第46話 魂の精霊、そして……。
文字数 3,026文字
「……そうか、これが精霊と契約するということか」
ミーシャを床に下ろし、ローゼンバーグがつぶやく。
彼の傍に立つ化け物がゆっくりと片膝をついた。両手でミーシャの頭を包む。
ほわり、と化け物の手が銀色の光を放った。ミーシャの身体が光を纏う。
きらきらと輝きながらミーシャは光と一つになった。光は徐々に凝縮し一枚のカードへと変じていく。形を成すとカードはふわりと浮かびローゼンバーグの前に飛んでいった。
ローゼンバーグがそのカードを手にする。
「ミーシャ」
ローゼンバーグが愛おしそうにカードを見つめる。そのカードが何なのかアイシャにはわかっていた。これと同じものを彼女は目にしている。
修道院が襲撃されたときローゼンバーグはシスターマリーにも同一のことをした。
「これが魂の精霊の力……か」
ローゼンバーグが納得したようにうなずく。彼はカードから化け物のほうへと目を向けた。
「だが、これでは駄目だ。この力ではミーシャを取り戻せない」
彼はまたカードへと視線を戻した。
「これではミーシャの魂をカードにしただけで真に私のものにした訳ではない。こんなものでは彼女を取り戻したことにならない。これでは駄目だ」
ローゼンバーグが立ち上がった。化け物も彼に倣う。
「魂の精霊がいるのなら姓名の精霊もいるはずだ。いや、万物に精霊が宿るというならその万物全てを手に入れてしまえばどんな望みも叶うはず。一つ一つの精霊の力を得るのではなく全ての精霊の力を自分のものとしてしまえば……」
彼はシンイチロウの遺体を見下ろす。酷く感情のこもっていない目をしていた。そこに転がっている者への敬意など微塵もなかった。
「万物に精霊は宿る。そして星神島にあるという精霊にまつわる秘密。それはもしかして万物の精霊に関するものではないのかね? もしそうだとしたら、君はとても重大かつ有益な情報を私に隠そうとしていたことになる。だが、そんなことはもういい」
ローゼンバーグの手の中でカードが溶けるように消えていく。
「研究成果は私がいただく。あのアボイドとかいう君の助手を絞り上げてでも秘密は手に入れるからな」
アボイド。
アイシャはその名前に反応した。
アボイドのノートをローゼンバーグに渡してはならない。彼に万物の精霊の力を与えてはならない。
アイシャはぐっと拳を握った。強くより強く握った。
ローゼンバーグを睨みつける。
こいつの思い通りにしてたまるかッ!
その敵意を感じたのかローゼンバーグが振り向いた。
化け物も彼に続く。
とてつもない威圧感がアイシャを襲った。気を抜けば屈してしまいそうなプレッシャーに彼女はたじろぐ。
無意識のうちに一歩退いた。背中に嫌な汗が流れる。急激に喉が渇いてきた。
身震いこそしなかったが心の奥深くで恐怖を覚えた。
駄目。
アイシャは男から目を逸らしたい衝動にかられたがどうにか堪える。
そして同時に違和感も覚えた。それが何なのか思い至る。
……違う。
アイシャはローゼンバーグの傍らに存在する化け物を見た。マジシャンの格好をした狐のような姿のデザイン。確かにこいつは人をカードにする能力を持っている。だが、何かおかしい。
いや、何がおかしいのかそれはわかっている。
「こんなの違う」
アイシャは言った。自分の声が妙にはっきりと聞こえる。
「あたしはお母さんの機転で衣装ケースに隠れていたはず。事件はあたしが見てないところで行われていた。その現場にあたしが居合わせるなんて絶対におかしいしあり得ない!」
彼女はローゼンバーグへと真っ直ぐ突っ込んだ。心の中で声がしていた。違和感の正体を知りそれを認めたことで自分の奥でスイッチが入ったような気がした。
五歳の身体が十七歳のそれへと急速に成長していく。視点が高くなっていった。
リーチも伸びている。自分の攻撃範囲に達したアイシャは躊躇せず敵に殴りつけた。
「ウダァッ!」
拳に黒い光が現れた。どくんどくんと脈打つグローブは彼女の怒りを糧としてその力を強める。黒い光の帯が拳の軌道を描いた。
「うごおっ」
ローゼンバーグの胸にダーティワークの拳がめり込む。一撃だった。
胸から放射線状にひびが走る。それはローゼンバーグの身体を突き抜け傍らの化け物をも巻き込んだ。
いや、化け物だけではない。
ひびは空間をも破壊しあたりに広がっていく。
破砕音が響き渡った。
まるでガラスを砕くように鋭い音を響かせながら視界が崩れていく。粉々となった世界に金色の光が押し寄せた。波のように光が全てを飲み込んでいく。
アイシャは身構えてその奔流に流されまいとした。ダーティワークの黒い光がその輝きを増しアイシャの盾となる。力のフィールドが彼女を覆った。盾というよりバリヤーと言うべきなのかもしれない。
「……シャ」
声が聞こえた。
「アイシャ」
