が削られていく。
アイシャの、いや進化したダーティワークの拳は万物の精霊の力を失わせその存在をも消していった。微塵の慈悲もなく圧倒的な力により万物は無へと還元されていく。
やがてトップオブザワールドは完全にその姿を消失した。
それでも殴るのをやめなかった拳はローゼンバーグの存在すら消していく。
断末魔の叫び声を上げることもできず、ローゼンバーグは無と化した。
殴り終えたアイシャは肩で息をし、虚空を見ながら立ち尽くした。
そこにいたはずのローゼンバーグは消滅し何もない空間がぽつりとその空虚さを主張している。
無意識のうちに彼女は十字を切っていた。
もう神なんて信じていないのに。
アイシャは自嘲しダーティワークを解除すると、いなくなったローゼンバーグに背を向けた。
心地良い潮風がショートカットの黒髪を撫でる。深く深呼吸すると彼女は水平線に目をやった。
「……!」
彼方から煌めく光が溢れてくる。
息を呑むほど美しいその輝きは眩しすぎて思わず目を瞑りたくなる。光が全身を包み込み、芯から闇を払うかのように温かさを感じさせた。昇ってくる太陽の強烈な存在感はアイシャの魂を震えさせる。
彼女は胸元のロザリオに手を伸ばしていた。
長い修道院生活で唱え続けていた祈り文句が頭に浮かぶ。
アイシャは両方の膝をつき、祈りの姿勢をとった。殴るよりも染みついている神への感謝が何の抵抗もなくすっと口から零れていく。
彼女は神の存在を感じた。
もう信じないと決めていた、そう思い込もうとしていたアイシャの心は陽光の神聖さにすっかり溶かされてしまっていた。
*
過ぎゆく時が再び潮を満たしていく。
精霊の力と干潮によってその姿を保っている魂の在処は、現れたときと同じように短時間で水没しようとしていた。
アイシャが気づいたときにはすでに島への道は海に沈んでおり、もの凄い早さで海面が上昇していた。
足首、いや膝まで濡れたアイシャは魂の在処から島への距離を目測する。
しかし、その距離ははっきりとわからなかった。たぶん精霊の力によるものだろう。それでも泳いで渡れそうなものではないと判ずることはできる。
ふっ、とアイシャは笑んだ。
これが運命というものか。
仇討ちのためだけにローゼンバーグと戦った訳ではない。
だが、根底に復讐があったのは否めない。だとしたらその先にあるものは何だろう。何が満たされるのか、何が得られるのか。
まあ、これも運命というのなら仕方ない。
アイシャはうなずき、潮の流れに身を任せた。
エンヤ……。
やっぱりあたしに未来はないみたい。
一定の色を持たず次々とその身体の色彩を変えるこの化け物は唸るでもなく吠えるでもなく攻撃を繰り出した。
指先から放たれたものがアイシャを襲う。
タタタタタタタタ。
反射的に彼女は拳のラッシュでガードした。
「ウダダダダダダダダ!」
拳にトゲのようなものが刺さり、消える。
一瞬の痛みすらなくそのことがかえってアイシャを戸惑わせた。
今のはバラ園で戦ったリーゼントの男の能力だ。だというのにトゲによるダメージがない。
妙な違和感があった。
アイシャは身を構えたまま考える。
これは、どういうこと?
