第23話 ガンズアンドローゼズの襲撃 その1
文字数 2,730文字
昇降口を後にするとアイシャはヨウジから少し遅れてついていった。
授業から解放された生徒たちの波に紛れるようにしばらく歩くと部活棟のくすんだ灰色の建物が見えた。高校の校舎も灰色だがこちらは部活棟よりも明るい色だ。建てられた年数が部活棟よりも若いのかもしれない。
高校の校舎と部活棟に挟まれる形で中庭があり、円形に植えられた低木に囲まれるように噴水があった。いくつかのベンチが設置されており数組の生徒が座っている。
噴水から勢いよく噴出した水が二つの綺麗なアーチを描いていた。
季節は秋だが日差しはそれなりにあり暖かさのほうが勝っている。微かに香る銀杏の匂いは高校の裏手にある銀杏並木から漂ってきているのだろう。さらにその先には森があった。
今はそちらへは向かわず部活棟を右手にしながら中庭を直進し大学の方へと歩いている。
「園芸学部の建物の先がバラ園、途中で右に折れると農学部の校舎」
ヨウジが足を止めずに手で示す。
そっけない態度だが、わざわざ案内してくれているのでアイシャの印象はさして悪くなかった。ただ、面倒だなとは思っている。これから一戦交えるかもしれないというのに無関係な人間を巻き込む訳にはいかない。適当なところでヨウジには帰ってもらわなくてはならなかった。
アイシャは後ろから声をかけた。
「ありがとう、もうここでいいわ」
「ん?」
ヨウジが立ち止まった。ひねるように振り返る。
「まだ少し歩くぞ。こんな中途半端なところでいいのか?」
「ええ」
首肯する。
遠くで運動部らしきかけ声が聞こえた。ランニングをしているようだ。
「それにあんまり付き合わせるのも悪いし。あなたにだって用があるでしょ?」
「いや、どうせ暇だし」
あっさりと否定された。
「……」
妙な間が訪れる。アイシャは自分が顔を引きつらせてはいないだろうかと心配になった。自分が愛想の良いほうではないと自認しているが、それでも不必要にマイナスイメージを与えたくはない。ソウルハンターに復讐するという目的のためにもその妨げとなるような無用なトラブルは避けたかった。
「シスターはあれか、あんまり人を頼りたくないタイプか?」
不意にヨウジが聞いてきた。沈黙に堪えきれなかったといったふうに小さく苦笑いを浮かべている。ポリポリと彼は人差し指で自分の頬をかいた。
「ひょっとして俺、迷惑?」
「……」
返答に困った。
はっきり迷惑と言ってしまえばいいのかもしれないけれどここまで連れて来てもらった手前気が引けた。エンヤならどうするだろう、いやシスターマリーならどうするだろうと考える。
彼女たちなら迷惑がったりしないかもしれない。
とはいえ、バラ園で何があるかわからないというのに彼を同行させても大丈夫なのか。
アイシャが逡巡しているとヨウジがため息をついた。どこか呆れているような、そんなため息だった。
「遠慮なら要らないぞ。俺が勝手に案内しているだけだからな」
「あ、いえ」
変な誤解をされ、アイシャは戸惑う。
これから敵と戦うつもりだと素直に白状できればどんなに楽か。
だが、そういう訳にもいかない。知り合ってまだ間もない相手にする話にしては物騒すぎた。
仕方ない、バラ園に着いたらすぐ別れよう。
無言でそう決めるとアイシャは再び歩きだした。
それを「案内を続けても良い」と判断したのかヨウジも歩き始める。数歩でまたヨウジが先に立った。
*
園芸学部の校舎の脇を通りながらヨウジが話しかけてきた。
「シスターはどこから通学しているんだ?」
「水色館」
どうせ秘密にしても容易く調べられることなので教えた。それにポピンズ夫人のホームスイートホームは許可なく侵入しようとする者を阻んでくれる。下手なセキュリティよりよっぽど安心だ。
たとえヨウジが変な気を起こしても寮の中までは入って来れない。
「水色館か」
ヨウジがうなずいた。
「そうか、なるほどなるほど」
含みのある言葉にアイシャは眉をひそめる。
「何? はっきり言えば?」
「いや、知り合いがあそこにいるんだ」
「……誰?」
ヨウジが数秒ほど中空に目をやる。アイシャに教えるべきか誤魔化すか迷っているようにも見えた。
農学部の校舎へと続く道から作業服姿の老人が現れる。
手には丸めた緑色のゴムホースとプラスチック製の青いバケツ。作業服はカーキ色で沢山のポケットがついていた。
