第36話 とても軽い一撃
文字数 2,609文字
バビューン!
白い光を纏ってミックスサンドが狼のような化け物へと飛んでいく。
ヨウジは着弾を確認せずに走った。狙って撃った場合、ラッドウィンプスの光弾は迎撃でもされなければ確実に命中する。仮に遮蔽物があってもそれを避けながら飛んでいくのだ。
そして、その射程は島の北端から南端まで届く程長い。
唸り声を上げる化け物たちの殺気が闇の中に充満していく。気配は黒くその色を染め、本来は聞こえないはずの怒りが獣染みた狂気とともに伝わってきた。感覚の耳が嫌が追うにも敵意を拾ってくる。
その黒さに紛れるようにリアルの息遣いが聞こえていた。能力の酷使がはっきりとわかるくらいにミセスが消耗している。透化はもう解けかかっていた。視界はかなりクリアになっておりヨウジの自己認識としても実体化してきているのだとわかる。
ヨウジたちは交差点を左に折れた。
あとはこの道をまっすぐに進めばいい。
水色缶への道は舗装された車道と歩道に分かれていた。車道と歩道の間にはコンクリートブロックが敷かれている。水色館への道には数件の民家と学生寮があるがいずれも建物同士の幅が広くとられていた。脇に並ぶ塀や低木が何となくもどかしい気分を誘う。ヨウジは水色館への道をいつもよりずっと長く感じた。
「ところで」
ミセスが訊いてきた。
「道案内を頼んでおいてあれだけど、どうして君が水色館の場所を知ってるの?」
「知り合いがいるからな」
無論アイシャのことではない。
今、ヨウジの頭に浮かんだのはニーソックスミニスカメイド姿をした恩人であった。水色館の女主人であり寮母。そしてこの島の土着の契約者(リンカー)。
ヨウジは無粋な化け物を引き連れて赴かねばならないことに若干の心苦しさを抱いた。しかし、彼女のホームスイートホームならこの化け物たちから自分を守ってくれる。母親の庇護を求めるようでみっともないことではあるがそうせざるを得ない状況だということも理解していた。
ミセスの能力があてにならないとなればなおさらである。
青い狼の化け物のうちの数体がヨウジ達の脇を走り抜ける。化け物は数メートル先でくるりと身を反転させ道を塞いだ。
やむなくヨウジたちは足を止める。
ちっ、とヨウジは舌打ちした。
前方の化け物たちの向こうに水色館のポーチの明かりが仄かに見える。距離はあと少し。その明かりまでどうやって辿り着こうかと頭を巡らせる。走ればそんなにかからない距離だというのに酷く遠く思えた。
化け物がそろって額の宝石を光らせる。
「もう逃げ切れないぞ」と言っているようだった。口を開け、鋭い牙を覗かせる。吐き出された吐息が色を伴って凶悪さをまき散らしているふうにも見えた。
どうする?
ヨウジは自問する。ラッドウインプスの弾になりそうなものはもうなかった。レジ袋も中にあるあんパンの包みも弾にするには弱すぎる。何でもいい訳ではなかった。威力を求めるならある程度の重さか硬さは欲しい。
小石でもないかと足元に目をやるが手頃なものはない。いっそ他人の敷地に入って植木鉢かプランターでも拝借したいくらいだった。
そんな余裕はなさそうだが。
ラッドウインプスがヨウジの前に出てふんと鼻息を荒くする。頼もしい限りだがこの天使の姿をした精霊には引っ込んでいてもらうことにした。むんずと肩を掴んで自分の後ろに回す。消しておけばいいのだろうがそうすると能力も使えなくなるからそうもいかない。難儀なものだ。
「ねぇ」
と、ミセス。
「君の能力、硬貨も弾にできるよね」
「ああ」
うなずかずに答えた。
「一円だと軽すぎてアレだけどな。あと俺の財布に小銭はない。支払いはいつもキャッシュレスだ」
「そっか」
ミセスが短く返し、数回首肯した。何かを自分の中で納得させているようでもあった。
きらり、と化け物のうちの一体が額の宝石を輝かせる。
全ての化け物が地を蹴った。
飛びかかってくる化け物の群れ。怒りと凶暴さが夜闇から降ってきた。
ヨウジは反射的にダッシュし、牙の一つから逃れる。むき出しの歯牙が袖を掠めた。
縫うようにラッドウインプスが化け物の身体を避け、それに合わせてヨウジもステップを踏む。
手首を引っかかれ、服の脇を裂かれる。喉を狙ってくる化け物もいたが辛うじてヨウジは噛まれるのを免れた。横腹に顎に鼻面に拳を浴びせ蹴りを食らわせたが倒すには至らない。やはり素手では駄目かと嘆息する。
厄介だ。
「……なるほど」
