第17話 凶刃の精霊
文字数 2,509文字
タッタッタ……と足音が近づいてくる。
「アイシャ!」
エンヤだ。
アイシャは目を開け、振り向いた。
駆け寄ってきたエンヤが包むようにアイシャを抱き締める。
とくんと跳ねた心音にアイシャは慌てた。
今のがエンヤに聞かれていませんように……。
心配さがありありとうかがえる声音でエンヤが怒った。
「探したのよ! もう、無茶しないで!」
「……」
アイシャは小さくうなずく。
エンヤの体温が心地良かった。戦いで荒んでいた心が癒されるような気がする。そういえば彼女は治癒の精霊の契約者(リンカー)だったと思い出し苦笑する。
海風が冷たく吹きつけてくるが妙にぽかぽかした気分になった。
エンヤはまだ傷を塞ぐことぐらいしかできない。
でも、彼女のおかげで癒されている。
勝てて良かった。
エンヤを守れて良かった。
このひとときをこの上なく幸せに感じ、アイシャは微笑んだ。胸の高鳴りはどんどん激しくなっている。気持ちが溢れそうでアイシャは口を結んだ。
それでも熱を帯びた身体は隠せそうにない。
どうしようかと思案しているとエンヤが髪を撫でた。その感触も悪くない。
「ここ、切れてる」
そっと指で右耳の上を示され何となく気恥ずかしくなる。きっとトップナイフの攻撃をかわしきれずに掠めたのだろう。
「クラナド」
エンヤの声に呼応してニャーオと猫が鳴く。
いつの間にか傍に寄っていた白い猫がアイシャの足に触れた。
ほわりと心地良いものが伝わってくる。治癒の力だ。
少し身を離しエンヤがにこりとした。
「うん、治った。よしよし」
「あ、ありがとう」
照れくささでアイシャは声を上ずらせてしまう。
うんうんとエンヤが首肯した。
「すごいことになってるよね」
やがて周囲を見回してエンヤが感嘆した。
「途中の通路でもすごかったけど……何があったの?」
アイシャはかいつまんで敵との戦いを説明した。
ただ、ミセスのことは話さなかった。エンヤとは無関係だったし、何となく話さないほうがいいような気がしたからだ。
聞き終えたエンヤが探るような目をして質問した。
「どうしてあなたが狙われてるの?」
どうして、と問われてもアイシャにはわからなかった。
いや、全く見当もつかないという訳ではない。あのモヒカン男はオリビアという名を口にしていたし遭遇したときに「見つけたぞ」と言っていた。そこから導き出される答えは少なくない。
けれども、それをエンヤに教えるのは躊躇われた。彼女に要らぬ心配をさせたり、不安がらせたりしたくはない。
「アイシャ?」
エンヤの声が鋭くなる。
「私に何か隠してない?」
「……」
すぐに否定できなかった。
そんな自分の迂闊さをアイシャは苦く思う。身体が緊張で強ばった。細かく震えがくる。
エンヤが見つめていた。
答えを待っているのだと判じるのに時間はかからなかった。どうしようか、はぐらかそうかと逡巡し、さらに沈黙に追い詰められる。
ゆっくりと、壊れやすいものに触れるように優しくエンヤがアイシャの頬に片手を添えた。
ぴくんとアイシャの身体が跳ねる。
嘘のように震えが止まった。その代わりに心臓が壊れるのではないかというくらいドキドキしてくる。
「あなたが星神島に行く理由と関係あったりする?」
どきり、と心音が一つはっきりと打ち鳴らされる。
アイシャはぎゅっと拳を握った。話すべきか、それとも誤魔化すべきか迷う。知らず自分の手が胸のロザリオへと伸びていた。
こんなとき、シスターマリーならどうしていただろうか。どうするべきだといってくれるだろうか。
「……あたし、復讐のために島に行くの」
言葉にしながらどこか自分の声ではないような錯覚を覚えた。ひょっこりと現れたもう一人の自分が耳元で喋っているようなそんな感じだ。
アイシャは修道院を襲撃されたときのことを打ち明けた。
仲間のシスターたちが殺されたこと、母親代わりで恩人のシスターマリーがカードにされてしまったこと、自分が怒りの精霊と契約したこと、全てを話した。
