第55話 夜明けの星が浮かぶ時、魂の在処へ……
文字数 3,280文字
「ウダァッ!」
手の甲に黒い宝石を浮かべたダーティワークの攻撃は放ったアイシャ自身が目を疑うほど高速だった。
本来の能力を超えた一撃がローゼンバーグの顔面にヒットする。
……かと思われた。
「ふむ」
ローゼンバーグの顔があった位置にソウルイーターの黒い手が伸びている。手の平で拳を受け止めたキツネの化け物が口の端を緩めた。
ソウルイーターが侮蔑するように目を細くする。額の宝石が明滅しアイシャへの嘲りを代弁した。
ローゼンバーグが横へと身体をずらし、アイシャに冷笑を向ける。
「ここに来て成長したようだが」
受け止めていた拳をソウルイーターが掴んだ。
「まだまだといったところだな。私の次元には程遠い」
ソウルイーターの手が銀色に光る。
アイシャは危機を察したが銀色に輝く手から逃れることができなかった。苦し紛れにもう一発パンチを繰り出すがそれも掴まれてしまう。
両手の自由を奪われたアイシャにローゼンバーグが言った。
「諦めろ。お前はもう詰んでいる」
両拳が銀色の光に包まれる。
アイシャは拳を通じて力が吸われているような感覚に襲われた。急速に抜けていく力は自分のものなのかそれとも「それ」のものなのか。
拳から腕へ腕から肩へと冷感が走っていた。冷感は肩から全身へと広がっていく。脱力感のような嫌な感覚がもがくアイシャの身体を侵食していった。
彼女の内で「それ」が悲鳴を発するがどうすることもできない。
脳裏に死の一文字が浮かんだ。
アイシャは思う。
こんなものなの?
あたしの力はこんなものなの?
皆の想いを背負っているというのにこんな程度の戦いしか出来ないだなんて。
これがあたしの限界なの?
あたしは何のためにここに来たの?
ここで無残に敗北するため?
自分の無力感に打ちのめされるため?
あたしは。
あたしは……。
アイシャの中で「それ」が声を振り絞る。
怒れ!
怒れ!
怒れ!
あたしは。
あたしは……。
……絶対に勝て。
不意にここに飛ばされる前にヨウジに言われた言葉が蘇る。
内側から力が沸いてくるような感じがした。ソウルイーターに吸収される速度を上回る熱量でそれはアイシャの中を満たしていく。
彼女は自分の身体から黒いオーラが漂っていることに気づいた。漆黒の黒ではなくやや薄い黒だ。
何かが生じていると理解するのに時間はかからなかった。
「何だ、これは」
ローゼンバーグが訝しげにつぶやく。眉をひそめた彼はソウルイーターに命じた。
「さっさと片づけろ。何か変だ」
キラリと額の宝石を光らせてキツネの化け物は応じた。両手をアイシャの拳から離し、流れるような動作で手刀を振り下ろしてくる。
「ハッ!」
掛け声とともにアイシャは身を仰け反らして攻撃を避ける。空を切った手刀に拳で応戦した。殴り抜けながら体勢を整える。片足で強く砂浜を蹴って身体一つ分後ろにジャンプした。
ソウルイーターが距離を詰めようとするのを黒いオーラが阻む。
互いのリーチから離脱するとアイシャはローゼンバーグを睨みつけた。
彼は腕組みし、余裕たっぷりといった表情で口角を上げる。切れ長の目が線のように細くなった。
「その程度の抗いでいい気になるなよ。所詮一つの精霊の力しか持たぬお前が五十二の高次の精霊の力を得た私に勝てる道理などないのだからな」
ゆらり、とソウルイーターが揺らめく。
その姿が消えた瞬間、アイシャは拳を打ち込んだ。
「ウダァッ!」
鈍い音を鳴らして黒い光のグローブに包まれた拳がソウルイーターの右肩に命中する。
「おごぉっ」
叫び声を上げてローゼンバーグが右肩を押さえた。痛みの苦しさよりも反撃を食らったことへの驚愕が上回ったらしく目を見開いてアイシャを凝視してくる。
ローゼンバーグの呼吸が荒くなっていた。
「超高速の速さに反応できた……だと?」
今度はアイシャが笑む番だった。
アイシャは短く呼吸すると握る拳に力を込め直してラッシュを浴びせた。
「ウダダダダダダダダ!」