はっとしたとき金色の光が世界に満ちていた。五歳の自分に飛ばされる前にいた空間に彼女は戻っていた。酷くやつれた様子のミセスがすぐ横にいる。眉をハの字にし、ちょっと無理をしたような笑みを彼は投げかけてきた。
「良かった、君も帰ってこれたみたいだね」
「君も?」
答えつつアイシャはあたりを見回した。相変わらずの異空間だが少しだけほっとした。あのまま五歳のときの自分の家にいるよりはずっといい。
「僕は幼馴染みが事故死する現場に転移させられた。実際には僕の見ていない現場だ。正直、あんなものはもう二度と見たくないね。あの体験が試練だとしたら悪趣味もいいところだよ」
「……」
アイシャはうなずいた。悪趣味だという意見は激しく同意だ。
二人で敵を見た。
もっさり頭の男がさして面白くなさそうにフンと鼻を鳴らす。右肩に乗っていたクジャクのような灰色の化け物がその額の宝石をきらりと輝かせた。
男が言った。
「どうやら己の過去に打ち勝てたようだな」
「何が過去だ!」
ミセスが吠えた。
「人の辛い記憶に土足で踏み込んでくるなんて何様のつもりだよ。それとも礼儀とかポイッと捨ててるの?」
「不服か。それならそれで構わぬ。お前らに試練を与えるのが我が役目。試練に打ち勝った者のみがアボイドノートの秘密を得る」
「そう、ならあなたに用はないわね」
アイシャは静かに応える。その両拳にはダーティワークの黒い光のグローブがはまっている。脈動するグローブに黒い宝石が現れた。一対の宝石がチカチカと明滅する。それらはアイシャの怒りを反映するかのようでもあった。
アイシャはダッシュして男との距離を詰める。
男がクジャクを飛翔させた。迎え撃つようにクジャクが突っ込んでくる。
アイシャは怯まなかった。怯むどころか怒っていた。憤慨していたといってもいい。
怒りは「それ」の糧となる。
アイシャの中で「それ」がささやいた。
怒れ。
怒れ。
怒れ。
クジャクと交差する刹那、アイシャは拳を叩き込んだ。
「ウダァッ!」
めりっと音を鳴らして拳が命中する。そのまま男へとクジャクを殴り飛ばすとアイシャはさらに近づいた。
男の表情は変わらない。
が、そんなものはどうでもいい。
ぶちのめす。
ただそれだけだ。
自分のリーチの範囲まで接近するとアイシャは告げた。
「家族に会わせてくれてありがとう」
一呼吸置いて付け足した。
「でも、最低の気分だわ」
彼女は殴った。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……ウダァッ!」
ミーシャを床に下ろし、ローゼンバーグがつぶやく。
彼の傍に立つ化け物がゆっくりと片膝をついた。両手でミーシャの頭を包む。
ほわり、と化け物の手が銀色の光を放った。ミーシャの身体が光を纏う。
きらきらと輝きながらミーシャは光と一つになった。光は徐々に凝縮し一枚のカードへと変じていく。形を成すとカードはふわりと浮かびローゼンバーグの前に飛んでいった。
ローゼンバーグがそのカードを手にする。
「ミーシャ」
ローゼンバーグが愛おしそうにカードを見つめる。そのカードが何なのかアイシャにはわかっていた。これと同じものを彼女は目にしている。
修道院が襲撃されたときローゼンバーグはシスターマリーにも同一のことをした。
「これが魂の精霊の力……か」
ローゼンバーグが納得したようにうなずく。彼はカードから化け物のほうへと目を向けた。
「だが、これでは駄目だ。この力ではミーシャを取り戻せない」
彼はまたカードへと視線を戻した。
「これではミーシャの魂をカードにしただけで真に私のものにした訳ではない。こんなものでは彼女を取り戻したことにならない。これでは駄目だ」
ローゼンバーグが立ち上がった。化け物も彼に倣う。
「魂の精霊がいるのなら姓名の精霊もいるはずだ。いや、万物に精霊が宿るというならその万物全てを手に入れてしまえばどんな望みも叶うはず。一つ一つの精霊の力を得るのではなく全ての精霊の力を自分のものとしてしまえば……」
彼はシンイチロウの遺体を見下ろす。酷く感情のこもっていない目をしていた。そこに転がっている者への敬意など微塵もなかった。
「万物に精霊は宿る。そして星神島にあるという精霊にまつわる秘密。それはもしかして万物の精霊に関するものではないのかね? もしそうだとしたら、君はとても重大かつ有益な情報を私に隠そうとしていたことになる。だが、そんなことはもういい」
ローゼンバーグの手の中でカードが溶けるように消えていく。
「研究成果は私がいただく。あのアボイドとかいう君の助手を絞り上げてでも秘密は手に入れるからな」
アボイド。
アイシャはその名前に反応した。
アボイドのノートをローゼンバーグに渡してはならない。彼に万物の精霊の力を与えてはならない。
アイシャはぐっと拳を握った。強くより強く握った。
ローゼンバーグを睨みつける。
こいつの思い通りにしてたまるかッ!
