第6話 ジョーカーとクラナド その3

文字数 2,768文字

 船員の男の胸の光が広がり始める。
「クラナド、急いで!」
 エンヤが命じた。
 猫は薄緑色の光を纏ったまま男の身体に前足を乗せる。
 薄緑色の光が男の身体に重なろうとしたとき、ほんの少しだけ早く胸から生じた光が男の全身を包んだ。
 ニャーオ。
 猫が一声鳴き、飛び退く。
 あのダークスーツの男のときのようにその姿がネズミに変じた。どういう原理なのか身につけていたセーラー服が消えている。
「ああっ、もう」
 エンヤが悔しそうに頭を振った。
「……その猫」
「えっと、その」
「後で聞く」
 アイシャは早口に告げ、金属製の階段を駆け上がる。カンカンカンとテンポの速い足音が騒がしく流れる船内放送に紛れ込んだ。
 上の階に出るとアイシャは左右を見回す。左側の通路の奥でダークスーツの長身の男が紅白のストライプ模様のシャツとジーンズ姿の男に銃口を向けているのが見えた。
 ストライプの男の身長はアイシャとほぼ同じ。こちらに背を向けているので顔はわからない。ブロンドの髪は耳を隠すほど豊かだ。
「ポワキン!」
 ダークスーツの男が叫んだ。
「諦めろ! ここからは逃げられんぞ」
「ふーん」
 妙に子供っぽい声音でポワキンと呼ばれたストライプの男が返した。
「どうしても僕をあの島に閉じ込めたいんだ。けどさ、僕そんなのお断りだよ」
 ポワキンが一歩距離を詰めた。
「動くな!」
 ダークスーツの男が声を荒げる。その声から彼の焦りがうかがえた。
「じっとしてろ! 本当に撃つぞ!」
「だーかーらぁーっ、僕にそんな脅しは通じないって」
 ぼんやりと紅白の影がポワキンから浮かび上がる。
 大きさは一メートル四十センチくらいか。小柄だがどこか異様な雰囲気があった。
「ジョーカー」
 紅白の影がはっきりと姿を現す。
 白い頭に紅白の横縞の身体のそれは人の形に似たデザインをしていた。ストライプ模様は手足にまで及んでいる。ただ、頭部には湾曲した二本の大きな角があり、それが明確に人ならざるものであることを示していた。
 後ろ姿でしかわからないが何となく道化師めいた印象をアイシャは抱く。
「ジョーカー」がこの化け物の名前であることは明らかだった。
 アイシャはぐっと拳を握りしめる。何の躊躇もなくポワキンに向かってダッシュした。ほわりと両拳が黒い光に包まれる。力がこみ上げてくるのをアイシャは知覚した。血液がビートを刻み、熱量が自分をさらに力強くしていくような錯覚にとらわれる。
 ダーティワーク!
 修道院が襲撃されたときアイシャが身につけた力。
 アイシャが契約した怒りの精霊は「殴る」能力を彼女に授けていた。それを具現化したものがこの黒く光るグローブである。
「ダーティワーク」と彼女は名付けていた。
 復讐のために生きようとする自分に相応しいと思ったからだ。聖職を捨て信仰に背き自らの手を汚そうとする自分にはこんな能力名がお似合いだ。
 黒い光は使い慣れたグローブのようにしっかりと手に馴染んでいる。走りながらアイシャはニヤリと笑った。被っていたフードが勢いに負けて外れショートの黒髪が露わになる。
 拳を振り上げた。
 誰だろうとぶちのめすっ!
 ポアキンが振り返った。
 構わずアイシャは拳を振るう。
「ウダァッ!」
 拳がポワキンを捉える刹那、紅白の腕が拳を阻んだ。アイシャは続けざまに拳を繰り出す。
「ウダダダダダダダダッ!」
 連続攻撃にジョーカーが身をぐらつかせる。それでも拳は全てガードされていた。打撃の完食は弱くダメージがないとアイシャは判じる。
 ジョーカーの顔は予想していたよりもずっと道化師だった。白い顔に赤く縁取られた目が印象的だ。涙の色も紅い。スマイルと言うには邪悪さを感じる笑みを広げそのまま固めたような口だった。何も喋っていないはずなのに「お前の拳なんておいらには通じないよ」と嘲われたような気がする。
 嘲笑の精霊。
 ふとそんな名前が脳裏をよぎる。
 ちっと舌打ちした。
 こいつを殴っても駄目か。
 修道院での戦いが思い起こされた。あのときやりあった襲撃者はフェレットに似た姿の化け物を操っていた。そいつもこのジョーカーと同様に殴ってもダメージを与えられなかった。
 精霊と契約した者(リンカー)本体を叩かなければ倒せないのかもしれない。
 短い時間にアイシャが考えているとジョーカーが手刀で「突き」を放ってきた。アイシャは慌てて拳を胸の前に揃え防御する。黒い光のグローブが受け止め、ダメージが無効化された。
 なるほど、そういうことか。
 アイシャは理解した。
 精霊の力同士での攻撃は互いにダメージへと結びつかない。物理法則が効かないからかそういうものなのかアイシャには定かではなかったがそんなものなのだと思うことにした。
 戦いのルールを一つ学んだといったところか。
 アイシャの中にいる「それ」は能力について教えてくれたが全てではなかった。仇敵「ソウルハンター」と再開する前にできるだけ戦い慣れておかなければならない。
 アイシャはポワキンを睨みつけた。
 細い眉と目の陰気そうな顔の男だ。鼻筋が通っていて口の形も良いがどこか病的な雰囲気を纏っている。神経質そうでありそれでいてどこかこの状況を楽しんでいるようでもあった。
 その顔は似ても似つかないのにジョーカーと重なって見える。それが余計にアイシャの神経を逆撫でした。
 彼女はぎゅっと拳を握り直す。
 あんたには経験値になってもらうわ。
 彼女は通路の床を蹴った。精霊の力の影響で滞空時間が延びている。
 ジョーカー目掛けて拳のラッシュを食らわせた。
「ウダダダダダダダダッ!」
 ダメージは期待していない。ただ単にジョーカーを殴り飛ばし本体のポワキンから引き離したいだけだ。
 あくまでも狙いは敵本体。
 ジョーカーがラッシュの衝撃に負けて吹っ飛ぶ。勝った、とアイシャは確信した。仰向けに転がったジョーカーを驚きの表情で見つめるポワキンにアイシャは一歩で詰め寄る。ぞわぞわと興奮が身体を支配した。快感にも近い感覚が脳内のアドレナリンを過剰に分泌させる。体温の高ぶりに汗をかいていたが拭う暇はなかった。
 とどめだっ!
 アイシャは大振りに拳を構えた。
 向き直ったポワキンが目を見開く。
 その瞳の奥に恐怖はない。驚愕に彩られているにすぎなかった。しかし、そんなことはアイシャにとってどうでもいい。目の前の敵をぶちのめす。それだけだった。
 こいつはあたしの邪魔をしている。
 こいつのせいで船が引き返すなんて事態は御免だ。
 だから、ぶちのめす!
「動くな!」
 アイシャが殴ろうとした刹那、ダークスーツの男が彼女を制した。
 
 
 
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