第48話 彼の告白

文字数 2,905文字

「そう、そんなことを言われたの」

 アボイドノートから脱出したアイシャとミセスは元の世界に戻っていた。

 そして自分たちの体験をドリスたちに話した最後にアイシャがアボイドからのメッセージを伝えた。

 厳密にはアボイドの言葉ではなかったのかもしれない。だが、アイシャは彼からのものだと判じた。少なくともあの精霊はアボイドの残留思念を依り代に進化したのだ。ある意味ではアボイドだと言って良いだろう。

「たぶんあなたのお察しの通りよ。ええ、私とアボイドは恋仲だったの」

 ドリスが僅かにはにかんだ。

 その表情は魔女と呼ぶより乙女のようだ。

 食堂のテーブルを挟むようにアイシャたちは座っていた。アイシャとミセス、ドリスとヨウジと二人ずつ並びポピンズ夫人はキッチンでお茶の支度をしている。

 テーブルの上には一冊の古めかしいノート。アボイドノートだ。

 その内容はアイシャとミセスの頭に収まっていた。

 ドン、ドンと時折大きな衝撃音が響く。

 外部からの攻撃だということはすでに明らかだった。ポピンズ夫人がそう明言しているのだ。

 彼女のホームスイートホームが外にいる敵の存在を報せていた。そしてこの力は強固な防御力を有している。水色館の中にいる限り安全は保証されていた。

「私がいないときに彼は襲われたの。ソウルハンターは子供を人質にとって脅してきたわ。だから彼は秘密の一部を漏らしてしまった」
「……」

 ドリスの横でヨウジが何か言いたそうな顔をしている。

 ミセスがドリスに疑問をぶつけた。

「君はその場にいなかったんだよね? それなのにどうしてアボイドが襲われたときのことを知ってるの?」
「その子から聞いたからよ。十二年前の話だから当時は五歳ね」
「五歳……」

 自分も家族が殺されたとき五歳だった、とアイシャは思い出す。

 人の死、それも殺人を目の当たりにしたその子はどれほどのショックを受けたことだろう。想像するだけでも胸が痛む。

 シスターマリーの形見のロザリオにそっと触れた。

 彼女ならその子を救えたはずだ。自分もシスターマリーに救われたのだから。

「隙を突いて子供を助けた代わりにアボイドは命を落としたわ。生前の彼がどんな能力を持っていたか、何の精霊の契約者(リンカー)だったのか、私からあなたたちに教えるつもりはない。でも、彼には手に余る力だったとだけは言える。だからこそ彼はその力を無にする方法を求めたの」
「恋人を殺されたのに仇を討とうとはしなかったの?」

 ミセスの問いはもっともだとアイシャは内心うなずいた。ドリスのフライミートゥザムーンならローゼンバーグに十分に対抗できるだろう。

 ドリスは苦笑し、中空に目を遣った。そこに語るべきことが綴られているかのように彼女は返す。

「たとえソウルハンターに報復してもアボイドは戻って来ないわ。だったら逆に利用してやろうって私は決めたの。ソウルハンターが万物の精霊を求めるなら彼からその力を横取りしてしまえばいい。万物の精霊ならアボイドを蘇らせられる。私の大切な人を取り戻すことができる」
「そっか」

 ミセスが納得したようにうなずいた。

 彼は幼馴染みを交通事故で亡くしている。

 異空間にいたときにミセスが言っていたのをアイシャは思いだした。彼もまた大切な人を失っているのだ。

「それなら僕もこの島に来た目的を果たせそうだ。その万物の精霊の力なら彼女を生き返らせられるんだよね?」
「ええ」

 数秒間をおき、ドリスが提案した。

「私と手を組まない? ソウルハンターはすでに精霊と契約者(リンカー)をカード化したものを五十枚揃えている。必要な数に達するのは時間の問題。あなたたちが協力してくれれば、彼を出し抜くことも可能かもしれない」
「……」

 アイシャはミセスを見た。彼は即答せず目を瞑っている。

 バラ園の一件もありアイシャはドリスへの不信感を抱いていた。だが、彼女が敵であるならばもうとっくに「フライミートゥザムーン」で始末されていたのではないかとも思う。

 それにドリスも大切な人を失っている。

 ……まあ、裏切られたときはぶちのめせばいいか。

 無言でつぶやき、アイシャは首を縦に振る。

 ドリスとの力の差は歴然だがそのときはそのときと割り切ることにした。少なくとも今は彼女の能力の正体を知っている。今は勝てないが、あのベクトルを操る力にだって弱点はあるはずだ。

 ミセスが目を開けた。

「わかった、協力するよ。でも条件がある」
「条件?」
「僕は君の精霊と能力を知らない。まずそれを見せてくれる? それと弱点も教えて」
「なっ」

 声を上げたのはヨウジだ。彼は立ち上がった。

「おい、いくら何でもそれはないだろ。弱点なんてそう簡単に……」
「いいわ、教えてあげる」

 ドリスがヨウジを横目で見た。彼の意思とは無関係に椅子に座らされる。「ちょっと待て、おい、やめろ」と慌てる口が目に見えぬ力で閉じられた。

 もう抵抗しても無駄だと悟ったからかヨウジは大人しくなる。

 あるいはこれもフライミートゥザムーンによるものなのかもしれない。

「私は月の精霊の契約者(リンカー)」

 ドリスは三つ編みにした赤髪を飾る黒いリボンを手にした。リボンについている乳白色の宝石がキラリと光る。

「能力名はフライミートゥザムーン。あらゆるベクトルを自在に変えることができる」
「それで? 弱点は?」
「有効範囲が指定したポイントから二メートル以内ってことね。ただしポイント自体は私の視界内ならどこでも指定できるけど」

 ふうん、とミセスが薄く反応した。

 ドリスが能力を解除する。

 自由になったヨウジがうんざりした面持ちでため息をついた。どこか諦めたように肩を竦める。「せめてやるときは一言くれよ」と不平を漏らした。

 聞こえているはずのドリスはニコニコと微笑んでいて素知らぬふりだ。

 ドンッとここまでで一番大きな衝撃音がした。これほどの攻撃を外から加えられているのに建物はびくともしない。

 アイシャがホームスイートホームの鉄壁さに感心していると横から声が飛んできた。

「そういえば君に聞きたいことがあったんだ」
「何?」

 アイシャが促すとミセスは言った。

「君は聖アルガーダ修道院にいたの?」
「えっ」

 意外な質問にアイシャの胸の鼓動が乱れた。

 はっとした彼女はミセスに向き直る。そこには真面目な顔の女装男子がいた。しかしあまりにも美形過ぎるためにぱっと見では女にしか見えない。

 左胸にある青リンゴのワッペンについた薄緑色の宝石は光を無くしている。食堂に場を移すときにミセスとヨウジが狼のような化け物に襲われたのだと聞いていたが想像以上にその戦いで消耗してしまったようだ。

 そういえば連絡船で助けてもらったとき「セーフティパイは使うと結構疲れる」と彼は言っていた。

「アイシャ?」

 ミセスが首を傾げる。

「質問に答えてくれる? それとも答え難いことだった?」

 アイシャは小さくかぶりを振った。

「そうじゃないの……ええ、あたしは聖アルガーダ修道院にいたわ。けど、どうしてそれを?」
「あそこの修道院長のシスターマリーは僕の恩人なんだ」

 ミセスの告白にアイシャの時間が一瞬止まった。
 
 
 
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