第135話 バレーボール

文字数 1,073文字

 (おき)広義(ひろよし)が初めてバレーボールに触れたのは、三歳のときだった。

 当時の沖は、ママさんバレーの練習に通う母にくっついて、毎週のように隣町の小学校を訪れていた。
 ポーンと爽快な音をたてて、大きな白いボールがふわりと舞い上がり、ゆっくりと落ちてくる。
 その光景がとても美しく、不思議なものに思えた。
 姉とともに、冷たい体育館の床にぺったりと座り、宙高く舞う真っ白なボールを飽きることなく眺めていた。

 小学生になると、練習に混ぜてもらえるようになった。
 想像以上に固いボールの感触に最初は戸惑ったけれど、自分の打ったボールが体育館の天井近くまで飛び上がる様子に感動した。

「ひろくんは(すじ)()いねぇ」

「大きくなったら、バレーボールの選手になれるがやなぁい?」

 ママさんたちのお世辞を真に受けた沖は、中学生になると迷わずバレー部に入った。
 ママさんバレーと同じ9人制のバレーボールだったが、部員たちがルールをきちんと理解していないことに、沖は驚いた。
 その理由はすぐにわかった。バレーボールには9人制と6人制があるのだが、バレー部の顧問は6人制のルールと混同していたのだ。

 練習中に誤りを見つけるたび、沖は訂正した。

「サーブがネットに触れたら、相手コートに入ったち、ダメながです」

「9人制では、ブロックは1回にカウントするがです。やけん、ブロックでボールに触ったら、あと2回しか触れんがです」

 今になって思えば、それが間違いだったのだ。

 最初のうちは沖の知識に感心していた部員たちも、次第に煙たがるようになった。
 そんななか、沖の立場を決定的に悪くしたのは、顧問とのやりとりだった。

 試合形式の練習中、ふたりの部員が同時にボールに触れた。顧問は試合をわざわざ中断させて、沖に尋ねた。

「こういう場合はどうカウントするがが正しいがや? お前は何じゃち、よう知っちょうがやろう?」

 からかうような口調だったが、顧問の目に、微かな憎悪を感じた。
 答えてはいけない。そう直感した。
 黙ったままうつむいてやり過ごすか、「わかりません」と言えばいい。
 絶対に、相手にしてはいけない。そうわかっていたはずなのに……

「1回です」

 顧問の目をキッと見返しながら、沖は答えていた。

「6人制やったら、2回ち数えるがやですけんど、9人制では、1回です」

 その瞬間、顧問の顔は怒りで朱に染まった。
 部員たちは皆、怯えたように互いに顔を見合わせていた。

 その日以来、沖はバレー部のなかで、完全に孤立した。
 とばっちりを恐れた部員たちは、沖を「ここには存在しない者」として扱うようになったのだ。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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