第37話 契約者(リンカー)としての本能(ステッペンウルフ戦・決着)
文字数 2,745文字
バビューン!
ヨウジの左手から発射された光弾が白い尾を描く。ほどなくして水色館に着弾し衝撃音を響かせた。
ポピンズ夫人のホームスイートホームにより水色缶の破壊は不可能。しかし、ヨウジの放った一撃は攻撃としてのものではなかった。それに闇雲に撃った訳でもない。彼はちゃんと狙いをつけていた。
射撃位置からそれは見えないが長年積み重ねてきた知識と経験が狙撃を可能にしていた。
水色館のことはよく知っている。間取りや庭の広さ、階段の段数、床の硬さ……知りすぎるほど知っていた。
もちろんドアベルの位置も。
破壊はできない。だが、ドアベルを鳴らすことはできた。ポピンズ夫人ならこれに気づいてくれるはずだ。仮に彼女が眠っていたとしても彼女の精霊が気づくだろう。家庭の精霊は家にまつわる事象にとても敏感なのだから。
……問題は助けが来る前にこっちがやられそうだってことだな。
左腕の出血で袖が滲んでいた。思っていたよりも深手だったようだ。痛みがよりはっきりとしてきた。手ではなく腕だったのは不幸中の幸いだ。万が一手を噛まれていたらラッドウインプスの能力が使えなくなっていたかもしれない。
嫌な汗をかいていた。
右袖でさっと額の汗を拭い、ミセスを見遣る。
彼のピンク色のワンピースはところどころ敗れていた。視線を感じたからか左胸にある青リンゴのワッペンがチカチカと薄緑色の宝石を点滅させる。
ミセスは肩を上下させ、息の乱れを隠そうともしない。消耗のせいか半目になっていた。倒れたらそのまま寝てしまうのではないかとさえ思う。
「おい、大丈夫か」
大丈夫ではないと判じていたがそうたずねた。
ミセスが力なく笑う。
「もう駄目かも」
「おいおい」
「……今なら横になった瞬間に熟睡できそう」
「……」
あ、これまだ余裕あるな。
軽口を叩くミセスに余力を感じ、ヨウジはちょっとだけ安心する。
とはいえ現状は芳しくなかった。水色館にこれといった動きはない。もっと弾があればまた撃ち込めるのだが残念ながら弾切れだった。
ヨウジはミセスと背中合わせになる。
周囲をぐるりと化け物たちに囲まれてしまった。青白い宝石を額につけた狼みたいな青い化け物たちだ。数は八体。いくら倒してもその数を八に戻してしまう厄介な敵だ。
契約者(リンカー)本体はどこにいるのか。コントロールできる範囲はどのくらいか。まだ明らかになっていない能力はあるのか……考えても答えは見つからなかった。
ただ、こいつらをどうにかしなければ自分たちは敗北する。それだけは確かだった。
「まずいね」
ぽつりとミセスが言う。彼のほうが身長は高く、やや上から声がした。
「もう少しで水色館だってのに」
セーフティ・パイの効力は完全に失せていた。再び発動できるまでにどれだけの時間が必要かヨウジには見当もつかない。聞きたくない答えが返ってきそうで聞く気になれなかった。
「どう思う? これ絶体絶命だよね?」
「残弾0ってのがきついな」
「ごめん、僕も小銭なくて。今度から持ち歩くようにするよ」
「今度があればな」
キラリ。
化け物のうちの一体が額の宝石を光らせる。
それを合図に化け物たちが一斉に地を蹴った。獣の姿をした敵意が襲ってくる。感覚の耳が幾重もの咆哮を拾う。闇に轟くほどの狂気が獣の姿を借りているようだった。
やばい。
やられる。
半ば諦めたヨウジの右袖を風の精霊が引っぱった。ヨウジははっとし、食らいつこうとした化け物の牙からすんでのところで避ける。向かってきたもう一体の顔を横蹴りした。痛む左腕を庇いながら水色館への道を走る。
数メートルもいかないうちに別の化け物に道を塞がれた。後方から来る一体に回し蹴りをして前から突撃してきた化け物の鼻面を蹴り飛ばす。ラッドウインプスが宙を舞い、化け物の動きを邪魔した。注意の逸れた化け物の横腹に勢いをつけて蹴りをお見舞いする。
チカ、チカ。
一体の化け物が足を止め額の宝石を明滅させる。
あいつだ。
戦いの最中見失っていたリーダーを見つけ、ヨウジは踵を返す。こいつがこの化け物たちに指示を出している。
リーダーを討ったからといってこの戦いが終わるとは限らない。しかし、ヨウジは妙な予感があった。それは自信に変わり確信へと至る。確固たる理由などない。これまでの敵への観察と自分の契約者(リンカー)としての本能がそうさせているだけだ。
「受け取って!」
ミセスが叫び、何かを投げ寄こした。薄緑色の光を伴って飛んできたそれをヨウジは右手でキャッチする。
手にしたものに思わず目を疑った。
「えっ、おい」
「それを弾に!」
「……なるほど」
精霊を弾にするのがありかどうか、ヨウジは考えないことにした。ワッペンは重みはそれほどでもないが質感は硬い。これなら弾として十分使える。
「悪いな」
そう青リンゴのワッペンに声をかけ、左手に置いた。
キラキラと何かを訴えるように薄緑色の宝石が発行する。それは「やってくれ」と言っているのか「やめて」と言っているのか判別できなかった。とりあえずここは「やってくれ」と言っていることにしよう。
左手の傍にいるラッドウインプスが標的の化け物を指差す。
やっちゃえ!
