第53話 島の南端へ
文字数 3,105文字
「そう、あいつはカードを全て揃えたの」
目を覚ましたアイシャはヨウジから自分が気を失っていた間のことを聞いた。
自分がローゼンバーグに気絶させられてからの話は耳にするだけでも悔しくて仕方ない。後悔と怒りが否が応でも沸いてくる。
アイシャは酷い顔をしているのを自覚していた。ぴくぴくとこめかみが短く痙攣している。自然と両手が拳を作っていた。
「あいつを追わないと」
決意を新たにそう口にする。
アイシャたちはまだ水色館のキッチンにいた。
ここにいるのは彼女の他にヨウジとポピンズ夫人だけだ。ミセスとドリスはカードにされ、ローゼンバーグはカード化した精霊の力を用いてここから立ち去っていた。
水色の化け物はドリスによってその身体のほとんどを気化されたためか動かなくなっている。ただの水溜まりがキッチンの床に広がっていた。ポピンズ夫人がホームスイートホームで建物の中を調べたが本体らしき姿は見つかっていない。
しかし、たとえどこかに潜んでいたとしても大ダメージを受けているに違いなかった。もしくは死んでいるのかもしれない。
アイシャは頭を振り、思考を切り替えた。
「魂の在処」
ぽつりとつぶやき、彼女は二人にたずねる。
「ここからどう行くべきだと思う?」
アボイドノートから得た知識により魂の在処が島の南端にあるのはわかっていた。問題はそこに辿り着くための方法だ。
アイシャたちのいる水色館は星神島の北側にある。島の南側には海岸沿いの道路を使わねばならなかった。直線ルートで南端に向かうには森林地帯を抜けなければならず、島の人間であってもかなりの時間を要してしまう。それならばむしろ大人しく整備された道路を利用したほうが早かった。
だが、それでも大きく時間をロスしてしまう。
ローゼンバーグが儀式を済ませてからでは遅いのだ。
アイシャはローゼンバーグが瞬間移動能力のカードを持っていることを知っていた。修道院が襲撃されたとき彼はその力を封じたカードを使ったのだ。
もうすでにローゼンバーグが島の南端にいるであろうことは容易に推測できた。五十二の高次の精霊とその器、魂の在処という場所、そして夜明けの星が空に浮かぶ時間。儀式に必要なこれらを彼はもうじき揃えるのだ。
ローゼンバーグが万物の精霊を手に入れてからでは手遅れになってしまう。
しかし、どう行けば……。
アイシャが思い巡らせているとヨウジが気乗りしないようすで言った。
「方法はなくもない」
「……」
アイシャが見遣るとヨウジはポリポリと頬をかいた。
「ただ、俺としてはおすすめしない。もし俺だったら絶対に遠慮したいやり方だからな」
「ヨウジ、まさか」
気づいたらしきポピンズ夫人が声を上げる。その顔に「あり得ない」と書いてあるようにアイシャには見えた。
それがどんなものであれ短時間で島の南端に行けるのであれば選択しない手はない。
アイシャは詰め寄った。
「教えて」
真剣な眼差しでヨウジを凝視する。ヨウジが逃げずに見つめ返した。無言のまま数秒時が流れる。お互いの呼吸が聞こえてしまいそうなくらい緊張感が漂っていた。
やがてヨウジが口を開く。
「俺は南端の砂浜までしか行ったことがない。魂の在処の詳しい位置まではわからないんだ。だから、そこから先はシスターが自分で探すしかない」
「それなら大丈夫。場所はわかるから」
「安全は保証できない。どうなっても責任は持てないぞ」
「いいわ」
「この方法だと俺は一緒に行けない。もちろん後から追いかけるが間に合わないだろう。きっとシスター一人で奴と戦わなくてはならなくなる」
「構わないわ」
「……なるほど」
ヨウジが納得するようにうなずいた。
彼はポピンズ夫人にもうなずきキッチンを後にする。アイシャは黙って後ろをついていった。
