第47話 適任者に与えられるもの(ティアーズフォーフィアーズ戦・決着)
文字数 2,550文字
ダーティワークの黒い光のグローブが幾つもの筋を描く。
乱打されたもっさり頭の男がかき消えるように霧散した。
男の消失に合わせるように灰色のクジャクが空間に溶けていく。しかし、ティアーズフォーフィアーズの能力が解除されたのかどうかはわからなかった。
アイシャは油断なく拳を構えたまま周囲に目を走らせる。正直、手応えがなかった。何発叩き込んだか憶えてないが普通ならズタボロになっていてもおかしくない攻撃だったはずだ。
それなのに全くダメージを与えた気がしない。まるで立体映像に連打したかのような感触だった。
これは……何?
考えているとミセスが言った。
「あいつ、もしかして本体が別にいるとか?」
「……」
その可能性はあるのだろうか?
今まで目にしていた男が本体ではなくどこかに敵本体がいるとしたら……。能力の効果範囲がものすごく広いとしたら。
いや。
アイシャはその可能性を否定する。
自分が体験したものが敵の能力によるものであるならその力はとても強くて複雑なものだ。それだけの能力を操るのに本体が遠くにいるとはとても思えない。必ず近くにいるはずだ。
アイシャは唇を噛んだ。
何であれぶちのめす。
そより、と風が吹いた。
アイシャが反応するよりも早く灰色の影が左腕を掠める。痛みはさしてないがその不意打ちに少なからずショックを覚えた。小さく切り裂かれた黒い修道服の袖が自分を戒めているようにも見える。
灰色のクジャクがアイシャの頭上を一回転し、少し離れた位置に舞い降りた。
もっさり頭の男が姿を現す。口をへの字にした彼はつまらなそうにアイシャへと視線を向けた。
「攻撃は無意味だ」
灰色のクジャクが額の宝石を光らせる。
「我が本体はすでに存在しない。我はクリス・ローゼンバーグによって殺害されたアボイド・アップルの残留思念を精霊が依り代にした存在。アボイドノートの秘密を守るためだけに我は在る」
「ローゼンバーグに殺害された?」
「そうだ。ローゼンバーグは高城教授の家を襲った後、研究成果を得るためにアボイドも手にかけたのだ。しかし、アボイドは死の間際に自らの能力を振り絞って研究の全てを記したノートを封印した。彼の精霊はその時に進化して現在の我となった」
「進化だって?」
ミセスが眉を寄せた。
「精霊って進化したりするの?」
「お前ら人間も進化してきただろうに」
それと同じことだとでも言いたげに男が口の端を緩めた。
「我は審判の精霊。アボイドノートを守り、その封印を解こうとする者に試練を与える。そして、お前らの過去を元に悲劇を再構築しその心的苦痛に堪えうるだけの精神力があるか否かを試した。適任者は強靱な精神力の持ち主でなくてはならぬからな」
「それで僕に幼馴染みが事故死するところを見せたの?」
ミセスが男を睨んだ。
「一体何様のつもり? 君にそんなことをする権利がどこにあるの?」
「適任者よ、言いたいことはそれだけか?」
男が質問を質問で返した。
灰色のクジャクが額の宝石をチカチカとさせる。それは酷く不遜なもののような印象があった。
アイシャは確認する。
「アボイドは殺された……でも、研究成果はあいつに渡っていない。だったらこのままノートを守り抜けばあいつは万物の精霊の力を自分のものにできないってことよね?」
「そうだ。だが、不完全ではあるがローゼンバーグは万物の精霊と契約する儀式の方法を知っている」
少しだけ男が悔しそうに顔を歪めた。
「アボイドが死ぬ前にローゼンバーグは秘密の一部を聞き出していた。五十二の異なる高次の精霊とその器となる肉体を揃える。ローゼンバーグはそれを可能とする能力を目覚めさせていた。」
「ソウルハンター」
アイシャがその名を口にすると男が首肯した。
「魂の精霊の契約者(リンカー)であるローゼンバーグは必要なものを用意できるだろう。そして、運命が導くならば奴は儀式に欠かせない時と場所を得る」
「時と場所?」
「アボイドノートにはそれが書かれている」
その言葉を合図にしたかのように灰色のクジャクが翼を広げた。額の宝石がキラリと輝く。