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
後押しするかの如くミセスが絶叫する。
「これで決着だよっ!」
ヨウジは狙いをつけ……。
グル縷々。
脇から化け物が飛びつこうとした。
げっ、と思った瞬間、いきなりその化け物が歩道に叩きつけられる。何らかの力で押しつけられたかのように化け物が圧迫されて四散した。
「……」
これは……もしや魔女の……。
振り返って確認する暇はない。ヨウジは再度狙いをつけた。リーダーらしき化け物がその身を分裂させる。なるほど、こうやって数を補充していたのか。
「ラッドウインプスッ!」
右手の人差し指でワッペンを弾いた。
バビューン!
光弾と化した青リンゴのワッペンが白い光を纏って宙を滑る。ささやかな弧を描いて光弾は的に当たった。強い意志の力で砕くように化け物の身体を粉砕する。
連鎖して隣にいた化け物も四散した。さらに他の化け物たちも次々とその姿を消滅させていく。
やった……のか?
ヨウジはふうっと息をつき、あたりを見回した。あれだけしつこかった化け物たちが全ていなくなっている。これまでのことが嘘だったみたいに敵意も咆哮も消えていた。
ミセスが歩道に落ちている青リンゴのワッペンへと走り寄るのを見てからヨウジは水色館のほうへと目を移した。
「やっぱりフライミートゥザムーンだったか」
水色館の前の歩道に立ってこちらに微笑んでいるであろう赤髪の魔女を認め、ヨウジはポリポリと頬をかいた。
「ドリスには世話になってばかりだな」
ヨウジの左手から発射された光弾が白い尾を描く。ほどなくして水色館に着弾し衝撃音を響かせた。
ポピンズ夫人のホームスイートホームにより水色缶の破壊は不可能。しかし、ヨウジの放った一撃は攻撃としてのものではなかった。それに闇雲に撃った訳でもない。彼はちゃんと狙いをつけていた。
射撃位置からそれは見えないが長年積み重ねてきた知識と経験が狙撃を可能にしていた。
水色館のことはよく知っている。間取りや庭の広さ、階段の段数、床の硬さ……知りすぎるほど知っていた。
もちろんドアベルの位置も。
破壊はできない。だが、ドアベルを鳴らすことはできた。ポピンズ夫人ならこれに気づいてくれるはずだ。仮に彼女が眠っていたとしても彼女の精霊が気づくだろう。家庭の精霊は家にまつわる事象にとても敏感なのだから。
……問題は助けが来る前にこっちがやられそうだってことだな。
左腕の出血で袖が滲んでいた。思っていたよりも深手だったようだ。痛みがよりはっきりとしてきた。手ではなく腕だったのは不幸中の幸いだ。万が一手を噛まれていたらラッドウインプスの能力が使えなくなっていたかもしれない。
嫌な汗をかいていた。
右袖でさっと額の汗を拭い、ミセスを見遣る。
彼のピンク色のワンピースはところどころ敗れていた。視線を感じたからか左胸にある青リンゴのワッペンがチカチカと薄緑色の宝石を点滅させる。
ミセスは肩を上下させ、息の乱れを隠そうともしない。消耗のせいか半目になっていた。倒れたらそのまま寝てしまうのではないかとさえ思う。
「おい、大丈夫か」
大丈夫ではないと判じていたがそうたずねた。
ミセスが力なく笑う。
「もう駄目かも」
「おいおい」
「……今なら横になった瞬間に熟睡できそう」
「……」
あ、これまだ余裕あるな。
軽口を叩くミセスに余力を感じ、ヨウジはちょっとだけ安心する。
とはいえ現状は芳しくなかった。水色館にこれといった動きはない。もっと弾があればまた撃ち込めるのだが残念ながら弾切れだった。
ヨウジはミセスと背中合わせになる。
周囲をぐるりと化け物たちに囲まれてしまった。青白い宝石を額につけた狼みたいな青い化け物たちだ。数は八体。いくら倒してもその数を八に戻してしまう厄介な敵だ。
契約者(リンカー)本体はどこにいるのか。コントロールできる範囲はどのくらいか。まだ明らかになっていない能力はあるのか……考えても答えは見つからなかった。
ただ、こいつらをどうにかしなければ自分たちは敗北する。それだけは確かだった。
「まずいね」
