第56話万物の精霊の力、トップオブザワールド
文字数 3,255文字
一本道の先にある小島にアイシャは向かっていた。
ダーティワークの能力の副次的な作用により身体能力が向上しているアイシャではあったが少なからずダメージと疲労を蓄積している。長い一本道は距離感が掴めずあとどれだけ進めばいいのかもわからない。そんな不安感が彼女に重くのしかかっていた。
「それ」が騒がしく煽り続けている。
怒れ!
怒れ!
怒れ!
アイシャは怒りに飲み込まれていなかった。もちろん復讐の念が失われた訳ではない。
だが、彼女には背負っているものがあった。自分の思いだけで戦っているのではない。この小さな拳にはみんなの思いも込められているのだ。
精霊の力がそうしているのだろうか、不意に島と自分の距離が急激に縮まったのをアイシャは感じた。
潮風に乗って耳慣れない言語が聞こえてくる。
声はローゼンバーグのものだった。ティアーズフォーフィアーズの試練を乗り越えたことにより得たアボイドノートの知識が古代言語であることを教えてくれる。アイシャは足を速めた。
ローゼンバーグが儀式をしている。
事態は芳しくない。このまま放置していれば間違いなくローゼンバーグは万物の精霊の力を得てしまうだろう。それだけはどうしても防がねばならない。
アイシャは奥歯を噛み締め、拳をさらに強く握った。全速力で道を蹴る。
再び煌々とした光りが目を眩ませた。
小島からの光だ。間に合わない、の文字が脳裏によぎる。それでも諦めきれず彼女は先を急いだ。
短い段差になった岩の階段を駆け上りアイシャは小島に到達した。
小島に着いて間もなく無数の光の玉がどこからともなく現れアイシャの周りに集まってくる。興味を示したようにぐるぐると光の玉は彼女の周囲を回りだした。
「……何?」
アイシャは驚きと警戒を半々にそれらを見る。焦る気持ちがあるというのに足が止まってしまった。自分の意思に反して動かなくなったのだ。
視界の奥で両手を振り上げて呪文を詠唱しているローゼンバーグがいる。彼のまわりも光の玉が集まっていた。ぐるぐるとその身体を中心に回転している。
アイシャはダーティワークがせっかく加わった能力を失っているのを感じた。
あの力は儀式に必要なものでしかなく、用が済んでしまえば無くなってしまうのかもしれない。
そこまで推して彼女はきゅっと唇を結んだ。
今のあいつは超高速で動けない……?
あくまでも推測の域でしかなく能力を失っているという確証はどこにもなかった。自分のダーティワークが超高速に対応できなくなったとしてもローゼンバーグもそうだという保証はどこにもないのだ。
それでも妙な確信があった。
くるくるくるくると回る光の玉たちがその速度を速めていく。
呼応するようにローゼンバーグのまわりの光の玉たちも回転数を上げた。
古代の言語が潮風に溶け込んでどこか獣の求愛のように変じる。
ローゼンバーグの声に複数の音程の声が混ざり合った。男のようであり女のようでもある声が様々な事象の音と重なって奇妙なハーモニーと化していく。
ローゼンバーグの足元に光りが生まれ一気に拡大して彼を飲み込んだ。
光はそのままアイシャをも巻き込む。
何が起きたのか理解する間もなく彼女は光の中に没した。
*
強い光が眩しくて目を開けられない。
アイシャがぎゅっと目を瞑っていると温かな感触が彼女の頬を撫でた。
追いかけるように冷たい何かが反対側の頬を撫でる。温かさと冷たさが交互に彼女に触れていき、笑いとも悲しみともとれる声が耳をくすぐった。
心地良いようなそうでないような不思議な感覚がアイシャの身体を舐めていく。ゆったりとだったり忙しなかったりする何かの動きが空間を揺らして彼女の肌に伝わった。
さっきまでわからなかった古代言語がなぜか耳慣れたもののように聞こえてくる。
言葉はそのままなのに頭の中で変換されていくように何を言っているのか理解できた。
ただ、相変わらずローゼンバーグの声に複数の声が重なっていてそのことがアイシャに苛立ちを覚えさせた。
ローゼンバーグは……ぶちのめす。
あいつに万物の精霊の力は渡さない。
