第7話 ジョーカーとクラナド その4

文字数 2,377文字

「動くな! 動けば撃つ!」

 ダークスーツの男が銃口をアイシャに向けていた。

 その目は真剣そのもので険しさと緊張を重ね塗りしたかのようでもある。

 まっすぐに両手を突き出し、鈍く光る黒い拳銃を右手でしっかりと握っていた。添えられた左手には男の緊迫感を示すように力がこもっている。

 くっ、とアイシャは唇を噛んだ。

 構えはとったまま、しかしいつでもポワキンを殴れるように1分の隙も与えず眼光鋭く敵を捕らえていた。

 にいっとポワキンが笑みを広げる。

 倒れていたジョーカーがゆっくりと半身を起こした。

 嘲るような笑顔に変化はない。ノーダメージであろうと予測はしていたものの、いざその予想が的中してみるとなかなかに辛いものがある。

 この化け物をいつまでも相手にしていたくない。

 本体を叩かないと……。

「いいか、そのままじっとしていろよ」

 ダークスーツの男が念を押した。

「ちょっとでも動いたら撃つからな」
「……」

 アイシャはポワキンを凝視している。

 にやけたポワキンには余裕以上の何かがあった。病的な笑みをさらに広げ、目をより細くしている。

 その少し離れたところでジョーカーが立ち上がっていた。

 右手を胸のあたりまでやりその形状を変える。手刀をドリルのように溝のついた円錐形へと変じた。

 アイシャの脳裏にネズミにされた被害者たちの姿がよぎる。

 ジョーカーの右手とあの胸の穴との関連づけは容易にできた。

 つまり、あの右手が二人の胸の穴を開けたということか。

 さらに穴からは光が生じ、その光に包まれるとネズミに変化して死ぬ、と。

 ごくりと唾を飲んだ。

 自分の身体で試すつもりはない。

 だが、ジョーカーと戦うということは少なからずそのリスクを負わねばならないということでもあった。

 アイシャは内心でぞっとしながらも表情には出さぬよう腐心する。

 しかしそのささやかな弱気がポワキンに伝わってしまったのか彼の口がいやらしそうに歪んだ。。

 ジョーカーの目が赤く妖しく光る。

 ダークスーツの男が叫んだ。

「ポワキン! その化け物をじっとさせろ!」

 なぜか「ウヒャヒャ」と嘲笑う甲高い男の子の声が聞こえた。ポワキンの声ではない。もちろんダークスーツの男のものでもない。

 嘲笑の精霊。

 またそんな名前が頭に浮かんだ。

 とすると、この声はジョーカーのものか?

 ポワキンが言った。

「誰も僕を閉じ込めたりできないよ。僕、あの島には行かないからね」

 アイシャに、というよりはダークスーツの男に向けられているようであった。

「僕を閉じ込めるなんて誰にもできないよ。ママだろうとパパだろうと、たとえ政府の偉い人だろうと僕を閉じ込めるなんてできないよ」
「お前のような危険な奴は施設で管理されるべきなんだ」

 ダークスーツの男が言った。

「お前はすでに両親も含めて十人以上も人を殺している。そんな奴がのうのうと外を歩けると思うなよ」
「ふうん」

 ポワキンが唸った。

 それはとてもつまらなそうな、退屈で仕方ないといったような感じだった。ポワキンがダークスーツの男の糾弾に興味がないのは明らかだ。

 アイシャはより強くポワキンを睨みつける。

 事情はどうあれこのストライプの男は自身の両親を殺害しているらしい。それだけでなく他にも殺人を繰り返しているようだ。

 アイシャの内にじわりとどす黒いものが滲んだ。血液のビートがさらに速まる。身体の熱が奥から腕、腕から拳へと伝道していった。

 この男は人を殺した。

 それはすでにわかっていることだった。それでもアイシャの記憶を、思い出したくない記憶を呼び覚ますには十分で、フラッシュバックとなって頭に浮かんだ自分の家族、仲間のシスター、それにマリーの顔が精神的な痛みを伴って押し寄せてきた。

 怒れ。

 彼女の中の「それ」がささやく。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 ぶわっ。

 アイシャの拳を包む黒い光のグローブが波打った。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 アイシャは深く息を吸い込む。

 気づかぬうちに身体が震えていた。全身の毛が逆立つような錯覚にとらわれる。心臓の鼓動がはっきりと自分の耳に聞こえてくるようであった。

 強く、より強く、彼女は拳を握る。

 ダーティ……ワーク。

 あたしは敵をぶちのめす!

 ぶちのめしてぶちのめして、いつかあの男も、ソウルハンターもぶちのめしてシスターマリーの仇を討つ。

 そのためにも星神島には絶対に行かねばならない。

 邪魔はさせない。

 アイシャは再度息を吸う。

 気を吐くように息を吐いた。

「ハアァァァァァァァァ!」
「動くなと言ったはずだぞ!」

 ダークスーツの男が威嚇するがアイシャの耳には届かなかった。

 ぶちのめす!

 ぶちのめす!

 ぶちのめす!

 アイシャの頭にその言葉が満ちていく。

 もう止められなかった。彼女は拳をポワキンに打ち込んだ。

「ウダァッ!」

 拳の軌道が黒い光の筋となる。

 ポワキンのにやつきは変わらない。

 ぱし。

 紅白の影がポワキンを庇った。それはジョーカーの左手でまるでスポンジに殴りつけたかのように威力を弱めていた。

 ウヒャヒャヒャヒャヒャという笑声がアイシャの心を逆撫でする。

 アイシャはぎりっと奥歯を噛んだ。

 こいつ、ぶっ潰す!

 アイシャは拳を連打した。

「ウダダダダダダダダッ!」

 ジョーカーの左手が難なく拳を受け止める。

 その後ろには余裕の笑みのポワキン。

 アイシャが最初の攻撃をしたときとは違い、ジョーカーの動きには冷静さがあった。一発一発への対応が的確に行われている。そのことが余計にアイシャの怒りを誘った。

「それ」がアイシャを煽り立てる。

 怒れ。

 怒れ。

 怒れ。

 ポワキンが言った。

「そんな貧弱な攻撃なんてもう効かないよ。というかそろそろネズミにしてあげる」

 ジョーカーが円錐形の右手を使ってくる。

 放たれた突きがアイシャの胸を狙っていた。
 
 
 
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