第18話 さらなる闇に(トップナイフ戦・決着)

文字数 2,570文字

 鈍い音を立てながらエンヤの身体から緑色の長い刃が引き抜かれる。

 それはアイシャの目にとてもゆっくりと見えた。糸の切れた操り人形の如くエンヤがその場に崩れる。

 白い猫がニャーと鳴いて、主の元へと走り寄った。

 淡い薄緑色の光が猫とエンヤを包む。光は僅かな時間で消え失せ、エンヤに溶け込むように白い猫は消滅した。

 モヒカンの男がぺっと唾を吐く。

「こいつ……契約者(リンカー)だった……のか」

 トップナイフの傍に倒れたエンヤの傷は塞がっていた。出欠もきれいに消えている。

 治癒の精霊が力を振り絞ったのは明らかだった。

 そして力を使い果たしその存在を維持できなくなったのも直感的にアイシャは理解できた。

 白い猫……クラナドはもういない。

 エンヤも。

 アイシャは自分の頭に浮かんだ言葉を振り払うように首をブンブンとさせた。

 彼女の中の「それ」がここぞとばかりにささやく。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 握り締めた拳に黒い光が宿った。

 どくどくと黒い光のグローブが脈打ちアイシャの心音と連動する。波打つように、その波紋が広がっていくように全身に怒りに煮えたぎる熱い血液が流れていった。

 エンヤ。

 アイシャの心が闇に染まっていく。

 快楽に溺れる「それ」が歓喜の悲鳴を発した。

 エンヤが望んでいたものとは逆の状態にアイシャは堕ちかけていた。闇が彼女を飲み込もうとしていた。

 量拳の黒い光のグローブにさらなる変化が生じる。

 強い輝きを伴いグローブの甲に黒い宝石が現出した。左右の拳と対になるような同一のデザインだ。喜びに震えているかのように一対の黒い宝石はきらきらと光った。

 アイシャはファイティングポーズをとる。

 モヒカン男が叫んだ。

「トップナイフ!」

 巨大なカマキリの姿をした化け物が前傾姿勢をとり背中からいくつもの緑色の光りが放出される。

 緑色の光は全て十センチほどのナイフに変じ、一斉にアイシャ目掛けて向かっていった。

「ウダァッ!」

 彼女は拳を一振りし、それらを拳圧デ叩き落とす。

 甲板の床に接するとナイフは砕けて消えた。金属音にも似た音がパリンパリンとあたりに響く。

 ちっ、とモヒカン男が舌を打った。

「嘗めたことを……しやがって」

 アイシャはダッシュした。あっという間に男との距離を詰める。

「ウダァッ!」

 殴りつけた拳を緑色の長い刃が阻む。一度敗北しているはずなのに巨大なカマキリの姿をした化け物はその俊敏さを増していた。

 ケラケラケラと笑いとも威嚇ともとれる声が頭の中で聞こえ、アイシャはぎりっと奥歯を噛む。

 ぶちのめす!

 力が込み上げてきた。

 心の底から憤怒で震えてくる。

 彼女と契約した「それ」がより一層激しく煽ってきた。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 トップナイフの左右の長い刃をそれぞれ打ち退く。拳の威力が一発一発と振るうごとに強くなっていた。

 うぐぐ、と男が唸り、苦々しくつぶやく。

「このままじゃ……ソウルハンターに顔向け……できねえ」

 聞き覚えのある、いや忘れてはならぬ名前を耳にしてアイシャはやはりそうかと得心した。

 だからといって怒りが萎える訳ではないが。

 男が喚く。

「ぶっ殺す! 絶対にぶっ殺す!」

 至近距離でトップナイフが前屈みになり、さっきの攻撃を仕掛けてくる。背中から放たれた緑色の沢山の光りがナイフになってアイシャを襲った。

 だが、アイシャは動じることなく拳を連発する。

「ウダダダダダダダダ!」

 一つとして漏らさずナイフを殴り落とす。パリンパリンという金属のような破砕音が重なった。

 大振りでトップナイフの二つの長い刃が斬りかかる。

 アイシャは両手で刃を止めた。狙ったように真ん中の足が突いてくる。彼女は後ろに回転して回避した。追い掛けるように長い刃が斬撃を浴びせようとする。

 彼女は右手でそれを払い、左手を支点にもう一回転しながら立ち上がる。黒い修道服が反動で大きく波を打った。

 今さらながら服の邪魔くささを意識しつつ再度トップナイフに突っ込む。

「ウダダダダダダダダダダダダダダダダッ!」

 ラッシュをぶち込む。

 トップナイフの反応がアイシャの連続攻撃に遅れた。ガードをはじき、彼女はもう一歩踏み込む。

 頭の中で「それ」が騒ぐ。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 男が吠える。

「俺は負けねえ! ソウルハンターに仇なす奴は……誰だろうとぶっ殺す」

 うるさい。

 アイシャは渾身の力を込めてトップナイフの胸部を殴る。

「ダーティワークッ!」

 ゴボッと拳大の凹みができ、そこから放射状にひびが走る。ダーティワークのパワーが完全にトップナイフのそれを上回っていた。

 この力は怒りの精霊が授けたもの。

 怒りの精霊の糧は……。

 トップナイフの支えを失い倒れ込んだ男の胸倉をアイシャは掴む。

 ソウルハンターの仲間なら聞いておかなくてはならないことがあった。

「あいつは……ソウルハンターはどこにいるの?」
「……」

 凄んでみせた。

「言いなさい! あいつはどこ? 何者なの?」

 ぺっ、と男が唾を吐いた。アイシャの顔にかかり一瞬怯む。

 その好機を逃すまいといった感じで男が後ろに仰け反った。勢いをつけていたからかアイシャの手から離れる。

 緩やかな動きのトップナイフが間に割り込んだ。

 ぜえぜえと息を切らせて男が睨む。今の状態ではトップナイフのコントロールをするだけでもかなりの消耗になるようだった。

 攻撃を警戒して身構えるアイシャに男が言った。

「……俺は恩を裏切るなんてしねえ……そんなことをするくらいなら……」

 はっ、と思ったとき、トップナイフが男に向かって長い刃を逆刃で振るった。男がそれを避けることなく真っ正面から受け止める。そのまま彼は海に放り投げられた。

 ザブンと質量のある飛沫音がし、すぐに波の音にとって替わる。

 トップナイフが「ケラケラケラ」と鳴きながら空気に溶けていく。今度こそ戦いは終わりのようであった。

 アイシャは甲板の縁まで駆け寄り、身を乗り出して海を見回す。

 男の姿はどこにもない。

 ただ暗く青い海が広がり、舟に波を打ちつけていた。

 アイシャは振り返り、エンヤの元へと駆け寄った。膝をつき、命の抜け殻となった彼女を抱き寄せる。

 主よ、あなたはまたあたしの大切な人を奪うのですか?

 信仰を捨てていたはずなのに、アイシャはそう問いかけていた。
 
 
 
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