第11話 あたしはただの通りすがり
文字数 2,481文字
船室に戻るとエンヤが口を開いた。
「あの道化師の人……ポワキンだっけ? あの人は施設に入れられちゃうんだよね」
「そうね」
アイシャは応えながら修道服を脱いだ。
突然の行為にエンヤがぎょっとするのも構わず下着姿のままボストンバッグに手を伸ばす。中からソーイングセットを取り出すとベッドに腰かけて修道服の右肩を繕いだした。ここはポワキンと戦ったときに政府の役人に撃たれた個所である。
修道院では日々の祈りの他にもいろいろとやることがあった。炊事、洗濯、掃除そして裁縫をアイシャは修道院で学んだ。
とはいえ得手不得手は誰にでもある。
ただ縫っただけの肩を見てエンヤが手を振った。
「ちょっと、そんな雑な縫い方じゃ駄目だよ!」
アイシャは手を止めた。裁縫が苦手なのは自分でもわかっていたが騒がれるほど酷いとは思っていなかった。
抗議を込めてエンヤを睨むが彼女は臆することなく修道服をひったくっていく。
ちょこんとアイシャの隣に座った。
「これ結構いい服なんだからきちんと繕わないともったいないよ」
手慣れた様子でエンヤが修道服を縫い直していく。アイシャは黙って見ているしかなかった。
というか口出しする余地もない。いや、この場合は手出しというべきか。
「私、孤児院で下の子たちの破いた服とかよく直していたんだよね。あと着られなくなったものを仕立て直したり」
アイシャはうなずいた。
なるほど、上手くて当然か。
経験値が違う。
丁寧に針を動かして繕い終えるとエンヤは歯で糸を切った。
「はい、できた」
にっこり笑ってエンヤは修道服をアイシャに返す。
その顔があまりに愛らしくて再びアイシャの心音を乱れさせた。
とくんとくんと高鳴るリズムに狼狽えつつエンヤに礼を言う。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。それでさっきの話なんだけどさ」
エンヤが話を戻した。
「政府の人は危険な契約者(リンカー)を収容するための施設だって言ってたけどそんなふうに閉じ込めておけるのかなぁ? あの道化師の能力だけでもかなり手を焼きそうだよ」
「力で抑えつける……とかではなさそうね」
一人や二人ならともかく何人もいるであろう施設でそれは不可能だとアイシャは思った。それともどんな能力をも凌駕する圧倒的な力を有する誰かがいるのか。
アイシャは自分でこの推測を否定した。力では力を完全には抑制できない。それができると判じるのは傲慢というものだ。
星神島は特別……。
アイシャはぼんやりと思い至った。事情聴取を受けていたときに政府の役人が口にした言葉だ。もしかしたら答えはそこにあるのかもしれない。
「わ、私たちも何かあればその施設に入れられちゃうのかな」
エンヤがさも恐ろしいことのように言う。不安が顔に出ていた。
暗くなったエンヤの柔らかな髪にそっとアイシャは触れる。ボブカットの栗色の髪はさらさらだ。ぽんぽんと優しく叩いた。
「心配ないわ、あなたの精霊は危険じゃないもの」
「……アイシャ」
エンヤの頬に朱が走る。
速まっていく胸の鼓動がエンヤに届きそうでアイシャは彼女から目をそらす。
誤魔化すように立ち上がった。
「それに危険というのならむしろあたしのほうが危険」
ダーティワークは「殴る」能力。
それを授けたのは怒りの精霊。
自分でも禍々しい印象しかない。
「けどアイシャがいなかったらもっと犠牲者が出ていたかもしれないよ」
エンヤが見上げる。
アイシャはその視線から逃げるように修道服を被った。醒めた服の冷たさと微かに残るエンヤの甘い香りが身体を包む。まるで彼女に身を重ねているみたいな感じがして心音が激しくなった。
「あ、あたしはただ島に行きたかっただけ。トラブルで船を引き替えされたら困る……それだけ」
「結果的にはアイシャがみんなを守ったんじゃない? あのまま放っていたらもっとネズミにされる人が増えていたと思うよ」
「……」
アイシャは顔を伏せた。
