第10話 ほんのりと百合の香り
文字数 2,730文字
全身をダーティワークによって滅多打ちにされたポワキンは再び拘束された。
アイシャたちは政府の役人から事情聴取を受けることとなり、解放されたときには夜になっていた。食事もろくにとれていなかったので二人はまっすぐ食堂へと向かう。
船内の食堂は決して広いところではない。だが、少し前まで窮屈な船室で政府の役人と同じ話を繰り返していたからかさして狭いとは感じずに済んだ。
お腹が空きすぎてそれどころではなかったというのもある。
簡素なテーブルを挟むように座った二人はビーフシチューとコールスローそれにバターロールという夕食を食べる。
政府の役人から聞かされるまで星神島が一般人の立ち入りを制限された特別な島であるとアイシャは知らなかった。ただシスターマリーの仇を討ちたい、その一新でここまで来ていた。
アイシャは星神島に行くための手段として、この島に唯一ある学園の生徒となることを選んだ。手続きは修道院関係者の大人に任せている。復讐の鬼と化してもアイシャはまだ十七歳の少女だ。任せられるところは任せたほうが早いと判じていた。
「でもさぁ」
ビーフシチューに千切ったバターロールを浸しながらエンヤが言った。
「私たちって要するに片道切符なんだよね」
アイシャはうなずいた。
エンヤがビーフシチューを吸ってさらに柔らかくなったバターロールを一口に食べる。もぐもぐと数回咀嚼するとごくんと飲み込んだ。
食べている間は幸せそうに頬を緩めていたのに口の中が空っぽになった途端不機嫌そうに唇を尖らせる。
「あの島の学園に転入といっても、施設より自由が利くくらいで結局はずっと島から出られなくなるんでしょ? それってどうなんだか」
「島に行きたくないの?」
アイシャがたずねるとエンヤは肩をすくめた。
「まあ行かずに済むならそうしたいけど、私、精霊憑きだし……それに帰る家もないしね。孤児院も私みたいなのは置いておけないみたいなんだよね」
「孤児院?」
そのワードにアイシャは興味を示した。
「あなた、孤児だったの?」
「そうだよ」
エンヤがきょとんとした。
バターロールを持っていた手が止まる。不機嫌さから不思議そうな顔に切り替えるようにエンヤが目をぱちぱちさせた。
「あれ? 言ってなかった?」
「聞いてない」
「そっか」
と、バターロールを皿に戻し、中空に視線を泳がせる。どこかに言葉がないか探しているようでもあった。
「私、親に捨てられたんだよね」
開いた口からは重い過去が現れた。
「生まれてすぐに産院の前に置き去りにされちゃって、自分の本当の名前も知らないの。エンヤっていうのはその産院の助産師さんがつけてくれた名前。五年くらいはその産院で暮らしていたかな。でも、いろいろあって孤児院に送られちゃったの」
この娘も辛い思いをしてきたのか……。
アイシャの心にちくりと小さな痛みが走った。エンヤに対して面倒に思っていた自分が嫌になる。
修道院と関わりのあった孤児院を思い出す。良い子もいれば悪い子もいた。それぞれが問題を抱えていて、未来を模索することすら叶わぬ子もいた。その日その日を辛うじて生き延びているような子もいた。
エンヤはどんな日々を過ごしていたのだろう。
アイシャは無意識のうちに胸のロザリオに手を伸ばしていた。
自分は家族を失ったが修道院でシスターマリーに出会えた。彼女がいなければおそらく救いのないまま生きていたかもしれない。
エンヤが手を横に振った。
「あ、違うのよ。別に孤児院に連れて行かれたからって自分が不幸だなんて言うつもりはないの。ただ、事実としてそこにいたってだけ。むしろ孤児院でたくさんの家族ができたから幸せなほうだと思うし」
今度はエンヤが質問してくる。
「アイシャは? どうしてシスターになったの?」
「あたしはもうシスターじゃない」
「でもシスターではあったんだよね? どうしてシスターになろうとしたの?」
「……」
アイシャは嘆息し、五歳のときに家族を失ったことと紆余曲折の末に修道院に入ったことを話した。
だが、家族が殺されたことや修道院の襲撃事件のことは伏せた。そこまで教えなければならない理由はない。
あなたも実の家族がいないんだね、とエンヤが哀しげに言った。
ころころと表情のよく代わる娘だ。けれど嫌な印象はない。むしろ可愛く感じられた。
話は精霊のことへと移る。
「私の場合、拾っちゃったんだよね」