年は六十を過ぎているようだ。おでこが広がった頭髪は白く決して銀髪と見間違える要素はない。小柄な体躯で痩せてはいるが日に焼けた小麦色の肌が健康的だった。
丸い目がアイシャの視線を捉えたのか僅かに頭を下げてくる。
アイシャも会釈した。
気の良さそうな老人がアイシャの隣にいるヨウジにも気づいた様子で近づいてくる。
げっ、とヨウジが嫌そうな顔をした。
「やあやあ、別嬪さんとご一緒とはヨウジも隅に置けんのう」
どこか片言な感じのイントネーション。他所の国から来たのではないかというくらい喋りが編だった。
「じいさん、さっさとバラ園に行けよ。あんたの好きなバラを待たせるなよ」
「待たせるも何も、庭師はワシだけじゃないからのう。それより何じゃ? 別嬪さんのシスターとデートか?」
「そんなんじゃねぇよ」
ヨウジがやや照れくさそうに頬をかく。
「このシスターがバラ園に行きたいって言うから案内しているだけだ」
「案内をねぇ……」
下卑た笑いを浮かべつつ老人がヨウジの顔を覗き込む。
ヨウジが顔を背けた。老人がニシシと笑む。やけに子供っぽく歯を見せて笑った。
「いいのう、若いとは素晴らしいのう」
「……ほっとけ、このクソジジイ」
毒づくヨウジから老人はアイシャへと顔を向ける。
「ふむふむ、見れば見るほど別嬪さんじゃのう」
「……」
それはどうも、と応える代わりにアイシャはまた頭を下げる。
何かを見つけた老人が距離を詰めて手を伸ばしてきた。
「肩に枯れ葉がついとるぞ」
「えっ」
老人の白い軍手をはめた小さな手がアイシャの肩に触れた。払われた枯れ葉がカサリと音を立てる。
「あれじゃな、別嬪さんは枯れ葉にも好かれるんじゃのう」
老人がワハハと笑い、アイシャの脇を通ってバラ園へと行こうとした。歩いた表紙に丸めていたゴムホースがほどける。だらりと垂れたホースの先端が地面に落ちた。
「おっと、こりゃいかん」
「……」
アイシャは地に着いたホースの先を拾おうとして身を屈めた。
タタタタタタタタッ!
突如、乾いた音が鳴り響き、瞬間老人の身体が小刻みに震えた。
そのあまりに急な展開にアイシャは目を見開いてしまう。
「えっ!」
「……」
老人が声を発することなくその場で仰向けに倒れる。ゴムホースが散らばりバケツが鈍い音とともに転がった。
授業から解放された生徒たちの波に紛れるようにしばらく歩くと部活棟のくすんだ灰色の建物が見えた。高校の校舎も灰色だがこちらは部活棟よりも明るい色だ。建てられた年数が部活棟よりも若いのかもしれない。
高校の校舎と部活棟に挟まれる形で中庭があり、円形に植えられた低木に囲まれるように噴水があった。いくつかのベンチが設置されており数組の生徒が座っている。
噴水から勢いよく噴出した水が二つの綺麗なアーチを描いていた。
季節は秋だが日差しはそれなりにあり暖かさのほうが勝っている。微かに香る銀杏の匂いは高校の裏手にある銀杏並木から漂ってきているのだろう。さらにその先には森があった。
今はそちらへは向かわず部活棟を右手にしながら中庭を直進し大学の方へと歩いている。
「園芸学部の建物の先がバラ園、途中で右に折れると農学部の校舎」
ヨウジが足を止めずに手で示す。
そっけない態度だが、わざわざ案内してくれているのでアイシャの印象はさして悪くなかった。ただ、面倒だなとは思っている。これから一戦交えるかもしれないというのに無関係な人間を巻き込む訳にはいかない。適当なところでヨウジには帰ってもらわなくてはならなかった。
アイシャは後ろから声をかけた。
「ありがとう、もうここでいいわ」
「ん?」
ヨウジが立ち止まった。ひねるように振り返る。
「まだ少し歩くぞ。こんな中途半端なところでいいのか?」
「ええ」
首肯する。
遠くで運動部らしきかけ声が聞こえた。ランニングをしているようだ。
「それにあんまり付き合わせるのも悪いし。あなたにだって用があるでしょ?」
「いや、どうせ暇だし」
あっさりと否定された。
「……」
妙な間が訪れる。アイシャは自分が顔を引きつらせてはいないだろうかと心配になった。自分が愛想の良いほうではないと自認しているが、それでも不必要にマイナスイメージを与えたくはない。ソウルハンターに復讐するという目的のためにもその妨げとなるような無用なトラブルは避けたかった。
「シスターはあれか、あんまり人を頼りたくないタイプか?」