エンヤの邪気のない言葉に照れているのを自覚した。復讐の念に囚われている自分の心に温かなものが流れていくような気分になる。
天使のささやきはこういうものではないか。
そんなふうに知覚する自分に彼女は無表情で驚いた。
どうしよう、まともに顔を見ることができない。
エンヤが続ける。
「それにその能力は攻撃的だけどアイシャ自身がそれに飲み込まれている訳じゃないでしょ? あなたはポワキンとは違う。ポワキンのこと事情聴取のときに聞いたの。彼は両親から虐待を受けて育った。何年も暗い部屋に閉じ込められて食事もほとんど食べさせてもらえなくて辛い少年時代を過ごしてきたんだって……だから心を歪ませてもいいってものではないけど……」
「精霊につけ込まれたのかもね」
ぎこちない感じにならぬよう気をつけながらアイシャは推する。
ポワキンは自分がなりかけていた姿なのかもしれない。
家族を、仲間のシスターたちを、マリーを失った絶望と悲しみが「それ」を呼び寄せたのだ。あの襲撃事件が精霊にとっても都合の良いきっかけであったのは疑いようもない。
怒りの精霊は取り憑くべき相手に取り憑いたのだ。
このまま契約者であり続けるのであればいつかポワキンのようになってしまうのかもしれない。
そのとき、自分はどうなってしまうのか……。
「アイシャ?」
疑問符混じりに呼びかけられるがアイシャは目を閉じる。
きゅっと拳を握る自分がいた。心の内にあるものは復讐の念。自分の大切なものを守ってくれなかった神様への怒り。何もできずにいた自分への嫌悪。
あたしは心が汚れている。
ちらとエンヤを見た。
可愛らしい彼女に少しだけ心が癒される。この気持ちが何であるか容易には認められないものであったが嫌ではなかった。
彼女ともっといたい。
だが、この気持ちを伝えるつもりはない。感情に対して矛盾しているが判断は間違えていないと思った。
自分はただの通りすがりだ。
船から降りたらエンヤと関わるのはやめよう。
あたしの復讐にこの娘は巻き込めない、巻き込みたくない。
もう二度と大切な人を失いたくはなかった。
「あの道化師の人……ポワキンだっけ? あの人は施設に入れられちゃうんだよね」
「そうね」
アイシャは応えながら修道服を脱いだ。
突然の行為にエンヤがぎょっとするのも構わず下着姿のままボストンバッグに手を伸ばす。中からソーイングセットを取り出すとベッドに腰かけて修道服の右肩を繕いだした。ここはポワキンと戦ったときに政府の役人に撃たれた個所である。
修道院では日々の祈りの他にもいろいろとやることがあった。炊事、洗濯、掃除そして裁縫をアイシャは修道院で学んだ。
とはいえ得手不得手は誰にでもある。
ただ縫っただけの肩を見てエンヤが手を振った。
「ちょっと、そんな雑な縫い方じゃ駄目だよ!」
アイシャは手を止めた。裁縫が苦手なのは自分でもわかっていたが騒がれるほど酷いとは思っていなかった。
抗議を込めてエンヤを睨むが彼女は臆することなく修道服をひったくっていく。
ちょこんとアイシャの隣に座った。
「これ結構いい服なんだからきちんと繕わないともったいないよ」
手慣れた様子でエンヤが修道服を縫い直していく。アイシャは黙って見ているしかなかった。
というか口出しする余地もない。いや、この場合は手出しというべきか。
「私、孤児院で下の子たちの破いた服とかよく直していたんだよね。あと着られなくなったものを仕立て直したり」
アイシャはうなずいた。
なるほど、上手くて当然か。
経験値が違う。
丁寧に針を動かして繕い終えるとエンヤは歯で糸を切った。
「はい、できた」
にっこり笑ってエンヤは修道服をアイシャに返す。
その顔があまりに愛らしくて再びアイシャの心音を乱れさせた。
とくんとくんと高鳴るリズムに狼狽えつつエンヤに礼を言う。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。それでさっきの話なんだけどさ」
エンヤが話を戻した。