少し水に濡れた廊下を玄関まで歩いていく。水色の化け物がここの侵入に成功して内側から玄関の鍵を外したのは簡単に想像できた。そうやってローゼンバーグを水色館の中に導き入れたのだ。
「十二年前」
おもむろにヨウジが言った。
「ローゼンバーグが子供を人質にとってアボイドから儀式の方法の一部を聞き出しただろ?」
「ええ」
アイシャは何となく彼が何を話そうとしているのか察した。食堂でこの話が出たとき彼の態度は明らかにおかしかったのだ。
「そのとき人質にされた子供って俺なんだ。俺はドリスから能力の使い方を学んでいてアボイドとも面識があった」
「そう」
ヨウジは真っ直ぐに前を向いている。しんとした廊下に二人の足音が響いていた。
「アボイドのおかげで俺は助かった。彼は俺の命の恩人だ。そしてドリスは俺に契約者(リンカー)として生きていけるようにしてくれた恩人。だから本当なら俺もシスターと……」
「あなたの分も背負うわ」
アイシャは途中で遮るように宣言した。
「あなただけじゃない、目的を果たせずにカードにされてしまったミセスやドリスの分もあたしが背負う」
「おいおい、何様のつもりだよ」
呆れたようにヨウジが笑った。肩を小さく揺らして彼は付け足す。
「ま、実際の話、シスターに任せるしかないんだけどな」
「ありがとう」
自然と感謝の言葉が漏れた。
アイシャは胸元のロザリオに手を伸ばす。復讐のためにこの島に来たのだがもうそれだけが戦う理由ではなくなっていた。
ローゼンバーグはもはや放置できない存在だ。彼は己の欲望のために多くの人を犠牲にしてきた。そんな奴に万物の精霊の力を与えたらさらなる悲劇を招くに決まっている。
もうこれ以上大切な人が奪われるようなことは御免だった。
それが自分にとってであろうと別の誰かにとってであろうと関係ない。悲しみの連鎖は何があっても断ち切らねばならないのだ。
玄関から外に出るとヨウジは振り返った。
「俺のラッドウインプスの能力でシスターを島の南端の砂浜まで飛ばす」
「……」
アイシャはバラ園での先頭を思い出す。あのときは自分のほうからこの方法を提案していた。ラッドウインプスならヨウジの体重より軽くて左手に置ければ光弾にできる。すでに実証済みのアイデアだった。
「アイシャさん」
滑るように浮遊して玄関まで来たポピンズ夫人が珍しく真剣な面持ちで告げた。
「相手はフライミートゥザムーンの力を使ってくるかもしれません」
「そうね」
そのことは頭にあった。ローゼンバーグのソウルハンターは単に相手をカード化するだけでなくカードにした精霊の力を自分の能力として扱えるようだ。現にミセスのセーフティ・パイも使用していた。
自分には殴ることしかできない。
だが、自分は誓ったのだ。必ずローゼンバーグはぶちのめす。そのためならどうなっても構わない。
ヨウジが身を屈め、左腕の痛みに顔を歪めながらも左手を地に追いた。目だけで「乗れ」と言ってくる。
アイシャはもう一度礼を述べた。
「ありがとう。あなたのこと忘れない」
「今生の別れみたいに言うなよ」
ヨウジが睨んだ。
「ちゃんと迎えに行くからな。絶対に勝て!」
アイシャは了解の代わりにヨウジの頭を優しく小突いた。風の精霊がむうっと頬を膨らませて額の宝石をチカチカさせるが放っておく。
彼女は左手の上に片足で乗った。彼の頭に片手を当ててバランスを保つ。
……やっぱりどこか背徳的な感じがするわね。
などと思っているとヨウジが合図もなしに右手で尻を弾いた。
バビューン。
発射音を鳴らしてアイシャは飛び立った。白い光が全身を包んでいる。どこか温かみのある光だ。
「アイシャさん、頑張ってぇ!」
遠くなっていくポピンズ夫人のどこか緊張感のない声援にアイシャは拳を振り上げて応じるのであった。
