第21話 どうせなら手の平の上で躍ってもらわないと(ポピンズ夫人サイド)

文字数 2,080文字

 アイシャが階段を昇りきり、足音が完全に聞こえなくなるとポピンズ夫人はコードレス掃除機のスイッチを切った。「ホームスイートホーム」の能力の耳と目で部屋に入ったのを確認すると重みをさして感じない掃除機を脇に置き、自分の背後に声をかける。
「……これでよろしいのですか?」
「ふふっ、上出来よ」
 何もない空間に若い女性の声が響く。艶やかなその声はどこか妖しく、若さの内に老獪さをはらんでいた。
 ふう、とポピンズ夫人がため息をつく。彼女は振り返り、何もない空間に不平を漏らした。
「あの、そういう戯れはここではやめてもらえませんか?」
 虚空に投げかけられた言葉はコツンと音を立てて波紋を作った。空気が震え後を追うように波打つ声がゆっくりと内から外へと打ち消されていく。まるで不自然に力がかかっているかのように声はしなくなった。
 構わずポピンズ夫人が続ける。
「一応、私のお腹の中みたいなものでもありますし。あなたがどう隠れていようとここでは……私には丸わかりなんですよ」
「そうね」
 相手はあっさりと認め、その姿を晒す。
 すうっと空間から浮き出るように黒いローブを纏った細面の少女が現れた。
 胸元まである赤毛を三つ編みにして右肩から垂らしている。その髪につけたリボンの色は黒。真ん中には乳白色の宝石がはまっており、何かを主張するようにキラリと光った。
 悪戯っぽく笑んでいるからか緑色の瞳のある目が細い。薄い眉を僅かに動かし、彼女は小さくて愛らしい唇を曲げて愉快さを示した。
 よほどこの状況が楽しいのか、あるいは自分の狙い通りに事が運びそうだから嬉しいのか。
 ポピンズ夫人は両方だと判じた。
「でもいいんですか? わざわざアイシャさんを危険な場所に導くような真似をして……あそこは彼にとっては独壇場ですよ」
「だからよ。そういう場所だからこそ彼も動くんじゃない。放っておいていつ行動を起こされるかわからないよりはこちらの予測できる範囲内に誘ったほうが都合がいいでしょ?」
 クスクス。
 少女は一拍置くように笑うと言葉を次いだ。
「どうせなら手の平の上で躍ってもらわないと」
「アイシャさんの安全は二の次ですか」
 ポピンズ夫人が批難を込めて睨むと少女は何でもないといったふうに口角を上げた。きれいなラインの鼻をやや高くする。一六二センチの少女のほうが十センチも背は低いのに上から見下ろされているような錯覚を覚えた。
 しかも「ホームスイートホーム」の能力によって数センチ宙に浮いているというのに、だ。
 ここでのポピンズ夫人は文字通り無敵でアリ、見えないバリアによって常時守られていた。このバリアはある程度彼女の意思でオンオフできる。故に掃除機を持つこともできるしその他の物も扱うことができた。
 仮にさっきアイシャが殴ってきたとしてもその攻撃は防がれていたであろう。
 だが、目の前の少女に対しても同じことが言えるかと問われたら、はっきりイエスとは言えなかった。
 何せこの少女は自分の周囲にある微粒物の重力のベクトルを調整して光の屈折率を変え、透明化するという真似をやってのけるのだ。チートすぎてとてもではないがまともではない。
 ポピンズ夫人は内心の複雑さを噛み締めつつこのとてつもなく不穏で可愛らしい少女を見つめた。
「……アイシャさんに勝ち目はあると思いますか?」
「ないわね」
 断言された。
 呆気にとられるとクスクスと少女が笑い、小刻みに肩を震わせる。何がそんなにおかしいのかと問い質したくなったが我慢した。
 この島での生活は長いし、彼女との付き合いも長い。いや、それどころか彼女の前の代のさらに前とも関わりがあった。
 自分の立場は理解している。時には流れに身を任せなければならないことも。
 ただ、今の自分の役目はここで学生たちの面倒を見、その身を守ることだ。
 それなのに今回は寮生を危ない目に遭わせようとしている。気持ちの底に鉛を置かれたような暗い意識がどんよりと生まれていた。その重さは身体も精神も鈍らせてしまいそうだ。
 魔女の恐ろしさは承知している。できれば逆らいたくはない。
 けれどポピンズ夫人はあえて言った。今後のためにも言っておかなければならなかった。
「こんなことはもうしませんからね」
「そう? ま、いいわ」
 軽く返される。
 少女は怒るでもなく付け加えた。
「でも誤解しないでね、私もできるならあの娘に生き残って欲しいと思っているの」
「そうなんですか?」
 驚いてたずねると彼女は僅かに表情を歪め、嫌そうに唇を尖らせた。
「そもそも彼は品がないし何だかムカつくのよねぇ」
「……もしかして、おかしなこと考えてません?」
「さあ、何のことかしら」
 一転して機嫌良く返事をしてくる。答えをはぐらかされたがそれは肯定しているのと変わらなかった。
 ふふっ、と赤髪の少女は笑声を一つ弾ませる。お楽しみはまだこれからといったふうににんまりとして言った。
「さて、それじゃ次に移りましょうか」
 
 
 
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