第39話 月の魔女の語ること(アイシャサイド)

文字数 2,869文字

 ヨウジの放った光弾がステッペンウルフを撃破する少し前。

 アイシャは黒いローブを纏った赤髪の少女の能力に圧倒されていた。

「フライミートゥザムーン」はあらゆるベクトルを自在に操ることができる。

 アイシャの殴る能力も例外ではなかった。彼女の撃ち込んだ拳はことごとくかわされ、触れることすら叶わなかった。渾身のラッシュでさえも虚しく空を切ったのだ。

 力の差は歴然でアイシャの心に絶望が広がっていた。

 相変わらず「それ」が怒りを煽ろうとささやき続けているが、その声は酷く遠くに感じられた。戦意はもう失われている。自分の無力さにアイシャは打ちのめされるばかりだった。

 アイシャの戦う意思が無くなったのを察したのか赤髪の少女は能力を解除した。

 喉への圧迫が消え、ずっと上げっぱなしになっていた両腕がだらりと垂れる。そのままアイシャはへたりと座り込んだ。床のひんやりとした質感を覚えつつ激しく咳き込む。不足していた酸素を大きく吸い込んだ。

 呼吸が楽になってくると無意識に手が胸のロザリオへと延びた。

 自身の能力「ダーティワーク」はすでに解けている。アイシャはしばらく床を見つめ、己の不甲斐なさに思いを巡らせた。

 こんなものか、こんなものなのかとアイシャは自問を繰り返す。

「まだろくに能力のコントロールもできていないのね」

 赤髪の少女の声にアイシャは顔を上げた。

 見下ろす目は笑っていない。むしろ憐れみの色が合った。

「でも残念、それを学ぶにはもう時間が足らない」
「……」

 アイシャは無言で赤髪の少女を見つめた。

 ふふっ、と赤髪の少女の口許が緩まる。彼女は僅かに首を傾げた。右肩から垂らした胸まである赤い三つ編みの髪がささやかに揺れ、白い首を覗かせる。その艶っぽい仕草になぜか見た目よりずっと年上に思えた。ふと沸いた興味が口をついだ。

「あなた何者なの?」
「皆には魔女と呼ばれているわ。私はドリス。月の精霊の契約者(リンカー)」
「ソウルハンターの仲間なのよね?」
「仲間?」

 クスクスと面白そうにドリスは肩を震わせる。何がそんなに可笑しいのかと訝しんでいるとドリスはかぶりを振った。

「違うわ。彼には手を貸しているだけ。お互いに相手を利用し合っているにすぎないわ。でもそうね、よく知らない人にはそう見えちゃうのかもしれないわね」

 ……ソウルハンターの仲間じゃない?

 アイシャは困惑し目を瞬かせる。どういうことなのかと疑問が膨らんだ。そして、この島で何が起きているのかと別の疑問が浮かんでくる。

「高城アイシャ」

 フルネームで呼ばれ彼女は身体をピクリとさせた。高城(たかぎ)の姓を耳にするのは久しぶりだ。修道院に入ってからは特に姓を口にすることがなくなっていたし、口にされることもなかった。

 それなのに?

「ソウルハンターに見せてもらった資料のおかげでもあるんだけど、それ以外にも思い出したことがあるのよ。あなた、高城教授の娘よね?」
「えっ」

 戸惑うアイシャにドリスがうなずいた。ポコポコと疑問符がアイシャの頭の中から沸いてくる。「それ」の声が掠れて聞こえるほどだ。処理しきれない疑問が彼女を埋もれさせようとしていた。本当にこの魔女は何者なのだろう。

「私、高城教授とは面識があるの。ほら、彼は精霊について研究していたでしょ?」

 ほら、と言われても。

 急すぎる展開についていけずアイシャは目が回りそうだった。混乱の極みに落ちつつある彼女をよそに状況はさらに動こうとしている。ぶつぶつと不平の声を漏らしながらポピンズ夫人が戻ってきたのだ。

 彼女は床から五センチほど浮かんだまますうっとこちらへ近づいてきた。

 その手には古びた一冊のノート。

「持ってきましたよ」
「ご苦労様」

 にこやかだが不機嫌そうな声音のポピンズ夫人。

 ドリスが愛想良く応えてノートを受け取った。

 それは古く汚れていたがごく普通のノートのようにアイシャには見えた。表紙と背表紙は青く白抜きで文房具メーカーのものらしきロゴが記されている。表紙に横文字で黒く書かれたサインは明らかに人の名前だ。「アボイド・アップル」と読めた。

「アボイドはこの島の住民で高城教授の助手をしていたの」

 ドリスは愛おしそうにきゅっとノートを抱き締めた。ほんのりと頬に朱が走る。乙女のように彼女は微笑んだ。

「このノートには彼と高城教授の研究の成果が綴られているわ。でも、それはあまりにも島の秘密に迫りすぎていて、そのために悲劇が引き起こされたのよ。このノート自体にも封印が施されたの」
「な、何の話?」

 島の秘密とか封印とか……アイシャには予想外すぎて驚くべきかどうかさえわからなくなる。

 しかし、ドリスはそんなアイシャに構わず質問した。

「大切な人を取り戻したいと思ったことはない?」
「……」

 真っ先にエンヤの顔が脳裏に浮かんだ。

 次いでシスターマリー。

 アイシャの胸がとくんと鳴った。自分の心が悟られぬよう彼女はぎゅっとロザリオを握る。ふふっと笑うドリスに若干の苛立ちを覚えた。だが、彼女に攻撃は効かないという事実が安全装置のようにダーティワークの発動を思い止まらせる。

「万物に精霊は宿るの」

 アイシャが応えずにいるとドリスが言った。質問と繋がりのない言葉に聞こえアイシャは疑問符を増やす。

 どこか含みを込めて、どこかお伽噺をするかのように。

「ありとあらゆるものに精霊は存在するわ。植物や動物に限らず物や場所、気象や感情、様々な概念にさえ精霊は宿るの。そしてそれら精霊と契約して力を身につけた者は契約者(リンカー)となる」

 ドリスは言葉を切り、中空に目をやった。そこに何か書かれているかのように続ける。

「ほとんどの場合、精霊は一人に一つずつしか契約しないの。私には月の精霊、ポピンズ夫人には家庭の精霊といった具合にね。あなたがバラ園で戦ったアクセルにはバラの精霊がついていたし、ヨウジには風の精霊がついている。あなたにもいるわよね?」

 気圧されアイシャは首肯する。ドリスの赤い三つ編みにつけられた黒いリボンが乳白色の宝石をキラリとさせた。

「精霊は一人に一つ。でも、例外はあるの。それは厳密には契約の上に成り立っている訳ではないんだけど一人で複数の精霊を有することはできる……そう、ソウルハンターのようにカードにしてしまうとか」
「あ……」

 シスターマリーがカードにされたときのことが蘇った。そうだ、あの能力なら沢山の精霊を自分のものにできるはず。

「けどね、いくら多くの精霊を自分のものにしようとしたとしても限度はあるの。万物の精霊を自分のものとするにはもっと別の方法を使わなくちゃいけない。そして、万物の精霊と契約した者は今より高い次元に立つことができる」
「万物の精霊……」

 そう、とドリスが首を縦に振った。

「それがソウルハンターの目的。彼はそのためにこの島にいる。さらに言えば彼がカードを集めているのは」
「自分の欲望を満たすためにあいつは契約者(リンカー)を狩っている……そういうことなの?」
「万物の精霊を得るためには必要なのよ」
 
 
 
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