第8話 ジョーカーとクラナド その5

文字数 2,635文字

 アイシャは咄嗟に拳を打ち、ジョーカーの右手を払い除ける。
 ウヒャヒャヒャヒャヒャと耳障りな笑い声がまた聞こえた。
「抵抗しても無駄だよ」
 ポワキンが嘲う。
「僕のジョーカーはすごいんだよ。大人だろうと子供だろうと、たとえマッチョな役人だろうとみーんなネズミにしちゃうんだ。まさに最強、まさに無敵、僕のジョーカーに勝てる奴なんてどこにもいないよ」
「もういい、それ以上動くな!」
 ダークスーツの男が喚いた。
「ポワキン、お前は完全にイカれた契約者(リンカー)だ! お前のような奴は星神島の施設に送られて当然なんだよ。大人しく島に連行されろ! そして二度と出てくるな!」
「だ・か・ら、嫌だって。頭悪いの? ネズミにしちゃうよ」
 どのみちネズミにするつもりだったくせに。
 アイシャはそう思いながら半身をひねった。勢いをつけて拳を突き入れる。
「ウダァッ!」
「無ダムだ」
 パシリとジョーカーの左手が受ける。
 くっ、とアイシャが一声漏らし身を屈める。すぐに膝を立てて全身をバネのように伸ばして下からぶん殴った。
 アッパーカットにジョーカーが体勢を崩す。アイシャは連続攻撃に移った。
「ウダダダダダダダダ!」
 拳の連撃にジョーカーが激しく身を振動させる。
 手応えがあるかと問われればない。だが、それでもジョーカーの動きを鈍らせることはできた。僅かにできた隙をアイシャは見逃さない。
 ずいとポワキンとの距離を詰め、一撃を……。
 銃声。
 何かがアイシャの右肩に命中し、軽い音を鳴らした。殴りかかっていた彼女の腕から力が抜けていく。興奮のせいかすぐに痛みを感じなかった。数秒遅れて銃で撃たれたのだと自覚する。
 ジョーカーが勝利を確信したかのようにウヒャヒャヒャヒャヒャと笑った。
「アイシャ!」
 エンヤが悲鳴を上げる。
 ジョーカーの右手が倒れかけたアイシャの胸へと放たれた。
 刹那。
 ニャーオ!
 白い猫がドスンとジョーカーに体当たりした。不意打ちを受けたからかジョーカーが大きくよろける。猫はジョーカーの顔に一撃おみまいすると華麗に宙返りを決めて着地した。
 ちっ、とポワキンが舌打ちする。
「どいつもこいつも……ああ、邪魔くさい」
「……」
 アイシャは傷の痛みに耐えてポワキンを睨めつける。気づかぬうちに額に汗をかいていた。両手を包む黒い光のグローブはまだ消えていない。それどころかどくんどくんと脈打っていた。
 激痛はある。
 だが、立てないかというとそうではなかった。おそらくはダーティワークの能力の副産物でもあるのだろう。少しずつではあるが痛みが弱まってきた。
「クラナド!」
 アイシャの後ろでエンヤが命じる。猫がニャーと鳴き、薄緑色の光を纏った。
 アイシャの身体に前足で触れる。
 心地良い温かな光がアイシャに流れた。ほわんと音を立てて瞬時に撃たれた肩の傷を塞ぐ。修道服の肩口が破けていなければとても銃創があったとは思えぬ治癒能力であった。
「痛いのは我慢してね」
 エンヤが言った。
「クラナドができるのは『塞ぐ』ことだけだから。それに……」
「後で聞く」
 アイシャは短く応じ、ファイティングポーズをとった。しっかりとポワキンを見据え、拳にさらなる怒りを込める。
「契約者(リンカー)がもう一人」
 ダークスーツの男が苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「こいつら……学園行きの奴らか」
 このときのアイシャには男の言っていることがわからなかった。だが、そんなことはどうでもいい。
 余計なことは後だ。
 量拳を強く、より強く握った。
 ぶちのめす!
 全身に力が漲った。黒くて澱んだ何かとてつもなく邪悪なものが内側からふつふつと沸いてくる。修道服を着た者にはおよそ相応しくない衝動があった。神への信仰を捨てていなければとても堪えられないであろう自己嫌悪が快感へと転じていく。
 怒れ。
 怒れ。
 怒れ。
 傷の痛みがほとんどなくなる。アイシャはニヤリと笑い、ポワキンへと突進した。
「ウダァッ!」
 殴りつけた拳がジョーカーに阻まれる。しかし、この一発は重かった。アイシャの力は増していた。ダーティワークの「殴る」能力は明らかに一段階上がっていた。
 怒れ。
 怒れ。
 怒れ。
 アイシャは気合いを入れた。
「ハアァァァァァァァァァァ!」
 拳の黒い光がまばゆく輝く。
「ダーティワーク!」
 強烈な一撃がジョーカーにヒットした。ぎゃああああっという男の子のような悲鳴が聞こえる。
 アイシャは戦いのルールに一つ付け加えた。
 能力の強さに明確な差があるときはダメージを与えられる……らしい。
 アイシャはもう一歩踏み込んだ。
 このまま本体を叩くっ。
「この化け物どもめ!」
 ダークスーツの男が銃を構え直す。
 引き金を引こうとしたとき、白い猫が男に飛びかかった。
 ニャーッ!
 あらぬ方向へ向けて男が射撃する。甲高い音が通路中に響いた。ガンッとどこかで銃弾が跳ねる音がする。
「あたしはもう神を信じていない」
 冷たくポワキンを見つめ、アイシャは告げた。
「けど、あんたの代わりに祈ってあげる」
 頼りのジョーカーの動きはひどく鈍い。ポワキンの顔が引きつった。その目が大きく見開かれ初めて恐怖の色を示す。
 アイシャは手早く十字を切った。

 アーメン。

 彼女は殴った。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……ウダァッ!」
 拳が幾重にもなってポワキンを打つ。顔に、胸に、肩に、腹に、四肢に、ありとあらゆる部位に打撃が浴びせられた。拳の衝撃にポワキンが奇妙なダンスを踊る。声を発していたがもはや言葉を成していなかった。
 最後の一撃で吹っ飛ばされ、ようやくポワキンは拳のラッシュから解放された。
 ドゴッとダークスーツの男にぶつかり二人仲良く仰向けに倒れる。
 すうっとジョーカーが空間に溶け込むように消えた。
 アイシャは戦いの終了を確信し、胸の前で十字に指を運びかけてやめる。さっき神を信じていないと言ったばかりなのに。
 これでは矛盾しているわね。
 アイシャはクスリと自嘲し、エンヤに振り返った。
 ぽかんと口を半開きにして呆気にとられている彼女にたずねる。
「それで? この猫は何なの?」
 
 
 
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