第22話 隣の席の男子(アイシャサイド)

文字数 2,740文字

 星神学園。

 古くからあるこの学校は初等部から高等部、さらには大学をもその施設内に置く一貫校である。生徒数は一万弱。広大な敷地の中にはそれぞれの校舎をはじめとする教育施設がアリ、島外からの生徒のための学生寮や学校関係者のための宿舎などが複数設けられていた。

 ここで学ぶ生徒の大多数は契約者(リンカー)ではない。しかし、契約者とそうでない者との区分けはされており、一般の生徒と契約者は異なるクラスとなっていた。契約者は入学の際に誓約書を書かされ、その能力の使用を厳しく制限されている。

「自身の身を守る以外に力を使ってはならない」
「契約者ではない者に力を用いてはならない」
「学生は教員および職員に力を行使してはならない」

 大まかにはこれら三つのルールが存在する。

 違反者は島の南側の施設に強制収容されることになっていた。

 *

 アイシャは自身のクラスである二年F組みの教室にいた。すでに午後の授業も終わり現在はホームルームの最中である。

 ねずみ色のジャージを着た担任教師が連絡事項を眠そうな声で伝えていた。

 教室の入り口は二カ所あり教卓のある側のドアの近くに副担任の女性が立っている。細かくウェーブした茶髪が似合う二十代半ばくらいの痩せていて小柄な女教師だ。クリーム色のスーツを着こなしており、鋭い視線を教室内に放っていた。

 対して担任教師の男は雑に整えられた黒髪のひょろりとした人物で、教師というよりはどこか研究者然としている。ジャージ姿ではなく白衣であったならば相当にしっくりとしていたはずだ。

 淡々と進められるホームルームはとても退屈な時間であった。それよりも放課後に行くつもりのバラ園にアイシャの心は向かっている。気持ちは急いていて早くこのつまらない時間が過ぎればいいのにと思っていた。

 このクラスに転入したのは二日前。

 転入生は珍しくないのかクラスメイトのアイシャへの興味はすぐに薄れた。あるいは二人の教師のどちらかの力が働いていたのかもしれない。

 担任も副担任も契約者(リンカー)だった。

 何の精霊と契約しているのか、どんな能力なのかは謎である。ただ契約者だということだけは知らされていた。これはおそらく牽制の意味もあったのかもしれない。

 何にしてもアイシャにはどうでも良かった。

 二人とも銀髪ではない。ソウルハンターではない契約者に用はなかった。

 転入した日、アイシャは担任の教師からこのクラスの生徒も全員契約者だと聞かされていた。

 つまり、隣の席にいる男子も契約者ということだ。

 彼は痩せた体躯で学ランの黒い上着とズボンを身につけている。襟章のある詰め襟のフックと一番上野ボタンを外していて白い鳥の羽を模したバッジを胸ポケットの上につけていた。開いた首元からは白いワイシャツが覗けている。

 この学園は一応の制服はあるがちゃんと着用している者は七割程度だ。それ以外の者は思い思いの服を着ていた。

 アイシャも残り三割の一人で黒い修道服を纏っている。

 着慣れた服というのもあるがあえて修道服を着ることによりソウルハンターに自分の存在を示したいという意図もあった。

 隣の席の男子が欠伸を噛み殺す。

 短髪の黒髪は清潔感がありすましていればそれなりに整った顔立ちなのに今はだらしなく眠そうにしていた。

 太い眉がハの字を描き玉子型の目をとろんとさせている。つんとした鼻は堪えた欠伸のせいで鼻の穴を僅かに広げ、血色の良い唇をアヒルのように歪めていた。

 授業の大半を眠っていたというのにまだ寝足りないのか。

 アイシャは無言で苦笑し、意識を再びバラ園へと戻した。

 ポピンズ夫人が言った銀髪の契約者というのは果たしてソウルハンターだろうか。

 そもそもそう簡単に仇敵と遭遇できるのか。

 疑念はなくもなかった。

 ここは敵地。修道院を襲った女や連絡船で戦ったモヒカン男のようにソウルハンターの側の契約者が潜んでいても不思議ではない。

 いや、むしろ敵だらけと判断しても問題はない気がする。

 油断をしてはいけない。

 警戒を常にしなければならなかった。さらに言えばまわりは契約者でいっぱいだ。この中の誰が敵で誰がそうでないかを見極める必要があった。

 常時気を張り、注意深くしなくてはならぬというのはとても疲れることである。

 だが、やるしかない。

 アイシャはそっと胸のロザリオに手を伸ばした。

 仇は必ず討つ。

 そのためにこの島に来たのだ。

 脳裏にエンヤの姿が浮かび、アイシャは唇をきゅっと結ぶ。締めつけられるような胸の痛みが未だに疼いた。

 シスターマリーではなくエンヤの顔が浮かぶとは……。

 アイシャは自分の中に占める彼女の存在の大きさに改めて思い知らされた。

 だからこそ、守れなかった罪の意識が強まってくる。この苦しみはきっと失われることなく、ゆっくりとだが確実に自分を蝕むのだろう。

 エンヤが蘇るでもしなければ永遠に続く罰なのだ。

 無意識のうちに十字を切りかけ、やめる。

 もう神様なんて信じていないのに。

 *

 終礼の挨拶を済ませるとクラスメイトたちはそれぞれ教室から出ていったり友だちとお喋りしたりし始めた。

 アイシャは通学用のバッグを自分の席に残して立ち上がる。用を済ませた後でまた教室に戻るつもりだった。

 朝、ポピンズ夫人からバラ園についてある程度の情報を得ている。

 しかし念には念を入れて教室からのルートをたずねることにした。学園内で迷って時間を無駄にしたくないというのもある。

 まだぼんやりしている隣の席の男子に声をかけた。

「ねぇ」

 ん? と彼は意識を突かれたみたいに身体をぴくりとさせる。まだいくばくかは眠気に囚われているらしく反応は弱かった。

 もう一度声をかける。

「ねえ、ここからバラ園にはどう行くの?」
「は? バラ園?」

 アイシャはうなずいた。

 この男子、ヨウジとか言ったか、まさかバラ園を知らないのか。

 ヨウジがボリボリと頭をかく。ふわぁっと大きく口を開き両腕を上げて欠伸をすると、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。

「シスター、あんたも女子なんだな」
「はぁ?」

 思わず頓狂な声が出る。ヨウジがにやりとした。

「ま、花が好きなのは女子だけの特権じゃないけどな。俺にはどうでもいいが」
「……」

 こいつは何を勘違いしているんだ?

「……で? 行き方を教えてくれるの?」

 軽く睨みつけてやる。

 そんなものすら華麗にスルーできるといった具合に肩を竦めてヨウジは背中を向けた。彼もまた通学用のバッグをそのままに教卓側のドアへと歩きだす。

 くるりと振り返った。

「行かないのか? バラ園に行きたいんだろ」
「……」

 道順だけ教えてくれればいいのに……。

 少し面倒に思いながらアイシャは彼の後を追った。
 
 
 
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