エンヤが足元を見下ろした。そこには白い猫が身を丸くしている。
彼女の視線に気づいたのか猫がニャーと鳴いた。
「何の精霊?」
「えっとね、一応治癒の精霊」
少し恥ずかしそうに彼女は付け足す。
「といってもまだ傷を塞ぐくらいしかできないんだよね。精霊の話だと私の成長に応じて治癒の力も強くなるらしいんだけど……まあ、こればっかりはね」
「それでもあたしは助かったわ」
この言葉にエンヤが嬉しそうに微笑んだ。
ぱあっと花が咲いたような彼女の笑顔にアイシャはつい見惚れてしまう。とくんと跳ねた胸の鼓動に自分でも驚いた。けれどそんなことをエンヤに知られたくない。
アイシャは誤魔化すようにコールスローにフォークを突き刺した。わざとざくざくと音を立てる。
「拾ったって、精霊って拾えるの?」
「うーん、他の子はどうかわからないけど……」
エンヤもコールスローを食べ始めた。
「この子は私がいた孤児院の裏通りにいたの。それこそ捨て猫みたいにニャーニャー鳴いてて……思わず連れ帰っちゃったんだよね。何か頭に声が響いていたけど私はもう猫が飼いたい一心でいたから適当にうんうんと答えちゃって……気づいたらこの子と契約してた」
「……」
どう返せば良いのかわからずアイシャは困ってしまう。
「あ、やっぱおかしいよね」
エンヤが苦笑した。
その表情も愛らしいとアイシャは判じるものの声には出さない。
エンヤが聞いてくる。
「アイシャは? どうやってその精霊と契約したの?」
「秘密」
反射的にぴしゃりと答えてしまってからアイシャは目を伏せる。
「ごめん、言いたくないの」
きちんと説明しようとすればどうしても修道院を襲撃された一見を話さなければならなくなる。アイシャは唇を噛んだ。フォークを握る手に力がこもる。
脳裏に殺されたシスターたちのことが浮かび、自分でも逆らい難いどす黒い衝動にかられた。
やっとのことでそれを抑え込み、吐き捨てるように告げる。
「あたしはあなたと違うの」
「違うって、何が?」
「あたしは汚れているの」
「え?」
訳がわからないといったふうにエンヤが目を見開いた。彼女の足元でニャーオと猫が応じる。
この白い猫はもう契約した経緯を知っているのだろう。
アイシャはなぜかそんな気がした。
アイシャたちは政府の役人から事情聴取を受けることとなり、解放されたときには夜になっていた。食事もろくにとれていなかったので二人はまっすぐ食堂へと向かう。
船内の食堂は決して広いところではない。だが、少し前まで窮屈な船室で政府の役人と同じ話を繰り返していたからかさして狭いとは感じずに済んだ。
お腹が空きすぎてそれどころではなかったというのもある。
簡素なテーブルを挟むように座った二人はビーフシチューとコールスローそれにバターロールという夕食を食べる。
政府の役人から聞かされるまで星神島が一般人の立ち入りを制限された特別な島であるとアイシャは知らなかった。ただシスターマリーの仇を討ちたい、その一新でここまで来ていた。
アイシャは星神島に行くための手段として、この島に唯一ある学園の生徒となることを選んだ。手続きは修道院関係者の大人に任せている。復讐の鬼と化してもアイシャはまだ十七歳の少女だ。任せられるところは任せたほうが早いと判じていた。
「でもさぁ」
ビーフシチューに千切ったバターロールを浸しながらエンヤが言った。
「私たちって要するに片道切符なんだよね」
アイシャはうなずいた。
エンヤがビーフシチューを吸ってさらに柔らかくなったバターロールを一口に食べる。もぐもぐと数回咀嚼するとごくんと飲み込んだ。
食べている間は幸せそうに頬を緩めていたのに口の中が空っぽになった途端不機嫌そうに唇を尖らせる。
「あの島の学園に転入といっても、施設より自由が利くくらいで結局はずっと島から出られなくなるんでしょ? それってどうなんだか」
「島に行きたくないの?」
アイシャがたずねるとエンヤは肩をすくめた。
「まあ行かずに済むならそうしたいけど、私、精霊憑きだし……それに帰る家もないしね。孤児院も私みたいなのは置いておけないみたいなんだよね」
「孤児院?」
そのワードにアイシャは興味を示した。
「あなた、孤児だったの?」
「そうだよ」
エンヤがきょとんとした。
バターロールを持っていた手が止まる。不機嫌さから不思議そうな顔に切り替えるようにエンヤが目をぱちぱちさせた。