目を覚ましたアイシャはヨウジから自分が気を失っていた間のことを聞いた。
自分がローゼンバーグに気絶させられてからの話は耳にするだけでも悔しくて仕方ない。後悔と怒りが否が応でも沸いてくる。
アイシャは酷い顔をしているのを自覚していた。ぴくぴくとこめかみが短く痙攣している。自然と両手が拳を作っていた。
「あいつを追わないと」
決意を新たにそう口にする。
アイシャたちはまだ水色館のキッチンにいた。
ここにいるのは彼女の他にヨウジとポピンズ夫人だけだ。ミセスとドリスはカードにされ、ローゼンバーグはカード化した精霊の力を用いてここから立ち去っていた。
水色の化け物はドリスによってその身体のほとんどを気化されたためか動かなくなっている。ただの水溜まりがキッチンの床に広がっていた。ポピンズ夫人がホームスイートホームで建物の中を調べたが本体らしき姿は見つかっていない。
しかし、たとえどこかに潜んでいたとしても大ダメージを受けているに違いなかった。もしくは死んでいるのかもしれない。
アイシャは頭を振り、思考を切り替えた。
「魂の在処」
ぽつりとつぶやき、彼女は二人にたずねる。
「ここからどう行くべきだと思う?」
アボイドノートから得た知識により魂の在処が島の南端にあるのはわかっていた。問題はそこに辿り着くための方法だ。
アイシャたちのいる水色館は星神島の北側にある。島の南側には海岸沿いの道路を使わねばならなかった。直線ルートで南端に向かうには森林地帯を抜けなければならず、島の人間であってもかなりの時間を要してしまう。それならばむしろ大人しく整備された道路を利用したほうが早かった。
だが、それでも大きく時間をロスしてしまう。
ローゼンバーグが儀式を済ませてからでは遅いのだ。
アイシャはローゼンバーグが瞬間移動能力のカードを持っていることを知っていた。修道院が襲撃されたとき彼はその力を封じたカードを使ったのだ。
もうすでにローゼンバーグが島の南端にいるであろうことは容易に推測できた。五十二の高次の精霊とその器、魂の在処という場所、そして夜明けの星が空に浮かぶ時間。儀式に必要なこれらを彼はもうじき揃えるのだ。
ローゼンバーグが万物の精霊を手に入れてからでは手遅れになってしまう。
しかし、どう行けば……。
アイシャが思い巡らせているとヨウジが気乗りしないようすで言った。
「方法はなくもない」
「……」
アイシャが見遣るとヨウジはポリポリと頬をかいた。
「ただ、俺としてはおすすめしない。もし俺だったら絶対に遠慮したいやり方だからな」
「ヨウジ、まさか」
気づいたらしきポピンズ夫人が声を上げる。その顔に「あり得ない」と書いてあるようにアイシャには見えた。
それがどんなものであれ短時間で島の南端に行けるのであれば選択しない手はない。
アイシャは詰め寄った。
「教えて」
真剣な眼差しでヨウジを凝視する。ヨウジが逃げずに見つめ返した。無言のまま数秒時が流れる。お互いの呼吸が聞こえてしまいそうなくらい緊張感が漂っていた。
やがてヨウジが口を開く。
「俺は南端の砂浜までしか行ったことがない。魂の在処の詳しい位置まではわからないんだ。だから、そこから先はシスターが自分で探すしかない」
「それなら大丈夫。場所はわかるから」
「安全は保証できない。どうなっても責任は持てないぞ」
「いいわ」
「この方法だと俺は一緒に行けない。もちろん後から追いかけるが間に合わないだろう。きっとシスター一人で奴と戦わなくてはならなくなる」
「構わないわ」
「……なるほど」
ヨウジが納得するようにうなずいた。
彼はポピンズ夫人にもうなずきキッチンを後にする。アイシャは黙って後ろをついていった。