そういえばさっきナイフを乱打したとき砕けるでもなく折れるでもなくナイフは消え去った。拳圧で破壊したときには破砕音を鳴らして砕けたのに……。
アイシャは拳を見た。
これまでと同じ黒い光のグローブだ。
手の甲に黒い宝石こそ浮かべているがこれはパワーアップしているときに出てくる徴のようなもの。身体から漂っている黒いオーラにしてもこれが初めてという訳ではない。
今までになかった外見的な変化などどこにもなくここから違いを見出そうとするのは不可能に思えた。
でも、何かがおかしい。
トップオブザワールドが再びトゲを発射する。
タタタタタタタタ。
アイシャは拳を使ってそれらを防ぐ。
「ウダダダダダダダダ!」
あのリーゼントの男の能力と一緒なら対応可能だ。
だが、ぞわりと悪寒が走った。
ステップを踏んで横に飛ぶとアイシャがいた場所に電撃が落ちた。マヒの精霊の力だ。危うく食らうところだったと内心苦笑した。今身体を痺れさせられたら確実に殺られる。ローゼンバーグが慈悲をかけてくれるなどとは思えなかった。
ローゼンバーグが短く嗤う。
「ふむ、それならこれはどうだ」
トップオブザワールドが横に手を振る。数本の稲妻が空間を破って水平に撃ち出された。
アイシャは素早く身をひねり稲妻を避ける。自分でも信じられないほどの身体能力だった。
しかし身体の反応は本能的と呼べるレベルで鋭くなっている。アイシャはこれもダーティワークの副次的な作用だと推した。ローゼンバーグの能力がソウルハンターからソウルイーターへと進化したときダーティワークも進化を遂げている。認めたくはないが実の親娘だからこその血の繋がりの結果だ。
今回もそうした理由によって影響を受けたのだろう。
ダーティワークはまた進化している。
アイシャはグッと拳を握る。
いくぞッ!
彼女は気合いを新たにローゼンバーグとの距離を詰める。自分の攻撃範囲に入った瞬間拳を叩き込んだ。
「ウダァッ!」
ローゼンバーグは避けることなくその身に受け止める。強い衝撃にも似た感覚が拳を通じて伝わった。
「うごぉ?」
予期していなかった、と言わんばかりの表情でローゼンバーグが呻く。片膝をついた彼の目は怒りと驚愕をない混ぜにしたものとなった。それでも僅かに困惑が上回っていたらしく言葉が漏れる。
「ベクトル操作できない……だと? それになぜ透化しない?」
本体を守ろうとするようにトップオブザワールドが手刀を突いてくる。
アイシャはぎりぎりで回避した。サイドステップを踏み鳴らし距離をとる。冷気とナイフの攻撃が追ってくるが髪の毛一本分の差でそれもかわした。
一呼吸する暇もなく雷撃が落ちてくる。
アイシャはバックステップでそれからも逃れると地を蹴って開いていたローゼンバーグとの間合いを縮めた。
スピードを殺さず体当たりともとれる勢いで拳を撃ち込む。
「ウダァッ!」
トップオブザワールドがゆらりと揺れる。その刹那ローゼンバーグたちの姿が消えた。
アイシャは即断して振り向きざまに乱打する。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダ!」
初めの一発に感触があったもののその後に続きがない。アイシャは構えを直してあたりを見回した。
数メートル離れた位置の空間が歪曲し右腕を庇うように押さえるローゼンバーグとぼんやりと立つトップオブザワールドが現出する。忌々しげに見つめてくるローゼンバーグが憎しみを吐き出すように言った。
「お前はまた進化したのか」
「……」
答えずただ睨みつける。
左人差し指でアイシャを指差すとローゼンバーグが怒鳴った。
「私が十二年かけてようやく得たものをお前程度に覆されてたまるかッ!」
アイシャは黙って次を待つ。ローゼンバーグが何をしようと対処できる気がした。沸々と沸いてくる自信はやけに確信めいていて、その正体まではわからぬものの彼女に余裕を与えていた。
ローゼンバーグたちの姿がゆらめき、消失する。
アイシャは打ち込むべき位置に拳を放った。
「ウダァッ!」
「おごぉっ!」
ローゼンバーグの顔面にヒットし、確かな手応えと快感を抱く。アイシャは薄く笑った。まだ理屈は不明だがそんなものはどうでもいい。
ぶちのめす。