「あれ? 言ってなかった?」
「聞いてない」
「そっか」
と、バターロールを皿に戻し、中空に視線を泳がせる。どこかに言葉がないか探しているようでもあった。
「私、親に捨てられたんだよね」
開いた口からは重い過去が現れた。
「生まれてすぐに産院の前に置き去りにされちゃって、自分の本当の名前も知らないの。エンヤっていうのはその産院の助産師さんがつけてくれた名前。五年くらいはその産院で暮らしていたかな。でも、いろいろあって孤児院に送られちゃったの」
この娘も辛い思いをしてきたのか……。
アイシャの心にちくりと小さな痛みが走った。エンヤに対して面倒に思っていた自分が嫌になる。
修道院と関わりのあった孤児院を思い出す。良い子もいれば悪い子もいた。それぞれが問題を抱えていて、未来を模索することすら叶わぬ子もいた。その日その日を辛うじて生き延びているような子もいた。
エンヤはどんな日々を過ごしていたのだろう。
アイシャは無意識のうちに胸のロザリオに手を伸ばしていた。
自分は家族を失ったが修道院でシスターマリーに出会えた。彼女がいなければおそらく救いのないまま生きていたかもしれない。
エンヤが手を横に振った。
「あ、違うのよ。別に孤児院に連れて行かれたからって自分が不幸だなんて言うつもりはないの。ただ、事実としてそこにいたってだけ。むしろ孤児院でたくさんの家族ができたから幸せなほうだと思うし」
今度はエンヤが質問してくる。
「アイシャは? どうしてシスターになったの?」
「あたしはもうシスターじゃない」
「でもシスターではあったんだよね? どうしてシスターになろうとしたの?」
「……」
アイシャは嘆息し、五歳のときに家族を失ったことと紆余曲折の末に修道院に入ったことを話した。
だが、家族が殺されたことや修道院の襲撃事件のことは伏せた。そこまで教えなければならない理由はない。
あなたも実の家族がいないんだね、とエンヤが哀しげに言った。
ころころと表情のよく代わる娘だ。けれど嫌な印象はない。むしろ可愛く感じられた。
話は精霊のことへと移る。
「私の場合、拾っちゃったんだよね」
エンヤが足元を見下ろした。そこには白い猫が身を丸くしている。
彼女の視線に気づいたのか猫がニャーと鳴いた。
「何の精霊?」
「えっとね、一応治癒の精霊」
少し恥ずかしそうに彼女は付け足す。
「といってもまだ傷を塞ぐくらいしかできないんだよね。精霊の話だと私の成長に応じて治癒の力も強くなるらしいんだけど……まあ、こればっかりはね」
「それでもあたしは助かったわ」
この言葉にエンヤが嬉しそうに微笑んだ。
ぱあっと花が咲いたような彼女の笑顔にアイシャはつい見惚れてしまう。とくんと跳ねた胸の鼓動に自分でも驚いた。けれどそんなことをエンヤに知られたくない。
アイシャは誤魔化すようにコールスローにフォークを突き刺した。わざとざくざくと音を立てる。
「拾ったって、精霊って拾えるの?」
「うーん、他の子はどうかわからないけど……」
エンヤもコールスローを食べ始めた。
「この子は私がいた孤児院の裏通りにいたの。それこそ捨て猫みたいにニャーニャー鳴いてて……思わず連れ帰っちゃったんだよね。何か頭に声が響いていたけど私はもう猫が飼いたい一心でいたから適当にうんうんと答えちゃって……気づいたらこの子と契約してた」
「……」
どう返せば良いのかわからずアイシャは困ってしまう。
「あ、やっぱおかしいよね」
エンヤが苦笑した。
その表情も愛らしいとアイシャは判じるものの声には出さない。
エンヤが聞いてくる。
「アイシャは? どうやってその精霊と契約したの?」
「秘密」
反射的にぴしゃりと答えてしまってからアイシャは目を伏せる。
「ごめん、言いたくないの」
きちんと説明しようとすればどうしても修道院を襲撃された一見を話さなければならなくなる。アイシャは唇を噛んだ。フォークを握る手に力がこもる。
脳裏に殺されたシスターたちのことが浮かび、自分でも逆らい難いどす黒い衝動にかられた。
やっとのことでそれを抑え込み、吐き捨てるように告げる。
「あたしはあなたと違うの」
「違うって、何が?」
「あたしは汚れているの」
「え?」
訳がわからないといったふうにエンヤが目を見開いた。彼女の足元でニャーオと猫が応じる。
この白い猫はもう契約した経緯を知っているのだろう。
アイシャはなぜかそんな気がした。