しかし、そう思うものの身体が動いてくれない。まるで見えない鎖で縛られているみたいに自由がきかなかった。
*
ローゼンバーグが詠唱をやめる。
途端に複数の声も止んだ。
狂気に満ちた笑い声があたりに響き渡る。ローゼンバーグの声だ。これまでで最も大きなはしゃぎ声で彼は避けんだ。
「やった、やったぞ! このための十二年間だった! ミーシャ、ようやく君に会えるッ!」
眩しさが失せ、身体を束縛していた見えない力も消える。
アイシャは目を開けてすぐに身構えた。解かれていたダーティワークを再度発現させる。黒い光のグローブはいきなり全開状態であるかのように手の甲に一対の黒い宝石を浮かべた。ぼんやりと身体から黒いオーラが漂ってくる。闇よりも深い漆黒の黒だ。
振り返ったローゼンバーグがせせら笑った。
「まだやる気か? とても我が娘とは思えぬ愚かさだな」
「……」
アイシャが黙って睨みつけるとローゼンバーグは笑うのをやめた。やれやれといった具合に肩をすくめ、あからさまに馬鹿にするように大きなため息をつく。
彼は自分で納得したようにうなずき、言った。
「来い」
アイシャは無言で応じた。
光の消えた元の世界に彼女たちは戻っていた。足場は巨大で平坦な岩だが海に沈んでいたというのになぜか乾いている。砂さえなく何か特別な力が働いているようだった。
アイシャは拳を握ってローゼンバーグへと突進する。足を滑らせることなく彼女は走った。
いつもならうるさいくらいに煽ってくる「それ」の声がやけに静かだ。いや、むしろ無音といっていい。
おかしい、と思う心をアイシャは切り替える。今はローゼンバーグをぶちのめすことだけ考えよう。
握る拳にさらに力を込めた。
「ウダァッ!」
攻撃範囲に入った瞬間、アイシャは拳を打ち放つ。
ひらりとローゼンバーグが軽やかにかわした。
もう一発と拳を構えたアイシャにびゅうと冷気が吹きつける。あまりの冷たさに痛みすら覚えるほどだった。
思わず怯んだアイシャに光を纏ったナイフが何もない空間から現れ飛んでくる。
彼女は思いきり拳を振って拳圧で叩き落とした。パリンと金属質な音を鳴らしてナイフが砕け散る。
「……」
今のは。
アイシャが戸惑っていると左右から複数の小さな光りが出現しナイフへと変化した。
意思を持っているかのようにナイフはアイシャへと切っ先を向ける。一斉に襲ってくるそれらをアイシャは拳の連打で迎え撃った。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダ!」
一つ残らず殴り消し、息をつく。
パァンパァンパァンとローゼンバーグがゆっくりと拍手した。口の端を緩め、小馬鹿にしたように目を細めている。
「いい反応だ。ところでオリビアとケラのことは憶えているか? 二人ともお前と戦った契約者(リンカー)なのだが」
アイシャは返事をせず、構え直す。背中に嫌な汗をかいていた。さっきの攻撃は冷気の精霊と凶刃の精霊のそれと似ている。そのことが彼女に動揺を与えていた。
心音がやけに激しい。
脈打つ鼓動がどうしようもなく不安をかき立てる。
疑念が深まっていた。
まさか。
いや、そうとしか思えない。
答合わせをするようにローゼンバーグがその能力を具現化させた。
空間を歪ませて姿を見せたそれはもうキツネの化け物ではない。
かろうじて人型を成しているが特定の色を持っていなかった。のっぺらぼうの顔の額らしき位置に透明な宝石がついている。化け物の大きさはローゼンバーグの身長とさして変わらない。見ようによっては彼の影を立体化させたようにも見えた。
「トップオブザワールド」
ローゼンバーグが楽しげに化け物を紹介した。
「全ての精霊の力を有する究極の能力。万物の精霊の力を得て私の精霊は至高のものへと進化した。まさに世界の頂点ッ! 私は神にも等しい存在となったのだ」
ダーティワークの能力の副次的な作用により身体能力が向上しているアイシャではあったが少なからずダメージと疲労を蓄積している。長い一本道は距離感が掴めずあとどれだけ進めばいいのかもわからない。そんな不安感が彼女に重くのしかかっていた。
「それ」が騒がしく煽り続けている。
怒れ!