速度を増していく拳撃をソウルイーターが平手で受け止める。
しかし、右肩を負傷したせいか反応が少しずつ遅れてきた。
好機を見出したアイシャはさらにラッシュを打つ。
黒い光の線が幾重にも重なった。アイシャが纏うオーラは薄い黒に銀色が混じりだしていた。二つの色の意味することに見当がついていたが彼女はあえて無視する。
それを認めたくはなかった。
たとえそのおかげでダーティワークが進化しているのだとしても、だ。
だが、ローゼンバーグも理解したようだ。
「そうか、私の血か」
忌々しげにローゼンバーグが唸る。不快さを隠そうともせず彼は顔を歪めた。
右腕をだらりとさせ、彼は左手でアイシャを指差す。
「私の能力の進化の影響を受けたな? 実の娘であるお前にも力の倍増と超高速に対応できる能力が加わったのだな?」
「……」
応えずにいるとローゼンバーグが怒鳴った。
「血が繋がっているというだけで、何の苦労もなく私の次元に踏み込んで来るんじゃないッ!」
ソウルイーターが天を仰ぎ一吠えする。禍々しくどこまでも闇に染まった吠え声だった。
その咆哮はアイシャの中の「それ」を刺激した。
狂喜にも似た「それ」の喚きが彼女の内でこだまする。駆け巡る狂気が心に潜む獣を目覚めさせようとしているようだった。
怒れ!
怒れ!
怒れ!
アイシャは身構え、相対する仇敵をしっかりと見据える。
彼女は己の成長を実感していた。
ダーティワークは殴る能力。そしてその能力を補完するように新たな力が加わっていた。
もう我慢の限界といったふうにローゼンバーグが命令する。
「殺れ、ソウルイーター! その小娘の魂を根こそぎ吸い尽くせ!」
額の宝石を光らせソウルイーターが攻撃を仕掛けてくる。ゆらりと揺れた身体が瞬時にアイシャの真後ろに移動した。
だが、その動きを目ではなく感覚で追ったアイシャはくるりと身を反転させて振り下ろされた手刀を拳で止める。
すかさず彼女はもう一方の拳をソウルイーターの腹にぶち込んだ。
「ウダァッ!」
まともに食らった一発にソウルイーターとローゼンバーグが身を屈める。
アイシャはこのままで終わりにしなかった。間髪入れず拳の連打を叩き込む。
視界の端で星々と月が動いていた。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダッ!」
沈み駆けた月の位置にアイシャははっとする。殴打されたローゼンバーグがにやりとしていた。
まさか。
あの能力、ただの力の倍増と超高速じゃない?
吹っ飛ばされながらローゼンバーグが嘲う。
「勝った! 時間が来る! 倍加する力と超高速の速さのエネルギーは星々の動きすら操るのだッ! ソウルイーターの能力はこのためにあった!」
しまった、とどめを刺さないと。
思ったものの、ローゼンバーグから発せられた突然の激しい光にアイシャは立ち止まり顔を背ける。つい目を瞑ってしまった。
「これでミーシャに会えるぞ!」
狂声が笑いを伴って遠ざかっていく。
波の音が不自然に響いていた。いくつもの波が砕けるように散っていく。潮音が轟き、左右に流れていった。ローゼンバーグの声が波に呑まれ、聞こえなくなる。
アイシャが慌てて目を開きローゼンバーグへと視線を戻すと砂浜にいるはずの彼の姿がない。
「……!」
いつの間にか月が完全に沈んでいた。星々が宵闇から朝焼けのグラデーションに紛れとって替わるように一つの星が空を支配していた。明けの明星は孤高の輝きを放ち、時を告げていた。
それは夜明けの星であり、儀式の時間の到来を意味している。
海が割れていた。
いや、正確には干潮で潮が引いたため隆起した地形が露わになり、それによって海が割れているように見えているだけか。
一本道が沖へと続いていた。
ぼんやりと小島が見えるがなぜか距離感が不明瞭だ。まるで何かの力により守られているようだった。
直感的にアイシャはこの奥にローゼンバーグが向かったのだと判じる。奴の好きにさせるつもりはない。そう胸の中でつぶやくと彼女は走り出した。