その敵意を感じたのかローゼンバーグが振り向いた。
化け物も彼に続く。
とてつもない威圧感がアイシャを襲った。気を抜けば屈してしまいそうなプレッシャーに彼女はたじろぐ。
無意識のうちに一歩退いた。背中に嫌な汗が流れる。急激に喉が渇いてきた。
身震いこそしなかったが心の奥深くで恐怖を覚えた。
駄目。
アイシャは男から目を逸らしたい衝動にかられたがどうにか堪える。
そして同時に違和感も覚えた。それが何なのか思い至る。
……違う。
アイシャはローゼンバーグの傍らに存在する化け物を見た。マジシャンの格好をした狐のような姿のデザイン。確かにこいつは人をカードにする能力を持っている。だが、何かおかしい。
いや、何がおかしいのかそれはわかっている。
「こんなの違う」
アイシャは言った。自分の声が妙にはっきりと聞こえる。
「あたしはお母さんの機転で衣装ケースに隠れていたはず。事件はあたしが見てないところで行われていた。その現場にあたしが居合わせるなんて絶対におかしいしあり得ない!」
彼女はローゼンバーグへと真っ直ぐ突っ込んだ。心の中で声がしていた。違和感の正体を知りそれを認めたことで自分の奥でスイッチが入ったような気がした。
五歳の身体が十七歳のそれへと急速に成長していく。視点が高くなっていった。
リーチも伸びている。自分の攻撃範囲に達したアイシャは躊躇せず敵に殴りつけた。
「ウダァッ!」
拳に黒い光が現れた。どくんどくんと脈打つグローブは彼女の怒りを糧としてその力を強める。黒い光の帯が拳の軌道を描いた。
「うごおっ」
ローゼンバーグの胸にダーティワークの拳がめり込む。一撃だった。
胸から放射線状にひびが走る。それはローゼンバーグの身体を突き抜け傍らの化け物をも巻き込んだ。
いや、化け物だけではない。
ひびは空間をも破壊しあたりに広がっていく。
破砕音が響き渡った。
まるでガラスを砕くように鋭い音を響かせながら視界が崩れていく。粉々となった世界に金色の光が押し寄せた。波のように光が全てを飲み込んでいく。
アイシャは身構えてその奔流に流されまいとした。ダーティワークの黒い光がその輝きを増しアイシャの盾となる。力のフィールドが彼女を覆った。盾というよりバリヤーと言うべきなのかもしれない。
「……シャ」
声が聞こえた。
「アイシャ」
はっとしたとき金色の光が世界に満ちていた。五歳の自分に飛ばされる前にいた空間に彼女は戻っていた。酷くやつれた様子のミセスがすぐ横にいる。眉をハの字にし、ちょっと無理をしたような笑みを彼は投げかけてきた。
「良かった、君も帰ってこれたみたいだね」
「君も?」
答えつつアイシャはあたりを見回した。相変わらずの異空間だが少しだけほっとした。あのまま五歳のときの自分の家にいるよりはずっといい。
「僕は幼馴染みが事故死する現場に転移させられた。実際には僕の見ていない現場だ。正直、あんなものはもう二度と見たくないね。あの体験が試練だとしたら悪趣味もいいところだよ」
「……」
アイシャはうなずいた。悪趣味だという意見は激しく同意だ。
二人で敵を見た。
もっさり頭の男がさして面白くなさそうにフンと鼻を鳴らす。右肩に乗っていたクジャクのような灰色の化け物がその額の宝石をきらりと輝かせた。
男が言った。
「どうやら己の過去に打ち勝てたようだな」
「何が過去だ!」
ミセスが吠えた。
「人の辛い記憶に土足で踏み込んでくるなんて何様のつもりだよ。それとも礼儀とかポイッと捨ててるの?」
「不服か。それならそれで構わぬ。お前らに試練を与えるのが我が役目。試練に打ち勝った者のみがアボイドノートの秘密を得る」
「そう、ならあなたに用はないわね」
アイシャは静かに応える。その両拳にはダーティワークの黒い光のグローブがはまっている。脈動するグローブに黒い宝石が現れた。一対の宝石がチカチカと明滅する。それらはアイシャの怒りを反映するかのようでもあった。
アイシャはダッシュして男との距離を詰める。
男がクジャクを飛翔させた。迎え撃つようにクジャクが突っ込んでくる。
アイシャは怯まなかった。怯むどころか怒っていた。憤慨していたといってもいい。
怒りは「それ」の糧となる。
アイシャの中で「それ」がささやいた。
怒れ。
怒れ。
怒れ。
クジャクと交差する刹那、アイシャは拳を叩き込んだ。
「ウダァッ!」
めりっと音を鳴らして拳が命中する。そのまま男へとクジャクを殴り飛ばすとアイシャはさらに近づいた。
男の表情は変わらない。
が、そんなものはどうでもいい。
ぶちのめす。
ただそれだけだ。
自分のリーチの範囲まで接近するとアイシャは告げた。
「家族に会わせてくれてありがとう」
一呼吸置いて付け足した。
「でも、最低の気分だわ」
彼女は殴った。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……ウダァッ!」