「試練を乗り越えた適任者にはアボイドノートの秘密を得る権利がある」
アイシャの前に金色の光の線で描かれた五芒星が現れた。
文字とも数字とも思える記号が周縁に浮かんでいる。五芒星は激しくその光を強めるとアイシャとミセスに光線を浴びせた。
熱も痛みもない眩しいだけの光だ。
ただ、膨大な量の情報が頭に流れ込んできてアイシャは狼狽えた。思わず悲鳴を上げそうになりどうにか我慢する。
ミセスの戸惑ったような声が聞こえた。
「えっ、これは、どういう」
「……」
途方もない情報の奔流はほとんどが言葉だった。
多くはアイシャの知識にない言語でそれらは古いもののようだった。沢山の声がアイシャの心の中で反響し、沢山の音が頭の中に散らばった。
イメージが思考の奥深くで映像化される。
数え切れないほどの歴史と風俗が取捨選択の暇もない勢いで押し寄せてきた。
無意識のうちに頭脳はそれら情報の激流に慣れていく。
アイシャは数多の知識を受け流した。不思議なことに自分にとって不必要な情報は自然に彼女の意識から遠いところへと向かっていった。
万物の精霊が眠りしところ、
それは魂の在処
夜明けの星が瞬くとき
海は割れ、道が開かれる
時間はどれくらい経ったのだろう。
体感は数時間なのだが実際は違っているようだった。
「ドリスにノートを守ってくれてありがとうと伝えてくれ。それと一人にしてしまってすまない、と」
最後の言葉はアボイドからのメッセージだろうか。
妙に寂しげで、妙に温かかった。
金色の光に包まれながらアイシャは身体が浮上していくのを感じた。
今度こそティアーズフォーフィアーズから解放されたのだと彼女は察した。
異空間から元の世界に戻れる。
ほっとする一方でやられっぱなしだったと悔しさが込み上げた。ぶちのめすつもりでいたのにすっかりそのことを忘れていた。
もっともそんな余裕はなかったしできなかったのかもしれないけれど。
それと……。
「ソウルハンター、いいえ、クリス・ローゼンバーグ」
アイシャはぐっと拳を握った。
「あいつは、あいつだけは絶対にあたしがぶちのめす」
乱打されたもっさり頭の男がかき消えるように霧散した。
男の消失に合わせるように灰色のクジャクが空間に溶けていく。しかし、ティアーズフォーフィアーズの能力が解除されたのかどうかはわからなかった。
アイシャは油断なく拳を構えたまま周囲に目を走らせる。正直、手応えがなかった。何発叩き込んだか憶えてないが普通ならズタボロになっていてもおかしくない攻撃だったはずだ。
それなのに全くダメージを与えた気がしない。まるで立体映像に連打したかのような感触だった。
これは……何?
考えているとミセスが言った。
「あいつ、もしかして本体が別にいるとか?」
「……」
その可能性はあるのだろうか?
今まで目にしていた男が本体ではなくどこかに敵本体がいるとしたら……。能力の効果範囲がものすごく広いとしたら。
いや。
アイシャはその可能性を否定する。
自分が体験したものが敵の能力によるものであるならその力はとても強くて複雑なものだ。それだけの能力を操るのに本体が遠くにいるとはとても思えない。必ず近くにいるはずだ。
アイシャは唇を噛んだ。
何であれぶちのめす。
そより、と風が吹いた。
アイシャが反応するよりも早く灰色の影が左腕を掠める。痛みはさしてないがその不意打ちに少なからずショックを覚えた。小さく切り裂かれた黒い修道服の袖が自分を戒めているようにも見える。
灰色のクジャクがアイシャの頭上を一回転し、少し離れた位置に舞い降りた。
もっさり頭の男が姿を現す。口をへの字にした彼はつまらなそうにアイシャへと視線を向けた。
「攻撃は無意味だ」
灰色のクジャクが額の宝石を光らせる。
「我が本体はすでに存在しない。我はクリス・ローゼンバーグによって殺害されたアボイド・アップルの残留思念を精霊が依り代にした存在。アボイドノートの秘密を守るためだけに我は在る」
「ローゼンバーグに殺害された?」
