第16話 トップナイフ その5

文字数 2,222文字

「……馬鹿の一つ覚えかよ」
 いとも簡単にトップナイフが前足一本で拳を止める。
 アイシャは動じなかった。呼吸を乱さず、両方の拳でラッシュを打ち込んでいく。
「ウダダダダダダダダッ!」
 連続攻撃を二本の長い刃が正確にガードする。ふっと拳撃に隙が生まれ、トップナイフの真ん中の足が突きを打ってきた。短剣めいた足先を仰け反って回避する。そのまま後方に一回転して距離をとった。しかしそれはアイシャのリーチからも外れることを意味している。
 ダーティワークの弱点。
 それはリーチの短さだ。アイシャの腕の長さ、拳の届く距離でなければ攻撃ができない。
 くっ、とアイシャは唇を噛む。
 びゅうと海風が吹き、修道服をばたつかせた。ショートの黒髪が風に乱される。
 トップナイフが跳ねた。
 早い、と思うと同時に拳を使って長い刃を防ぐ。ぎりぎりの反応だった。もう一方からの斬撃をすんでのところで殴り相殺する。厄介なのは真ん中の足だ。来ると予想していたおかげでアイシャは身をひねって逃げ切った。逃げた先で長い刃が横から斬りつけてくる。
「ウダァッ!」
 刃ではなく足の付け根目掛けて殴りつける。ボコッと鈍い音がして刃が引っ込んだ。アイシャはごろんと側転し、素早く起き上がるとトップナイフから男へと突っ込む。
 ぶちのめす!
 本体へと拳を向けるがトップナイフが俊足で二人の間に長い刃を割り込ませる。拳は男に触れることすらできない。
 男の口の端が緩んだ。
「ケラケラケラ」とトップナイフが奇声を上げる。左右の二本の長い刃が挟み込むように横降りしてくる。コンマ数秒の差でアイシャは身を低めてそれから逃れた。しゃがんだ体勢でトップナイフの腹を殴る。
「ウダァッ!」
 ボコンと拳は腹を凹ませ、その緑色の巨体をぐらつかせる。苦し紛れに放たれたであろう真ん中の足の攻撃を片手で退けた。
 ステップを踏み、連発する真ん中の足の突きを右へ左へとかわす。
 男が怒鳴った。
「ちょこまかと逃げてるんじゃねぇ!」
 アイシャは返さずまた振り回された長い刃を拳で叩き除ける。
 一呼吸。
 息をつく間に次の刃が狙ってくる。ダーティワークの黒い光のグローブでどうにか凌いでいるがいつまでこんな防御が続くのかわからなかった。身体能力が向上しているとはいえアイシャ自身は生身だ。無尽蔵には動けない。
 どうしても疲労は蓄積される。
 本体をぶちのめしたいのにトップナイフが邪魔してくる。パンチがヒットすれば多少の反応があるものの決定打には程遠かった。しかも相手はまだまだ余裕たっぷりだ。
 このままでは駄目だった。
 問題はやはりトップナイフの速さだ。あれをどうにかして止めなくてはならない。
 アイシャは逡巡した。そうしている隙にトップナイフの長い刃が、真ん中の足がアイシャに斬りかかる。僅かずつではあるが回避のタイミングが遅れてきた。頭を掠め、ぱらりと髪の毛が数本落ちる。
 まずい。
 嫌なイメージが胸の中で膨らんでいく。切り刻まれ甲板に転がる自分、船内で繰り広げられる虐殺、やがてはエンヤにも被害がおよび……。
 いや。
 敵の目的はあたしだ。
 あたしを殺ったらこの虐殺も終わるのかもしれない。これ以上の被害はないかもしれない。
 疲れのせいか弱気になりかけていた。わざわざ敵に自分の命を差し出すつもりはない。けれどこのまま戦っていたらいずれこちらの体力が尽きるであろうことは明白だった。あのモヒカン男は何の消耗もなく、そして何の躊躇いもなくとどめを刺してくるだろう。
「……」
 閃いた。
 だが、それは危険な賭けであった。もししくじれば間違いなく殺られる。
「ウダダダダダダダダ!」
 迷っていられなかった。
 意を決してアイシャは突撃する。ラッシュによる猛攻で敵に切り込んだ。それを難なくトップナイフがガードする。
 ダーティワークの能力に頼るしかなかった。それで駄目ならきっとどうにもできない。為す術もなくトップナイフの刃の餌食になるだけだ。
 左右の長い刃を拳で止める。
「馬鹿めっ!」
 男が確信めいた声を発した。
 トップナイフの真ん中の足がアイシャの首を襲う。
 今だ!
「ウダァッ!!」
 アイシャはあえて踏み込み、量拳の防御を外して真ん中の足を殴る。虚を突かれたトップナイフの動きが一瞬鈍った。ほぼ距離のない位置からアイシャは拳の連打をぶち込む。
「ウダダダダダダダダダダダダダダダダ……ウダァッ!!」
 手応えは弱いがそれはどうでもいい。トップナイフの動きを封じられさえすればそれで良かった。
 拳撃に巨大なカマキリが身を震わせる。最後の一発で殴り飛ばした。その勢いを保ちながらモヒカン男に詰め寄る。
 ポワキンに対してしてあげたように十字を切る……などということはしない。
 前置き抜きにぶちのめした。
「ウダァッ!」
「うごおっ!」
 ボディブローが男にヒットする。身体をくの字にした男にアイシャは畳みかけた。
「ウダダダダダダダダ!」
 ラッシュに負けて男が後ろに飛ばされる。甲板の柵を跳び越えて海に落ちた。コントロールを失った巨大なカマキリが空間に溶け込むように消滅する。
 勝った……。
 安堵のあまりその場にへたり込む。無意識にダーティワークを解除していた。はぁっと息をつき目を閉じる。勝った、ともう一度無言でつぶやいた。
 
 
 

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