ぽつりと漏らし、ヨウジはさらに牙をやり過ごす。感覚が鋭くなっていた。化け物の動きは一見バラバラのようでいてその実統率されていると気づく。敵本体は攻撃できないがこの群れのリーダーは叩けるかもしれない。そんな考えが浮かんだ。
化け物のデザインは同一だ。しかし、その額の宝石の光具合には微妙に差異がありリーダー格がわかった。
ヨウジはその一体を目で追う。チカチカと額の宝石を点滅させ他の化け物たちへの指示を出していた。だが、見た目が一緒なのでふとしたことで見失いそうだ。それにこの一体を倒したとしても状況が好転する保証はなかった。
そもそも有効な攻撃手段がない。
ちらとミセスを見遣ると彼は飛びついた化け物に蹴りを放っていた。ふわりとピンク色のワンピースが波を打つ。亜麻色の縦巻きロールが優雅に宙を舞った。
「ああもう、こいつら鬱陶しい」
確かに。
「おい、まだ走れるか……くっ!」
ヨウジがミセスに声をかけたとき、一体に左腕を噛まれた。
食い込んだ牙の痛みが熱を帯びる。脇腹に膝蹴りして強引に腕から外した。グルル……と低い唸りが闇に絡みつく。食いちぎられずに済んで助かったが気は抜けなかった。突進してきた別の一体の顎を思いきり蹴り上げる。
僅かに出来た隙間を突いて化け物たちから離れる。負傷した左腕の痛みが足を鈍らせた。情けないくらい脚が重い。水色館まで行けそうな気がしなかった。
ミセスが叫んだ。
「君のそのレジ袋、弾にならないの?」
「これだと威力が足らない」
「それでもいいよ! ただし、狙うのは水色館だっ!」
「はい?」
ミセスが汗を流しながら言う。
「君の光弾で水色館を撃つんだ。上手くいけば誰か気づいてくれるんじゃない?」
「……」
ヨウジはすぐにレジ袋ごと左手の上に置いた。
これはとても軽い一撃だ。
ただし、闇雲に撃つのではない。把握している位置に狙って右手の人差し指で弾いた。
白い光を纏ってミックスサンドが狼のような化け物へと飛んでいく。
ヨウジは着弾を確認せずに走った。狙って撃った場合、ラッドウィンプスの光弾は迎撃でもされなければ確実に命中する。仮に遮蔽物があってもそれを避けながら飛んでいくのだ。
そして、その射程は島の北端から南端まで届く程長い。
唸り声を上げる化け物たちの殺気が闇の中に充満していく。気配は黒くその色を染め、本来は聞こえないはずの怒りが獣染みた狂気とともに伝わってきた。感覚の耳が嫌が追うにも敵意を拾ってくる。
その黒さに紛れるようにリアルの息遣いが聞こえていた。能力の酷使がはっきりとわかるくらいにミセスが消耗している。透化はもう解けかかっていた。視界はかなりクリアになっておりヨウジの自己認識としても実体化してきているのだとわかる。
ヨウジたちは交差点を左に折れた。
あとはこの道をまっすぐに進めばいい。
水色缶への道は舗装された車道と歩道に分かれていた。車道と歩道の間にはコンクリートブロックが敷かれている。水色館への道には数件の民家と学生寮があるがいずれも建物同士の幅が広くとられていた。脇に並ぶ塀や低木が何となくもどかしい気分を誘う。ヨウジは水色館への道をいつもよりずっと長く感じた。
「ところで」
ミセスが訊いてきた。
「道案内を頼んでおいてあれだけど、どうして君が水色館の場所を知ってるの?」
「知り合いがいるからな」
無論アイシャのことではない。
今、ヨウジの頭に浮かんだのはニーソックスミニスカメイド姿をした恩人であった。水色館の女主人であり寮母。そしてこの島の土着の契約者(リンカー)。
ヨウジは無粋な化け物を引き連れて赴かねばならないことに若干の心苦しさを抱いた。しかし、彼女のホームスイートホームならこの化け物たちから自分を守ってくれる。母親の庇護を求めるようでみっともないことではあるがそうせざるを得ない状況だということも理解していた。
ミセスの能力があてにならないとなればなおさらである。
青い狼の化け物のうちの数体がヨウジ達の脇を走り抜ける。化け物は数メートル先でくるりと身を反転させ道を塞いだ。
やむなくヨウジたちは足を止める。
ちっ、とヨウジは舌打ちした。
前方の化け物たちの向こうに水色館のポーチの明かりが仄かに見える。距離はあと少し。その明かりまでどうやって辿り着こうかと頭を巡らせる。走ればそんなにかからない距離だというのに酷く遠く思えた。
化け物がそろって額の宝石を光らせる。
「もう逃げ切れないぞ」と言っているようだった。口を開け、鋭い牙を覗かせる。吐き出された吐息が色を伴って凶悪さをまき散らしているふうにも見えた。
どうする?