エンヤは語り終えるまで口をきかなかった。僅かに動揺を示すように表情を曇らせたが涙は堪えていた。
しかし、彼女が再び口を開いたとき、その声には感情が満ちていた。
覆い隠しきれぬほど哀しみと同情がそこにあった。
ただ、エンヤの言葉はそれらの感情に裏打ちされた上での厳しいものだった。
「復讐だなんて、そんなの駄目」
「えっ」
「それじゃ未来が何もないよ。殺されたから復讐して、その先に何があるの? あなたに何が残るの? 何が満たされるの? 復讐を果たしたからってきっとその先には何もない」
エンヤが零れかけた涙を見せたくないといったふうにアイシャに背を向けた。
照れるように両手を後ろで組み、甲板の端へと歩く。
「あなたはちゃんと未来を見るべきよ、そうでなければあなたが大切に想っていた人たちだって悲しむわ」
未来。
そんなもの、アイシャは考えたこともなかった。
ただ仇を討ちたい、その一心だった。
しかし、エンヤに言われた言葉はアイシャの闇を、どす黒くて澱んだ闇を照らそうとしていた。射し込んできたものはささやかではあるが確かに光だった。
「エンヤ……」
「今は心に闇を抱えているかもしれない。でも忘れないで、あなたには未来があるの。あなたが大切に想っていた人たちのためにも未来を生きていかないといけない。だから、闇に飲み込まれないで」
振り返り微笑む。
「なんてね。私にしては真面目すぎる言葉だったか……な」
ズブッ。
肉を貫く音がエンヤの語尾に重なった。
鎌の刃のような長い緑色の影が胸から突き出ている。
エンヤの表情が小さく歪んで固まった。
彼女の背後で緑色の影がその形を成す。それはさっき倒したはずの巨大なカマキリの化け物だった。
ケラケラケラ!
あの笑いとも威嚇ともとれる声がアイシャの頭の中でこだまする。
「まだ俺は……負けてねぇ!」
トップナイフに寄りかかるような格好で、ボロボロになり、ずぶ濡れになったモヒカン男が立っていた。
ものすごい形相でアイシャを睨み、息を乱しつつ告げてくる。
「凶刃の精霊の……真の力を……思い知らせてやる!」
「アイシャ!」
エンヤだ。
アイシャは目を開け、振り向いた。
駆け寄ってきたエンヤが包むようにアイシャを抱き締める。
とくんと跳ねた心音にアイシャは慌てた。
今のがエンヤに聞かれていませんように……。
心配さがありありとうかがえる声音でエンヤが怒った。
「探したのよ! もう、無茶しないで!」
「……」
アイシャは小さくうなずく。
エンヤの体温が心地良かった。戦いで荒んでいた心が癒されるような気がする。そういえば彼女は治癒の精霊の契約者(リンカー)だったと思い出し苦笑する。
海風が冷たく吹きつけてくるが妙にぽかぽかした気分になった。
エンヤはまだ傷を塞ぐことぐらいしかできない。
でも、彼女のおかげで癒されている。
勝てて良かった。
エンヤを守れて良かった。
このひとときをこの上なく幸せに感じ、アイシャは微笑んだ。胸の高鳴りはどんどん激しくなっている。気持ちが溢れそうでアイシャは口を結んだ。
それでも熱を帯びた身体は隠せそうにない。
どうしようかと思案しているとエンヤが髪を撫でた。その感触も悪くない。
「ここ、切れてる」
そっと指で右耳の上を示され何となく気恥ずかしくなる。きっとトップナイフの攻撃をかわしきれずに掠めたのだろう。
「クラナド」
エンヤの声に呼応してニャーオと猫が鳴く。
いつの間にか傍に寄っていた白い猫がアイシャの足に触れた。
ほわりと心地良いものが伝わってくる。治癒の力だ。
少し身を離しエンヤがにこりとした。
「うん、治った。よしよし」
「あ、ありがとう」
照れくささでアイシャは声を上ずらせてしまう。
うんうんとエンヤが首肯した。
「すごいことになってるよね」
やがて周囲を見回してエンヤが感嘆した。
「途中の通路でもすごかったけど……何があったの?」
アイシャはかいつまんで敵との戦いを説明した。
ただ、ミセスのことは話さなかった。エンヤとは無関係だったし、何となく話さないほうがいいような気がしたからだ。