少し水に濡れた廊下を玄関まで歩いていく。水色の化け物がここの侵入に成功して内側から玄関の鍵を外したのは簡単に想像できた。そうやってローゼンバーグを水色館の中に導き入れたのだ。
「十二年前」
おもむろにヨウジが言った。
「ローゼンバーグが子供を人質にとってアボイドから儀式の方法の一部を聞き出しただろ?」
「ええ」
アイシャは何となく彼が何を話そうとしているのか察した。食堂でこの話が出たとき彼の態度は明らかにおかしかったのだ。
「そのとき人質にされた子供って俺なんだ。俺はドリスから能力の使い方を学んでいてアボイドとも面識があった」
「そう」
ヨウジは真っ直ぐに前を向いている。しんとした廊下に二人の足音が響いていた。
「アボイドのおかげで俺は助かった。彼は俺の命の恩人だ。そしてドリスは俺に契約者(リンカー)として生きていけるようにしてくれた恩人。だから本当なら俺もシスターと……」
「あなたの分も背負うわ」
アイシャは途中で遮るように宣言した。
「あなただけじゃない、目的を果たせずにカードにされてしまったミセスやドリスの分もあたしが背負う」
「おいおい、何様のつもりだよ」
呆れたようにヨウジが笑った。肩を小さく揺らして彼は付け足す。
「ま、実際の話、シスターに任せるしかないんだけどな」
「ありがとう」
自然と感謝の言葉が漏れた。
アイシャは胸元のロザリオに手を伸ばす。復讐のためにこの島に来たのだがもうそれだけが戦う理由ではなくなっていた。
ローゼンバーグはもはや放置できない存在だ。彼は己の欲望のために多くの人を犠牲にしてきた。そんな奴に万物の精霊の力を与えたらさらなる悲劇を招くに決まっている。
もうこれ以上大切な人が奪われるようなことは御免だった。
それが自分にとってであろうと別の誰かにとってであろうと関係ない。悲しみの連鎖は何があっても断ち切らねばならないのだ。
玄関から外に出るとヨウジは振り返った。
「俺のラッドウインプスの能力でシスターを島の南端の砂浜まで飛ばす」
「……」
アイシャはバラ園での先頭を思い出す。あのときは自分のほうからこの方法を提案していた。ラッドウインプスならヨウジの体重より軽くて左手に置ければ光弾にできる。すでに実証済みのアイデアだった。
「アイシャさん」
滑るように浮遊して玄関まで来たポピンズ夫人が珍しく真剣な面持ちで告げた。
「相手はフライミートゥザムーンの力を使ってくるかもしれません」
「そうね」
そのことは頭にあった。ローゼンバーグのソウルハンターは単に相手をカード化するだけでなくカードにした精霊の力を自分の能力として扱えるようだ。現にミセスのセーフティ・パイも使用していた。
自分には殴ることしかできない。
だが、自分は誓ったのだ。必ずローゼンバーグはぶちのめす。そのためならどうなっても構わない。
ヨウジが身を屈め、左腕の痛みに顔を歪めながらも左手を地に追いた。目だけで「乗れ」と言ってくる。
アイシャはもう一度礼を述べた。
「ありがとう。あなたのこと忘れない」
「今生の別れみたいに言うなよ」
ヨウジが睨んだ。
「ちゃんと迎えに行くからな。絶対に勝て!」
アイシャは了解の代わりにヨウジの頭を優しく小突いた。風の精霊がむうっと頬を膨らませて額の宝石をチカチカさせるが放っておく。
彼女は左手の上に片足で乗った。彼の頭に片手を当ててバランスを保つ。
……やっぱりどこか背徳的な感じがするわね。
などと思っているとヨウジが合図もなしに右手で尻を弾いた。
バビューン。
発射音を鳴らしてアイシャは飛び立った。白い光が全身を包んでいる。どこか温かみのある光だ。
「アイシャさん、頑張ってぇ!」
遠くなっていくポピンズ夫人のどこか緊張感のない声援にアイシャは拳を振り上げて応じるのであった。