魂の在処はこの先だ。
手の甲に黒い宝石を浮かべたダーティワークの攻撃は放ったアイシャ自身が目を疑うほど高速だった。
本来の能力を超えた一撃がローゼンバーグの顔面にヒットする。
……かと思われた。
「ふむ」
ローゼンバーグの顔があった位置にソウルイーターの黒い手が伸びている。手の平で拳を受け止めたキツネの化け物が口の端を緩めた。
ソウルイーターが侮蔑するように目を細くする。額の宝石が明滅しアイシャへの嘲りを代弁した。
ローゼンバーグが横へと身体をずらし、アイシャに冷笑を向ける。
「ここに来て成長したようだが」
受け止めていた拳をソウルイーターが掴んだ。
「まだまだといったところだな。私の次元には程遠い」
ソウルイーターの手が銀色に光る。
アイシャは危機を察したが銀色に輝く手から逃れることができなかった。苦し紛れにもう一発パンチを繰り出すがそれも掴まれてしまう。
両手の自由を奪われたアイシャにローゼンバーグが言った。
「諦めろ。お前はもう詰んでいる」
両拳が銀色の光に包まれる。
アイシャは拳を通じて力が吸われているような感覚に襲われた。急速に抜けていく力は自分のものなのかそれとも「それ」のものなのか。
拳から腕へ腕から肩へと冷感が走っていた。冷感は肩から全身へと広がっていく。脱力感のような嫌な感覚がもがくアイシャの身体を侵食していった。
彼女の内で「それ」が悲鳴を発するがどうすることもできない。
脳裏に死の一文字が浮かんだ。
アイシャは思う。
こんなものなの?
あたしの力はこんなものなの?
皆の想いを背負っているというのにこんな程度の戦いしか出来ないだなんて。
これがあたしの限界なの?
あたしは何のためにここに来たの?
ここで無残に敗北するため?
自分の無力感に打ちのめされるため?
あたしは。
あたしは……。
アイシャの中で「それ」が声を振り絞る。
怒れ!
怒れ!
怒れ!
あたしは。
あたしは……。
……絶対に勝て。
不意にここに飛ばされる前にヨウジに言われた言葉が蘇る。
内側から力が沸いてくるような感じがした。ソウルイーターに吸収される速度を上回る熱量でそれはアイシャの中を満たしていく。
彼女は自分の身体から黒いオーラが漂っていることに気づいた。漆黒の黒ではなくやや薄い黒だ。
何かが生じていると理解するのに時間はかからなかった。
「何だ、これは」
ローゼンバーグが訝しげにつぶやく。眉をひそめた彼はソウルイーターに命じた。
「さっさと片づけろ。何か変だ」
キラリと額の宝石を光らせてキツネの化け物は応じた。両手をアイシャの拳から離し、流れるような動作で手刀を振り下ろしてくる。
「ハッ!」
掛け声とともにアイシャは身を仰け反らして攻撃を避ける。空を切った手刀に拳で応戦した。殴り抜けながら体勢を整える。片足で強く砂浜を蹴って身体一つ分後ろにジャンプした。
ソウルイーターが距離を詰めようとするのを黒いオーラが阻む。
互いのリーチから離脱するとアイシャはローゼンバーグを睨みつけた。
彼は腕組みし、余裕たっぷりといった表情で口角を上げる。切れ長の目が線のように細くなった。
「その程度の抗いでいい気になるなよ。所詮一つの精霊の力しか持たぬお前が五十二の高次の精霊の力を得た私に勝てる道理などないのだからな」
ゆらり、とソウルイーターが揺らめく。
その姿が消えた瞬間、アイシャは拳を打ち込んだ。
「ウダァッ!」
鈍い音を鳴らして黒い光のグローブに包まれた拳がソウルイーターの右肩に命中する。
「おごぉっ」
叫び声を上げてローゼンバーグが右肩を押さえた。痛みの苦しさよりも反撃を食らったことへの驚愕が上回ったらしく目を見開いてアイシャを凝視してくる。
ローゼンバーグの呼吸が荒くなっていた。
「超高速の速さに反応できた……だと?」
今度はアイシャが笑む番だった。
アイシャは短く呼吸すると握る拳に力を込め直してラッシュを浴びせた。
「ウダダダダダダダダ!」
速度を増していく拳撃をソウルイーターが平手で受け止める。
