第141話 本当のこと

文字数 1,028文字

 徳弘の腕をつかむと、幸弥は歩きだす。

「どこへ行くがや?」

「どこじゃち、かまん。そこいらをぶらぶら歩き回っちょったら、そのあいだにラケットは(もん)てきちゅうわえ」

 ブツブツ文句を言う徳弘を完全に無視して、幸弥は辺りの風景に目を移した。
 向こうの方に、(たつき)らしき長身の姿が見える。
 ほんの一瞬、そばへ行って声をかけてみたい思いに駆られたけれど、すぐに断念した。
 樹の近くには、あのそばかす野郎がいるかもしれない。
 これ以上、試合前に心を乱されるのはごめんだった。

 幸弥の心のうちなど気にも留めず、徳弘はしゃべりつづけている。

「お前が言うように、犯人が、ほんまに身内のモンやったとしたら、そいつぁお前のことも軽う見ぃちゅうがぞ! ペアは一蓮托生(いちれんたくしょう)ながやき」

 これだけは、さすがに聞き流せなかった。
 とっさに反論しようとして、幸弥はことばに詰まる。

(そんなこと、お前に言われんじゃち、わかっちゅうがや……)

 どれだけ徳弘に腹を立てていたとしても、ペアを組んでいる幸弥を困らせたくないという思いがあれば、試合前にラケットを隠すようなまねはしないはずなのだ。
 その事実から、幸弥はあえて目を背けていたのに、徳弘は容赦なく突き付けてくる。
 
「お前の、そういう無神経なところが、人に嫌われるがぞ! こんだけひどい目に()うちゅうに、なんでわからんがや?」

「無神経ち、なんな? 俺ぁほんまのこと言うちょるだけちや」

「ほんまのことやきこそ、言うたらいかんがや! ひとには、他人に触れられとうないこともあるがや。自分じゃち、ようわかっちょうけんど、どうにもならんゆうことが……」

 ここまで言っても、徳弘には響かないらしい。
 口をへの字に曲げて、不服そうに幸弥を見ている。
 突き飛ばしてやろうかと思ったとき、ふいに大﨑の顔が浮かんだ。

「徳弘は、たしかに困ったヤツちや。ほいでも、根っからのワルやない。出来の悪い弟とでも思うて、どうか、許してやってくれ」

 徳弘への不満を吐き出した幸弥に向かって、大﨑は穏やかにそう言い、頭を下げたのだ。

 ほんの五分ばかりの散歩を終えてコートに戻る。
 ところが、ラケットは戻っていなかった。
 このとき初めて、幸弥は焦りを覚えた。

 まさか、試合に出さないつもりなのか?
 これが最後の大会だというのに?
 もしかしたら、徳弘だけでなく、幸弥もまた、恨みを買っていたのだろうか?
 それとも、徳弘の言う通り、ただの泥棒だったのか……

 いくら考えても、答えは出なかった。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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