ヨウジは自問する。ラッドウインプスの弾になりそうなものはもうなかった。レジ袋も中にあるあんパンの包みも弾にするには弱すぎる。何でもいい訳ではなかった。威力を求めるならある程度の重さか硬さは欲しい。
小石でもないかと足元に目をやるが手頃なものはない。いっそ他人の敷地に入って植木鉢かプランターでも拝借したいくらいだった。
そんな余裕はなさそうだが。
ラッドウインプスがヨウジの前に出てふんと鼻息を荒くする。頼もしい限りだがこの天使の姿をした精霊には引っ込んでいてもらうことにした。むんずと肩を掴んで自分の後ろに回す。消しておけばいいのだろうがそうすると能力も使えなくなるからそうもいかない。難儀なものだ。
「ねぇ」
と、ミセス。
「君の能力、硬貨も弾にできるよね」
「ああ」
うなずかずに答えた。
「一円だと軽すぎてアレだけどな。あと俺の財布に小銭はない。支払いはいつもキャッシュレスだ」
「そっか」
ミセスが短く返し、数回首肯した。何かを自分の中で納得させているようでもあった。
きらり、と化け物のうちの一体が額の宝石を輝かせる。
全ての化け物が地を蹴った。
飛びかかってくる化け物の群れ。怒りと凶暴さが夜闇から降ってきた。
ヨウジは反射的にダッシュし、牙の一つから逃れる。むき出しの歯牙が袖を掠めた。
縫うようにラッドウインプスが化け物の身体を避け、それに合わせてヨウジもステップを踏む。
手首を引っかかれ、服の脇を裂かれる。喉を狙ってくる化け物もいたが辛うじてヨウジは噛まれるのを免れた。横腹に顎に鼻面に拳を浴びせ蹴りを食らわせたが倒すには至らない。やはり素手では駄目かと嘆息する。
厄介だ。
「……なるほど」
ぽつりと漏らし、ヨウジはさらに牙をやり過ごす。感覚が鋭くなっていた。化け物の動きは一見バラバラのようでいてその実統率されていると気づく。敵本体は攻撃できないがこの群れのリーダーは叩けるかもしれない。そんな考えが浮かんだ。
化け物のデザインは同一だ。しかし、その額の宝石の光具合には微妙に差異がありリーダー格がわかった。
ヨウジはその一体を目で追う。チカチカと額の宝石を点滅させ他の化け物たちへの指示を出していた。だが、見た目が一緒なのでふとしたことで見失いそうだ。それにこの一体を倒したとしても状況が好転する保証はなかった。
そもそも有効な攻撃手段がない。
ちらとミセスを見遣ると彼は飛びついた化け物に蹴りを放っていた。ふわりとピンク色のワンピースが波を打つ。亜麻色の縦巻きロールが優雅に宙を舞った。
「ああもう、こいつら鬱陶しい」
確かに。
「おい、まだ走れるか……くっ!」
ヨウジがミセスに声をかけたとき、一体に左腕を噛まれた。
食い込んだ牙の痛みが熱を帯びる。脇腹に膝蹴りして強引に腕から外した。グルル……と低い唸りが闇に絡みつく。食いちぎられずに済んで助かったが気は抜けなかった。突進してきた別の一体の顎を思いきり蹴り上げる。
僅かに出来た隙間を突いて化け物たちから離れる。負傷した左腕の痛みが足を鈍らせた。情けないくらい脚が重い。水色館まで行けそうな気がしなかった。
ミセスが叫んだ。
「君のそのレジ袋、弾にならないの?」
「これだと威力が足らない」
「それでもいいよ! ただし、狙うのは水色館だっ!」
「はい?」
ミセスが汗を流しながら言う。
「君の光弾で水色館を撃つんだ。上手くいけば誰か気づいてくれるんじゃない?」
「……」
ヨウジはすぐにレジ袋ごと左手の上に置いた。
これはとても軽い一撃だ。
ただし、闇雲に撃つのではない。把握している位置に狙って右手の人差し指で弾いた。