それだけだ。
ローゼンバーグが喚く。
「そうか、この力! お前、手に入れたな! 進化してその能力を手に入れたな!」
トップオブザワールドの顔の真ん中が消えていた。正確にはローゼンバーグの殴られた位置と同じ部分がそっくり欠けていると言うべきか。
よく見ると右腕の一部も失っている。
「万物ではなく無の精霊の力を手に入れたなッ!」
なるほど。
アイシャは自分の記憶にあるアボイドノートの知識と照らし合わせ納得した。それにアボイド・アップルは精霊の力を無にする方法を求めていた。それはローゼンバーグの目的とは逆のものだ。
魂の在処には万物の政令だけがいたのではない。
無の政令もいたのだ。
「皮肉なものね」
アイシャは冷ややかに言った。
「あんたが十二年前あたしを生かしておかなければこんなことにならなかったのに。万物の精霊の力なんて求めなければあたしがこの力を得ることもなかったのに」
「黙れ、この小娘がッ!」
ローゼンバーグが激昂する。
トップオブザワールドが左手で手刀を振るってきた。
「無に還るのはお前のほうだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
アイシャはその一撃を楽々と避けるとありったけの力を込めてラッシュをぶちかました。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……ウダァッ!」
拳がローゼンバーグの身体のありとあらゆる武威を殴打する。
倒れることすら許されずローゼンバーグは奇妙なダンスを踊った。彼が殴られる度にトップオブザワールドの身体が削られていく。
アイシャの、いや進化したダーティワークの拳は万物の精霊の力を失わせその存在をも消していった。微塵の慈悲もなく圧倒的な力により万物は無へと還元されていく。
やがてトップオブザワールドは完全にその姿を消失した。
それでも殴るのをやめなかった拳はローゼンバーグの存在すら消していく。
断末魔の叫び声を上げることもできず、ローゼンバーグは無と化した。
殴り終えたアイシャは肩で息をし、虚空を見ながら立ち尽くした。
そこにいたはずのローゼンバーグは消滅し何もない空間がぽつりとその空虚さを主張している。
無意識のうちに彼女は十字を切っていた。
もう神なんて信じていないのに。
アイシャは自嘲しダーティワークを解除すると、いなくなったローゼンバーグに背を向けた。
心地良い潮風がショートカットの黒髪を撫でる。深く深呼吸すると彼女は水平線に目をやった。
「……!」
彼方から煌めく光が溢れてくる。
息を呑むほど美しいその輝きは眩しすぎて思わず目を瞑りたくなる。光が全身を包み込み、芯から闇を払うかのように温かさを感じさせた。昇ってくる太陽の強烈な存在感はアイシャの魂を震えさせる。
彼女は胸元のロザリオに手を伸ばしていた。
長い修道院生活で唱え続けていた祈り文句が頭に浮かぶ。
アイシャは両方の膝をつき、祈りの姿勢をとった。殴るよりも染みついている神への感謝が何の抵抗もなくすっと口から零れていく。
彼女は神の存在を感じた。
もう信じないと決めていた、そう思い込もうとしていたアイシャの心は陽光の神聖さにすっかり溶かされてしまっていた。
*
過ぎゆく時が再び潮を満たしていく。
精霊の力と干潮によってその姿を保っている魂の在処は、現れたときと同じように短時間で水没しようとしていた。
アイシャが気づいたときにはすでに島への道は海に沈んでおり、もの凄い早さで海面が上昇していた。
足首、いや膝まで濡れたアイシャは魂の在処から島への距離を目測する。
しかし、その距離ははっきりとわからなかった。たぶん精霊の力によるものだろう。それでも泳いで渡れそうなものではないと判ずることはできる。
ふっ、とアイシャは笑んだ。
これが運命というものか。
仇討ちのためだけにローゼンバーグと戦った訳ではない。
だが、根底に復讐があったのは否めない。だとしたらその先にあるものは何だろう。何が満たされるのか、何が得られるのか。
まあ、これも運命というのなら仕方ない。
アイシャはうなずき、潮の流れに身を任せた。
エンヤ……。
やっぱりあたしに未来はないみたい。