怒れ!
怒れ!
アイシャは怒りに飲み込まれていなかった。もちろん復讐の念が失われた訳ではない。
だが、彼女には背負っているものがあった。自分の思いだけで戦っているのではない。この小さな拳にはみんなの思いも込められているのだ。
精霊の力がそうしているのだろうか、不意に島と自分の距離が急激に縮まったのをアイシャは感じた。
潮風に乗って耳慣れない言語が聞こえてくる。
声はローゼンバーグのものだった。ティアーズフォーフィアーズの試練を乗り越えたことにより得たアボイドノートの知識が古代言語であることを教えてくれる。アイシャは足を速めた。
ローゼンバーグが儀式をしている。
事態は芳しくない。このまま放置していれば間違いなくローゼンバーグは万物の精霊の力を得てしまうだろう。それだけはどうしても防がねばならない。
アイシャは奥歯を噛み締め、拳をさらに強く握った。全速力で道を蹴る。
再び煌々とした光りが目を眩ませた。
小島からの光だ。間に合わない、の文字が脳裏によぎる。それでも諦めきれず彼女は先を急いだ。
短い段差になった岩の階段を駆け上りアイシャは小島に到達した。
小島に着いて間もなく無数の光の玉がどこからともなく現れアイシャの周りに集まってくる。興味を示したようにぐるぐると光の玉は彼女の周囲を回りだした。
「……何?」
アイシャは驚きと警戒を半々にそれらを見る。焦る気持ちがあるというのに足が止まってしまった。自分の意思に反して動かなくなったのだ。
視界の奥で両手を振り上げて呪文を詠唱しているローゼンバーグがいる。彼のまわりも光の玉が集まっていた。ぐるぐるとその身体を中心に回転している。
アイシャはダーティワークがせっかく加わった能力を失っているのを感じた。
あの力は儀式に必要なものでしかなく、用が済んでしまえば無くなってしまうのかもしれない。
そこまで推して彼女はきゅっと唇を結んだ。
今のあいつは超高速で動けない……?
あくまでも推測の域でしかなく能力を失っているという確証はどこにもなかった。自分のダーティワークが超高速に対応できなくなったとしてもローゼンバーグもそうだという保証はどこにもないのだ。
それでも妙な確信があった。
くるくるくるくると回る光の玉たちがその速度を速めていく。
呼応するようにローゼンバーグのまわりの光の玉たちも回転数を上げた。
古代の言語が潮風に溶け込んでどこか獣の求愛のように変じる。
ローゼンバーグの声に複数の音程の声が混ざり合った。男のようであり女のようでもある声が様々な事象の音と重なって奇妙なハーモニーと化していく。
ローゼンバーグの足元に光りが生まれ一気に拡大して彼を飲み込んだ。
光はそのままアイシャをも巻き込む。
何が起きたのか理解する間もなく彼女は光の中に没した。
*
強い光が眩しくて目を開けられない。
アイシャがぎゅっと目を瞑っていると温かな感触が彼女の頬を撫でた。
追いかけるように冷たい何かが反対側の頬を撫でる。温かさと冷たさが交互に彼女に触れていき、笑いとも悲しみともとれる声が耳をくすぐった。
心地良いようなそうでないような不思議な感覚がアイシャの身体を舐めていく。ゆったりとだったり忙しなかったりする何かの動きが空間を揺らして彼女の肌に伝わった。
さっきまでわからなかった古代言語がなぜか耳慣れたもののように聞こえてくる。
言葉はそのままなのに頭の中で変換されていくように何を言っているのか理解できた。
ただ、相変わらずローゼンバーグの声に複数の声が重なっていてそのことがアイシャに苛立ちを覚えさせた。
ローゼンバーグは……ぶちのめす。
あいつに万物の精霊の力は渡さない。
しかし、そう思うものの身体が動いてくれない。まるで見えない鎖で縛られているみたいに自由がきかなかった。