しかし、右肩を負傷したせいか反応が少しずつ遅れてきた。
好機を見出したアイシャはさらにラッシュを打つ。
黒い光の線が幾重にも重なった。アイシャが纏うオーラは薄い黒に銀色が混じりだしていた。二つの色の意味することに見当がついていたが彼女はあえて無視する。
それを認めたくはなかった。
たとえそのおかげでダーティワークが進化しているのだとしても、だ。
だが、ローゼンバーグも理解したようだ。
「そうか、私の血か」
忌々しげにローゼンバーグが唸る。不快さを隠そうともせず彼は顔を歪めた。
右腕をだらりとさせ、彼は左手でアイシャを指差す。
「私の能力の進化の影響を受けたな? 実の娘であるお前にも力の倍増と超高速に対応できる能力が加わったのだな?」
「……」
応えずにいるとローゼンバーグが怒鳴った。
「血が繋がっているというだけで、何の苦労もなく私の次元に踏み込んで来るんじゃないッ!」
ソウルイーターが天を仰ぎ一吠えする。禍々しくどこまでも闇に染まった吠え声だった。
その咆哮はアイシャの中の「それ」を刺激した。
狂喜にも似た「それ」の喚きが彼女の内でこだまする。駆け巡る狂気が心に潜む獣を目覚めさせようとしているようだった。
怒れ!
怒れ!
怒れ!
アイシャは身構え、相対する仇敵をしっかりと見据える。
彼女は己の成長を実感していた。
ダーティワークは殴る能力。そしてその能力を補完するように新たな力が加わっていた。
もう我慢の限界といったふうにローゼンバーグが命令する。
「殺れ、ソウルイーター! その小娘の魂を根こそぎ吸い尽くせ!」
額の宝石を光らせソウルイーターが攻撃を仕掛けてくる。ゆらりと揺れた身体が瞬時にアイシャの真後ろに移動した。
だが、その動きを目ではなく感覚で追ったアイシャはくるりと身を反転させて振り下ろされた手刀を拳で止める。
すかさず彼女はもう一方の拳をソウルイーターの腹にぶち込んだ。
「ウダァッ!」
まともに食らった一発にソウルイーターとローゼンバーグが身を屈める。
アイシャはこのままで終わりにしなかった。間髪入れず拳の連打を叩き込む。
視界の端で星々と月が動いていた。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダッ!」
沈み駆けた月の位置にアイシャははっとする。殴打されたローゼンバーグがにやりとしていた。
まさか。
あの能力、ただの力の倍増と超高速じゃない?
吹っ飛ばされながらローゼンバーグが嘲う。
「勝った! 時間が来る! 倍加する力と超高速の速さのエネルギーは星々の動きすら操るのだッ! ソウルイーターの能力はこのためにあった!」
しまった、とどめを刺さないと。
思ったものの、ローゼンバーグから発せられた突然の激しい光にアイシャは立ち止まり顔を背ける。つい目を瞑ってしまった。
「これでミーシャに会えるぞ!」
狂声が笑いを伴って遠ざかっていく。
波の音が不自然に響いていた。いくつもの波が砕けるように散っていく。潮音が轟き、左右に流れていった。ローゼンバーグの声が波に呑まれ、聞こえなくなる。
アイシャが慌てて目を開きローゼンバーグへと視線を戻すと砂浜にいるはずの彼の姿がない。
「……!」
いつの間にか月が完全に沈んでいた。星々が宵闇から朝焼けのグラデーションに紛れとって替わるように一つの星が空を支配していた。明けの明星は孤高の輝きを放ち、時を告げていた。
それは夜明けの星であり、儀式の時間の到来を意味している。
海が割れていた。
いや、正確には干潮で潮が引いたため隆起した地形が露わになり、それによって海が割れているように見えているだけか。
一本道が沖へと続いていた。
ぼんやりと小島が見えるがなぜか距離感が不明瞭だ。まるで何かの力により守られているようだった。
直感的にアイシャはこの奥にローゼンバーグが向かったのだと判じる。奴の好きにさせるつもりはない。そう胸の中でつぶやくと彼女は走り出した。
魂の在処はこの先だ。