ぽつりとミセスが言う。彼のほうが身長は高く、やや上から声がした。
「もう少しで水色館だってのに」
セーフティ・パイの効力は完全に失せていた。再び発動できるまでにどれだけの時間が必要かヨウジには見当もつかない。聞きたくない答えが返ってきそうで聞く気になれなかった。
「どう思う? これ絶体絶命だよね?」
「残弾0ってのがきついな」
「ごめん、僕も小銭なくて。今度から持ち歩くようにするよ」
「今度があればな」
キラリ。
化け物のうちの一体が額の宝石を光らせる。
それを合図に化け物たちが一斉に地を蹴った。獣の姿をした敵意が襲ってくる。感覚の耳が幾重もの咆哮を拾う。闇に轟くほどの狂気が獣の姿を借りているようだった。
やばい。
やられる。
半ば諦めたヨウジの右袖を風の精霊が引っぱった。ヨウジははっとし、食らいつこうとした化け物の牙からすんでのところで避ける。向かってきたもう一体の顔を横蹴りした。痛む左腕を庇いながら水色館への道を走る。
数メートルもいかないうちに別の化け物に道を塞がれた。後方から来る一体に回し蹴りをして前から突撃してきた化け物の鼻面を蹴り飛ばす。ラッドウインプスが宙を舞い、化け物の動きを邪魔した。注意の逸れた化け物の横腹に勢いをつけて蹴りをお見舞いする。
チカ、チカ。
一体の化け物が足を止め額の宝石を明滅させる。
あいつだ。
戦いの最中見失っていたリーダーを見つけ、ヨウジは踵を返す。こいつがこの化け物たちに指示を出している。
リーダーを討ったからといってこの戦いが終わるとは限らない。しかし、ヨウジは妙な予感があった。それは自信に変わり確信へと至る。確固たる理由などない。これまでの敵への観察と自分の契約者(リンカー)としての本能がそうさせているだけだ。
「受け取って!」
ミセスが叫び、何かを投げ寄こした。薄緑色の光を伴って飛んできたそれをヨウジは右手でキャッチする。
手にしたものに思わず目を疑った。
「えっ、おい」
「それを弾に!」
「……なるほど」
精霊を弾にするのがありかどうか、ヨウジは考えないことにした。ワッペンは重みはそれほどでもないが質感は硬い。これなら弾として十分使える。
「悪いな」
そう青リンゴのワッペンに声をかけ、左手に置いた。
キラキラと何かを訴えるように薄緑色の宝石が発行する。それは「やってくれ」と言っているのか「やめて」と言っているのか判別できなかった。とりあえずここは「やってくれ」と言っていることにしよう。
左手の傍にいるラッドウインプスが標的の化け物を指差す。
やっちゃえ!
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
後押しするかの如くミセスが絶叫する。
「これで決着だよっ!」
ヨウジは狙いをつけ……。
グル縷々。
脇から化け物が飛びつこうとした。
げっ、と思った瞬間、いきなりその化け物が歩道に叩きつけられる。何らかの力で押しつけられたかのように化け物が圧迫されて四散した。
「……」
これは……もしや魔女の……。
振り返って確認する暇はない。ヨウジは再度狙いをつけた。リーダーらしき化け物がその身を分裂させる。なるほど、こうやって数を補充していたのか。
「ラッドウインプスッ!」
右手の人差し指でワッペンを弾いた。
バビューン!
光弾と化した青リンゴのワッペンが白い光を纏って宙を滑る。ささやかな弧を描いて光弾は的に当たった。強い意志の力で砕くように化け物の身体を粉砕する。
連鎖して隣にいた化け物も四散した。さらに他の化け物たちも次々とその姿を消滅させていく。
やった……のか?
ヨウジはふうっと息をつき、あたりを見回した。あれだけしつこかった化け物たちが全ていなくなっている。これまでのことが嘘だったみたいに敵意も咆哮も消えていた。
ミセスが歩道に落ちている青リンゴのワッペンへと走り寄るのを見てからヨウジは水色館のほうへと目を移した。
「やっぱりフライミートゥザムーンだったか」
水色館の前の歩道に立ってこちらに微笑んでいるであろう赤髪の魔女を認め、ヨウジはポリポリと頬をかいた。
「ドリスには世話になってばかりだな」