*
ローゼンバーグが詠唱をやめる。
途端に複数の声も止んだ。
狂気に満ちた笑い声があたりに響き渡る。ローゼンバーグの声だ。これまでで最も大きなはしゃぎ声で彼は避けんだ。
「やった、やったぞ! このための十二年間だった! ミーシャ、ようやく君に会えるッ!」
眩しさが失せ、身体を束縛していた見えない力も消える。
アイシャは目を開けてすぐに身構えた。解かれていたダーティワークを再度発現させる。黒い光のグローブはいきなり全開状態であるかのように手の甲に一対の黒い宝石を浮かべた。ぼんやりと身体から黒いオーラが漂ってくる。闇よりも深い漆黒の黒だ。
振り返ったローゼンバーグがせせら笑った。
「まだやる気か? とても我が娘とは思えぬ愚かさだな」
「……」
アイシャが黙って睨みつけるとローゼンバーグは笑うのをやめた。やれやれといった具合に肩をすくめ、あからさまに馬鹿にするように大きなため息をつく。
彼は自分で納得したようにうなずき、言った。
「来い」
アイシャは無言で応じた。
光の消えた元の世界に彼女たちは戻っていた。足場は巨大で平坦な岩だが海に沈んでいたというのになぜか乾いている。砂さえなく何か特別な力が働いているようだった。
アイシャは拳を握ってローゼンバーグへと突進する。足を滑らせることなく彼女は走った。
いつもならうるさいくらいに煽ってくる「それ」の声がやけに静かだ。いや、むしろ無音といっていい。
おかしい、と思う心をアイシャは切り替える。今はローゼンバーグをぶちのめすことだけ考えよう。
握る拳にさらに力を込めた。
「ウダァッ!」
攻撃範囲に入った瞬間、アイシャは拳を打ち放つ。
ひらりとローゼンバーグが軽やかにかわした。
もう一発と拳を構えたアイシャにびゅうと冷気が吹きつける。あまりの冷たさに痛みすら覚えるほどだった。
思わず怯んだアイシャに光を纏ったナイフが何もない空間から現れ飛んでくる。
彼女は思いきり拳を振って拳圧で叩き落とした。パリンと金属質な音を鳴らしてナイフが砕け散る。
「……」
今のは。
アイシャが戸惑っていると左右から複数の小さな光りが出現しナイフへと変化した。
意思を持っているかのようにナイフはアイシャへと切っ先を向ける。一斉に襲ってくるそれらをアイシャは拳の連打で迎え撃った。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダ!」
一つ残らず殴り消し、息をつく。
パァンパァンパァンとローゼンバーグがゆっくりと拍手した。口の端を緩め、小馬鹿にしたように目を細めている。
「いい反応だ。ところでオリビアとケラのことは憶えているか? 二人ともお前と戦った契約者(リンカー)なのだが」
アイシャは返事をせず、構え直す。背中に嫌な汗をかいていた。さっきの攻撃は冷気の精霊と凶刃の精霊のそれと似ている。そのことが彼女に動揺を与えていた。
心音がやけに激しい。
脈打つ鼓動がどうしようもなく不安をかき立てる。
疑念が深まっていた。
まさか。
いや、そうとしか思えない。
答合わせをするようにローゼンバーグがその能力を具現化させた。
空間を歪ませて姿を見せたそれはもうキツネの化け物ではない。
かろうじて人型を成しているが特定の色を持っていなかった。のっぺらぼうの顔の額らしき位置に透明な宝石がついている。化け物の大きさはローゼンバーグの身長とさして変わらない。見ようによっては彼の影を立体化させたようにも見えた。
「トップオブザワールド」
ローゼンバーグが楽しげに化け物を紹介した。
「全ての精霊の力を有する究極の能力。万物の精霊の力を得て私の精霊は至高のものへと進化した。まさに世界の頂点ッ! 私は神にも等しい存在となったのだ」