聞き終えたエンヤが探るような目をして質問した。
「どうしてあなたが狙われてるの?」
どうして、と問われてもアイシャにはわからなかった。
いや、全く見当もつかないという訳ではない。あのモヒカン男はオリビアという名を口にしていたし遭遇したときに「見つけたぞ」と言っていた。そこから導き出される答えは少なくない。
けれども、それをエンヤに教えるのは躊躇われた。彼女に要らぬ心配をさせたり、不安がらせたりしたくはない。
「アイシャ?」
エンヤの声が鋭くなる。
「私に何か隠してない?」
「……」
すぐに否定できなかった。
そんな自分の迂闊さをアイシャは苦く思う。身体が緊張で強ばった。細かく震えがくる。
エンヤが見つめていた。
答えを待っているのだと判じるのに時間はかからなかった。どうしようか、はぐらかそうかと逡巡し、さらに沈黙に追い詰められる。
ゆっくりと、壊れやすいものに触れるように優しくエンヤがアイシャの頬に片手を添えた。
ぴくんとアイシャの身体が跳ねる。
嘘のように震えが止まった。その代わりに心臓が壊れるのではないかというくらいドキドキしてくる。
「あなたが星神島に行く理由と関係あったりする?」
どきり、と心音が一つはっきりと打ち鳴らされる。
アイシャはぎゅっと拳を握った。話すべきか、それとも誤魔化すべきか迷う。知らず自分の手が胸のロザリオへと伸びていた。
こんなとき、シスターマリーならどうしていただろうか。どうするべきだといってくれるだろうか。
「……あたし、復讐のために島に行くの」
言葉にしながらどこか自分の声ではないような錯覚を覚えた。ひょっこりと現れたもう一人の自分が耳元で喋っているようなそんな感じだ。
アイシャは修道院を襲撃されたときのことを打ち明けた。
仲間のシスターたちが殺されたこと、母親代わりで恩人のシスターマリーがカードにされてしまったこと、自分が怒りの精霊と契約したこと、全てを話した。
エンヤは語り終えるまで口をきかなかった。僅かに動揺を示すように表情を曇らせたが涙は堪えていた。
しかし、彼女が再び口を開いたとき、その声には感情が満ちていた。
覆い隠しきれぬほど哀しみと同情がそこにあった。
ただ、エンヤの言葉はそれらの感情に裏打ちされた上での厳しいものだった。
「復讐だなんて、そんなの駄目」
「えっ」
「それじゃ未来が何もないよ。殺されたから復讐して、その先に何があるの? あなたに何が残るの? 何が満たされるの? 復讐を果たしたからってきっとその先には何もない」
エンヤが零れかけた涙を見せたくないといったふうにアイシャに背を向けた。
照れるように両手を後ろで組み、甲板の端へと歩く。
「あなたはちゃんと未来を見るべきよ、そうでなければあなたが大切に想っていた人たちだって悲しむわ」
未来。
そんなもの、アイシャは考えたこともなかった。
ただ仇を討ちたい、その一心だった。
しかし、エンヤに言われた言葉はアイシャの闇を、どす黒くて澱んだ闇を照らそうとしていた。射し込んできたものはささやかではあるが確かに光だった。
「エンヤ……」
「今は心に闇を抱えているかもしれない。でも忘れないで、あなたには未来があるの。あなたが大切に想っていた人たちのためにも未来を生きていかないといけない。だから、闇に飲み込まれないで」
振り返り微笑む。
「なんてね。私にしては真面目すぎる言葉だったか……な」
ズブッ。
肉を貫く音がエンヤの語尾に重なった。
鎌の刃のような長い緑色の影が胸から突き出ている。
エンヤの表情が小さく歪んで固まった。
彼女の背後で緑色の影がその形を成す。それはさっき倒したはずの巨大なカマキリの化け物だった。
ケラケラケラ!
あの笑いとも威嚇ともとれる声がアイシャの頭の中でこだまする。
「まだ俺は……負けてねぇ!」
トップナイフに寄りかかるような格好で、ボロボロになり、ずぶ濡れになったモヒカン男が立っていた。
ものすごい形相でアイシャを睨み、息を乱しつつ告げてくる。
「凶刃の精霊の……真の力を……思い知らせてやる!」