第54話 新たな力・ソウルイーター

文字数 2,909文字

 ラッドウインプスの光弾となって島を縦断したアイシャは無事に南端の砂浜に到着した。

 暗い海を臨む海岸線は思っていたよりも長く月明かりのおかげで意外なほど遠くまで見えた。暗青の空に星々が煌めきぽっかりと少し欠けた月が浮かんでいる。黒にも誓い色の青さで海はその存在を主張し砂浜を侵食するように波を寄せていた。

 視線を移すと崖があり、東大とコンクリートの建物が見える。

 一定のリズムを刻むように東大はその明かりを放っていた。ややくすんでいるものの東大はどこか誇らしげに建っている。長い年月この東大は海を見守ってきたのだ。

 コンクリートの建物は連絡船で聞いた施設だろう。

 空から見た限りではなかなかの規模があった。窓らしい窓は見当たらないが、それは施設の運用上やむを得ないのかもしれない。

 あそこは危険な契約者(リンカー)を収容しているのだ。外に出さぬよう最大限の軽微もされているに違いない。

 アイシャは砂浜に目を戻した。

 見渡す範囲にローゼンバーグの姿はない。

 魂の在処が現れる位置は海に沈んでおり、儀式の条件に適していなかった。そもそもまだ夜明けの星が出ていない。

 アイシャは夜明けの星が明けの明星であると理解していた。明け方に浮かぶ金星は儀式のために何らかの影響を与えるのだろう。それとも時間的な意味合いが強いのか。

 アボイドノートの記述によれば精霊的な力を示唆していたが明確には書かれていなかった。ただアイシャの頭にある種のイメージが残っている。

 いずれにしても儀式を行うに足る状況ではなかった。そのことがアイシャに軽い安堵を覚えさせる。

 ローゼンバーグは未だ万物の精霊の力を手に入れていない。

 ぞわっと身の毛がよだつ感覚に襲われ、アイシャは咄嗟にその場から飛び退いた。

 さっきまでアイシャが建っていた場所を何かが吹き抜け砂浜に筋をつける。小さな砂埃が舞った。見えない何かがそのまま砂を舞い上げながら五メートルほど進んで消える。

 誰かの攻撃であることは疑いようもなかった。

 いや、誰かと言うよりローゼンバーグのと言うべきか。

 攻撃の終えた位置に人影が現れた。

 すうっと空間から滲み出るように出現したそれはローゼンバーグで、水色館で相対したときと同じダークスーツ姿だった。首の後ろで束ねた背中まである長い銀髪が海風に吹かれてふわりと揺れる。

 その姿にだぶるように重なった影が彼から離れ、一つの形を成した。

「なっ」

 驚きのあまりアイシャは声を発してしまう。

 そこに立っているのはアイシャの知るソウルハンターではなかった。

 シルクハットを被ったキツネのマジシャンは銀色の毛並みをそのままにデザインを変えている。

 キツネであるには違いないが手品師の格好はしていない。帽子の類はなく、つんと尖った耳が剥き出しになっていた。黒い革のタンクトップにハーフパンツを身につけ幅の広い黒のベルトを腰に巻いている。長方形のバックルは中央に銀色の宝石を填めていた。それが額の宝石と連動するように淡く光る。手には黒いグローブ、足には黒いブーツ。

 どこか格闘家めいた印象があり、以前の化け物とは比べようもないほど禍々しい雰囲気を漂わせていた。

 キツネの化け物は鋭い目を愉快そうに細め、大きな口を歪ませてその隙間から牙を覗かせる。ふんと胸を張ると逞しい筋肉が隆起した。否が応でも接近戦で苦戦するであろうことを予想させる。

 これはもう別物だ。

 アイシャはそう判じながらダーティワークを発現させた。

 ぐっと拳をにぎってファイティングポーズをとる。相手がどう変異しようと関係ない。とにかくぶちのめすのみだと自分に言い聞かせた。

「五十二の高次の精霊を我が物としたことにより」

 ローゼンバーグが言った。

「魂の精霊は進化した。ソウルハンターはその役割を終え、新たな能力を目覚めさせている」

 キツネの化け物がゆらりと揺れた。

 瞬間。

 ローゼンバーグとキツネの化け物が消える。

「私はこれにソウルイーターと名付けた」
「……!」

 すぐ傍にローゼンバーグが現れアイシャは絶句する。

 全く動きが見えなかった。

 さっきは見えていた砂埃すら見えず彼女は激しく動揺する。心音が騒がしくなり、遅れて冷や汗が浮かんだ。冷静であれば一発ぶち込める距離にいるというのに身体が動かない。

「アイシャ」

 ローゼンバーグの声が優しくなった。

「ここまで追って来たということは覚悟をしていると解釈していいな?」
「……」

 ドスッ!

 鈍い音と衝撃がアイシャを襲った。

 腹部を強打されたアイシャは呻き声を上げる暇すら許されずぶっ飛ばされる。砂浜に仰向けになって倒れた彼女にローゼンバーグが言った。

「手加減してこれか」

 ゆっくりとソウルイーターを連れてローゼンバーグが近づいてくる。

「お前は私に勝てん。絶対的な力の差を認めて諦めろ。そうするなら今のお前のままミーシャに会わせてやる」

 ミーシャ。

 母の名を耳にしアイシャは動揺する。

 同時に自分の中でささやくものを強く感じた。「それ」のささやきだ。アイシャはあえて意識しないよう努めた。

 彼女は復讐のためだけにここに来たのではない。ヨウジやミセスたちの分も背負って決戦に臨んでいるのだ。ただの怒りに身を任せて戦いたくはなかった。

 アイシャは身を起こす。ダメージは小さくないがどうにか身体は動いた。

「大人しく従うと本気で思ってるの?」
「そんなに死にたいのか」

 質問に質問で返すというより呆れているようだった。ローゼンバーグはふむと息をつき、少し首を傾けてからアイシャを見下ろす。

「やむを得んな。聞き分けのない娘は一度始末し、万物の精霊の力で蘇らせることにしよう。もちろん私に従順な娘としてな」
「……」

 アイシャは嫌悪のあまり吐きたくなる。

 ローゼンバーグの思い通りにさせてなるものかと改めて誓った。「それ」が声を大にしてさらに煽る。身体の奥からこだまする声は無視し難いくらい彼女に力を注いだ。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 どくんどくんとアイシャの脈拍が速くなる。沸き上がる感情が闘志を強くした。全身を循環する熱が憤怒を色濃くする。ともすれば飲み込まれてしまいそうな激しさだ。

「ソウルイーターは魂を糧にその力を倍加させる」

 静かにローゼンバーグが言った。

「そして、その速さは超高速。アイシャ、私に刃向かうのはやめろ。これは運命なのだ。運命が私を万物の精霊へと導いているのだッ! それを妨げることは誰であろうと許されない」
「ふざけ……ないで」

 怒りに支配されてはならないと自分を抑えつつアイシャは言葉を絞り出した。

「あんたが運命に導かれてる? 笑わせないで。あんたはただの人殺しじゃない。自分の欲望のために皆を犠牲にして、皆を悲しませて、そんな奴に運命が味方してくれると思ったら大間違いよ。あんたに万物の精霊は渡さない。そんなの私が許さない」

 立ち上がったアイシャのダーティワークに一対の黒い宝石が浮かび上がる。

 彼女の決意に呼応するように二つの宝石がチカチカと輝いた。

「あんたはここでぶっ潰すッ!」

 宣言し、アイシャはローゼンバーグへと突進した。

「ウダァッ!」
 
 
 
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