「政府の人は危険な契約者(リンカー)を収容するための施設だって言ってたけどそんなふうに閉じ込めておけるのかなぁ? あの道化師の能力だけでもかなり手を焼きそうだよ」
「力で抑えつける……とかではなさそうね」
一人や二人ならともかく何人もいるであろう施設でそれは不可能だとアイシャは思った。それともどんな能力をも凌駕する圧倒的な力を有する誰かがいるのか。
アイシャは自分でこの推測を否定した。力では力を完全には抑制できない。それができると判じるのは傲慢というものだ。
星神島は特別……。
アイシャはぼんやりと思い至った。事情聴取を受けていたときに政府の役人が口にした言葉だ。もしかしたら答えはそこにあるのかもしれない。
「わ、私たちも何かあればその施設に入れられちゃうのかな」
エンヤがさも恐ろしいことのように言う。不安が顔に出ていた。
暗くなったエンヤの柔らかな髪にそっとアイシャは触れる。ボブカットの栗色の髪はさらさらだ。ぽんぽんと優しく叩いた。
「心配ないわ、あなたの精霊は危険じゃないもの」
「……アイシャ」
エンヤの頬に朱が走る。
速まっていく胸の鼓動がエンヤに届きそうでアイシャは彼女から目をそらす。
誤魔化すように立ち上がった。
「それに危険というのならむしろあたしのほうが危険」
ダーティワークは「殴る」能力。
それを授けたのは怒りの精霊。
自分でも禍々しい印象しかない。
「けどアイシャがいなかったらもっと犠牲者が出ていたかもしれないよ」
エンヤが見上げる。
アイシャはその視線から逃げるように修道服を被った。醒めた服の冷たさと微かに残るエンヤの甘い香りが身体を包む。まるで彼女に身を重ねているみたいな感じがして心音が激しくなった。
「あ、あたしはただ島に行きたかっただけ。トラブルで船を引き替えされたら困る……それだけ」
「結果的にはアイシャがみんなを守ったんじゃない? あのまま放っていたらもっとネズミにされる人が増えていたと思うよ」
「……」
アイシャは顔を伏せた。
エンヤの邪気のない言葉に照れているのを自覚した。復讐の念に囚われている自分の心に温かなものが流れていくような気分になる。
天使のささやきはこういうものではないか。
そんなふうに知覚する自分に彼女は無表情で驚いた。
どうしよう、まともに顔を見ることができない。
エンヤが続ける。
「それにその能力は攻撃的だけどアイシャ自身がそれに飲み込まれている訳じゃないでしょ? あなたはポワキンとは違う。ポワキンのこと事情聴取のときに聞いたの。彼は両親から虐待を受けて育った。何年も暗い部屋に閉じ込められて食事もほとんど食べさせてもらえなくて辛い少年時代を過ごしてきたんだって……だから心を歪ませてもいいってものではないけど……」
「精霊につけ込まれたのかもね」
ぎこちない感じにならぬよう気をつけながらアイシャは推する。
ポワキンは自分がなりかけていた姿なのかもしれない。
家族を、仲間のシスターたちを、マリーを失った絶望と悲しみが「それ」を呼び寄せたのだ。あの襲撃事件が精霊にとっても都合の良いきっかけであったのは疑いようもない。
怒りの精霊は取り憑くべき相手に取り憑いたのだ。
このまま契約者であり続けるのであればいつかポワキンのようになってしまうのかもしれない。
そのとき、自分はどうなってしまうのか……。
「アイシャ?」
疑問符混じりに呼びかけられるがアイシャは目を閉じる。
きゅっと拳を握る自分がいた。心の内にあるものは復讐の念。自分の大切なものを守ってくれなかった神様への怒り。何もできずにいた自分への嫌悪。
あたしは心が汚れている。
ちらとエンヤを見た。
可愛らしい彼女に少しだけ心が癒される。この気持ちが何であるか容易には認められないものであったが嫌ではなかった。
彼女ともっといたい。
だが、この気持ちを伝えるつもりはない。感情に対して矛盾しているが判断は間違えていないと思った。
自分はただの通りすがりだ。
船から降りたらエンヤと関わるのはやめよう。
あたしの復讐にこの娘は巻き込めない、巻き込みたくない。
もう二度と大切な人を失いたくはなかった。