「そうだ。ローゼンバーグは高城教授の家を襲った後、研究成果を得るためにアボイドも手にかけたのだ。しかし、アボイドは死の間際に自らの能力を振り絞って研究の全てを記したノートを封印した。彼の精霊はその時に進化して現在の我となった」
「進化だって?」
ミセスが眉を寄せた。
「精霊って進化したりするの?」
「お前ら人間も進化してきただろうに」
それと同じことだとでも言いたげに男が口の端を緩めた。
「我は審判の精霊。アボイドノートを守り、その封印を解こうとする者に試練を与える。そして、お前らの過去を元に悲劇を再構築しその心的苦痛に堪えうるだけの精神力があるか否かを試した。適任者は強靱な精神力の持ち主でなくてはならぬからな」
「それで僕に幼馴染みが事故死するところを見せたの?」
ミセスが男を睨んだ。
「一体何様のつもり? 君にそんなことをする権利がどこにあるの?」
「適任者よ、言いたいことはそれだけか?」
男が質問を質問で返した。
灰色のクジャクが額の宝石をチカチカとさせる。それは酷く不遜なもののような印象があった。
アイシャは確認する。
「アボイドは殺された……でも、研究成果はあいつに渡っていない。だったらこのままノートを守り抜けばあいつは万物の精霊の力を自分のものにできないってことよね?」
「そうだ。だが、不完全ではあるがローゼンバーグは万物の精霊と契約する儀式の方法を知っている」
少しだけ男が悔しそうに顔を歪めた。
「アボイドが死ぬ前にローゼンバーグは秘密の一部を聞き出していた。五十二の異なる高次の精霊とその器となる肉体を揃える。ローゼンバーグはそれを可能とする能力を目覚めさせていた。」
「ソウルハンター」
アイシャがその名を口にすると男が首肯した。
「魂の精霊の契約者(リンカー)であるローゼンバーグは必要なものを用意できるだろう。そして、運命が導くならば奴は儀式に欠かせない時と場所を得る」
「時と場所?」
「アボイドノートにはそれが書かれている」
その言葉を合図にしたかのように灰色のクジャクが翼を広げた。額の宝石がキラリと輝く。
「試練を乗り越えた適任者にはアボイドノートの秘密を得る権利がある」
アイシャの前に金色の光の線で描かれた五芒星が現れた。
文字とも数字とも思える記号が周縁に浮かんでいる。五芒星は激しくその光を強めるとアイシャとミセスに光線を浴びせた。
熱も痛みもない眩しいだけの光だ。
ただ、膨大な量の情報が頭に流れ込んできてアイシャは狼狽えた。思わず悲鳴を上げそうになりどうにか我慢する。
ミセスの戸惑ったような声が聞こえた。
「えっ、これは、どういう」
「……」
途方もない情報の奔流はほとんどが言葉だった。
多くはアイシャの知識にない言語でそれらは古いもののようだった。沢山の声がアイシャの心の中で反響し、沢山の音が頭の中に散らばった。
イメージが思考の奥深くで映像化される。
数え切れないほどの歴史と風俗が取捨選択の暇もない勢いで押し寄せてきた。
無意識のうちに頭脳はそれら情報の激流に慣れていく。
アイシャは数多の知識を受け流した。不思議なことに自分にとって不必要な情報は自然に彼女の意識から遠いところへと向かっていった。
万物の精霊が眠りしところ、
それは魂の在処
夜明けの星が瞬くとき
海は割れ、道が開かれる
時間はどれくらい経ったのだろう。
体感は数時間なのだが実際は違っているようだった。
「ドリスにノートを守ってくれてありがとうと伝えてくれ。それと一人にしてしまってすまない、と」
最後の言葉はアボイドからのメッセージだろうか。
妙に寂しげで、妙に温かかった。
金色の光に包まれながらアイシャは身体が浮上していくのを感じた。
今度こそティアーズフォーフィアーズから解放されたのだと彼女は察した。
異空間から元の世界に戻れる。
ほっとする一方でやられっぱなしだったと悔しさが込み上げた。ぶちのめすつもりでいたのにすっかりそのことを忘れていた。
もっともそんな余裕はなかったしできなかったのかもしれないけれど。
それと……。
「ソウルハンター、いいえ、クリス・ローゼンバーグ」
アイシャはぐっと拳を握った。
「あいつは、あいつだけは絶対にあたしがぶちのめす」