不意にヨウジが聞いてきた。沈黙に堪えきれなかったといったふうに小さく苦笑いを浮かべている。ポリポリと彼は人差し指で自分の頬をかいた。
「ひょっとして俺、迷惑?」
「……」
返答に困った。
はっきり迷惑と言ってしまえばいいのかもしれないけれどここまで連れて来てもらった手前気が引けた。エンヤならどうするだろう、いやシスターマリーならどうするだろうと考える。
彼女たちなら迷惑がったりしないかもしれない。
とはいえ、バラ園で何があるかわからないというのに彼を同行させても大丈夫なのか。
アイシャが逡巡しているとヨウジがため息をついた。どこか呆れているような、そんなため息だった。
「遠慮なら要らないぞ。俺が勝手に案内しているだけだからな」
「あ、いえ」
変な誤解をされ、アイシャは戸惑う。
これから敵と戦うつもりだと素直に白状できればどんなに楽か。
だが、そういう訳にもいかない。知り合ってまだ間もない相手にする話にしては物騒すぎた。
仕方ない、バラ園に着いたらすぐ別れよう。
無言でそう決めるとアイシャは再び歩きだした。
それを「案内を続けても良い」と判断したのかヨウジも歩き始める。数歩でまたヨウジが先に立った。
*
園芸学部の校舎の脇を通りながらヨウジが話しかけてきた。
「シスターはどこから通学しているんだ?」
「水色館」
どうせ秘密にしても容易く調べられることなので教えた。それにポピンズ夫人のホームスイートホームは許可なく侵入しようとする者を阻んでくれる。下手なセキュリティよりよっぽど安心だ。
たとえヨウジが変な気を起こしても寮の中までは入って来れない。
「水色館か」
ヨウジがうなずいた。
「そうか、なるほどなるほど」
含みのある言葉にアイシャは眉をひそめる。
「何? はっきり言えば?」
「いや、知り合いがあそこにいるんだ」
「……誰?」
ヨウジが数秒ほど中空に目をやる。アイシャに教えるべきか誤魔化すか迷っているようにも見えた。
農学部の校舎へと続く道から作業服姿の老人が現れる。
手には丸めた緑色のゴムホースとプラスチック製の青いバケツ。作業服はカーキ色で沢山のポケットがついていた。
年は六十を過ぎているようだ。おでこが広がった頭髪は白く決して銀髪と見間違える要素はない。小柄な体躯で痩せてはいるが日に焼けた小麦色の肌が健康的だった。
丸い目がアイシャの視線を捉えたのか僅かに頭を下げてくる。
アイシャも会釈した。
気の良さそうな老人がアイシャの隣にいるヨウジにも気づいた様子で近づいてくる。
げっ、とヨウジが嫌そうな顔をした。
「やあやあ、別嬪さんとご一緒とはヨウジも隅に置けんのう」
どこか片言な感じのイントネーション。他所の国から来たのではないかというくらい喋りが編だった。
「じいさん、さっさとバラ園に行けよ。あんたの好きなバラを待たせるなよ」
「待たせるも何も、庭師はワシだけじゃないからのう。それより何じゃ? 別嬪さんのシスターとデートか?」
「そんなんじゃねぇよ」
ヨウジがやや照れくさそうに頬をかく。
「このシスターがバラ園に行きたいって言うから案内しているだけだ」
「案内をねぇ……」
下卑た笑いを浮かべつつ老人がヨウジの顔を覗き込む。
ヨウジが顔を背けた。老人がニシシと笑む。やけに子供っぽく歯を見せて笑った。
「いいのう、若いとは素晴らしいのう」
「……ほっとけ、このクソジジイ」
毒づくヨウジから老人はアイシャへと顔を向ける。
「ふむふむ、見れば見るほど別嬪さんじゃのう」
「……」
それはどうも、と応える代わりにアイシャはまた頭を下げる。
何かを見つけた老人が距離を詰めて手を伸ばしてきた。
「肩に枯れ葉がついとるぞ」
「えっ」
老人の白い軍手をはめた小さな手がアイシャの肩に触れた。払われた枯れ葉がカサリと音を立てる。
「あれじゃな、別嬪さんは枯れ葉にも好かれるんじゃのう」
老人がワハハと笑い、アイシャの脇を通ってバラ園へと行こうとした。歩いた表紙に丸めていたゴムホースがほどける。だらりと垂れたホースの先端が地面に落ちた。
「おっと、こりゃいかん」
「……」
アイシャは地に着いたホースの先を拾おうとして身を屈めた。
タタタタタタタタッ!
突如、乾いた音が鳴り響き、瞬間老人の身体が小刻みに震えた。
そのあまりに急な展開にアイシャは目を見開いてしまう。
「えっ!」
「……」
老人が声を発することなくその場で仰向けに倒れる。ゴムホースが散らばりバケツが鈍い音とともに転がった。