第172話 Imagine

文字数 1,197文字

「どうながや?」

 樹に気づいた誠が顔をあげる。

「大丈夫や。親父が来てくれる言うちょった」

 さりげなく、樹はふたりのあいだに腰を下ろす。
 冷え冷えと硬いコンクリートの質感が、体に染みこんでくるようだった。

(たもつ)おんちゃんは優しいけん、ありがたいわにゃあ」

 佑介の声は、地面を揺らして走り去るダンプの音にかき消される。
 それきり、三人は黙りこんだ。
 沈黙のなか、足元に置かれたラジオカセットからノイズ混じりの英語の曲が聞こえてくる。
 
「…イマジンやにゃあ」

 誠がぽつりとつぶやく。

「ビートルズか……どうりで、聴いたことある思うたが」

「イマジンはビートルズの曲やないで。ジョン・レノンや」

「ジョン・レノンはビートルズやろう?」

 不思議に思って聞き返すと、誠はあきれ果てたような顔で樹を見る。

「ビートルズはグループの名前やろうが。ジョン・レノンはメンバーのひとりちや。イマジンはジョン・レノンが自分の名前で世に出した曲ながや」

「やけんど、ビートルズの曲じゃち、ジョン・レノンが作っちょうがやろう? ほいたら何も、そんな風に分けんじゃち、えいがやないか?」

 誠はふっと息を吐く。
 ため息をついたようにも、苦笑しているようにも見えた。

「たとえ仲間じゃち、いっつも同じ考えでおるわけやないろう? 誰っちゃあ遠慮せんと、好きなようにやりたい思うこともあるわえ」

 (さと)すように言うと、誠はラジオに合わせて口ずさみ始めた。

「…上手いもんやにゃ」

 返事の代わりに、誠は微かに口角をあげる。

「イマジンち、どういう意味ながやろう……」

 なかば独りごとのように、佑介がつぶやく。

「想像してごらん、ちう意味や……」

 歌詞のあいまに、誠がぼそりと答える。

 想像してごらん——

"imagine" の響きに導かれるように、胸の奥が(うず)きだす。

 仲間たちと騒いでいたときには、思い出すことすらなかったのに——
 幸弥の顔がまぶたに浮かんだとたん、息が苦しくなるほどに、会いたくてたまらなくなる。

 すがるように夜空を見上げる。
 おぼろに(かす)む、微かに桃色がかった淡い光は、冴え冴えと澄んだ秋の月よりも温かみを感じた。

 ささやきかけるように、誠は歌いつづける。
 遠慮がちにこぼれ落ちた佑介のため息が、ガソリンと排気ガスの混じる空気のなかに溶けてゆく。
 
 三人ともが、春の夜のけだるさのなかで、愛するひとを想っていた。

 やがて、自慢の愛車、サニーカリフォルニアに乗った保がスタンドに現れた。
 店長に礼を言い、お詫びのしるしに自販機で缶コーヒーを買って渡すと、保は子どもらを積んで荷緒(になお)へ向かう。
 走りつづけるうちに、街の灯りも、喧騒も消えてゆく。
 たとえ無音の闇に包まれても、そこが故郷であるならば不安はかけらもない。
 ようやく我が家にたどり着いた樹は、(あき)子の小言を背中に聞きつつ布団にもぐりこむと、瞬く間に深い眠りに落ちた。
 
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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