第179話 俺にとっては……

文字数 1,186文字

 笑い声は空に吸いこまれるように、徐々に小さくなり、やがて消えていった。
 そのとたん、反動のような寂しさがふたりを包みこむ。
 明日になれば、樹は、ここを去らねばならないのだ。

「ほんで、水田はどう思っちょうがや? お前が高知へ行くこと……」

 沖の方へ目をやったまま、誠が尋ねる。

「どうながやろう……」

 誘われるように、樹も沖へ目を向けた。
 深く濃い海の青と、水彩絵の具をうすく溶いたような空の淡い水色とが、くっきりと一本の線を描いている。

「楽しみにしちょってくれるようにも、思えるがやけんどにゃあ……ほいでも、夕べは、笑われてしもうた……」

「笑うた? 何故(なし)ぞ?」

 誠は怪訝(けげん)そうに樹を見やる。

「高知へ行くがは、お前に会いたいからやち、言うたがや。ほいたら、あいつ、笑いよった……」

 誠が息を呑む。
 次の瞬間、殴りかかるような勢いで罵声が飛んだ。

「バカか、お前は⁈」

 まるで地団駄を踏むかのように、誠はうろうろとその場を歩き、やみくもに腕を振り回す。
 殴りつけたい気持ちを、必死に抑えているのだろう。
 殴られてもいいと、樹は思っていた。

 だが誠は、殴る代わりに、二、三度、大きく深呼吸をすると、樹に向き合った。

「えいか? どんなつもりで言うたか知らんけんど、二度とそんなバカな真似(まね)はすな!」

 荒い呼吸の下で、誠はあえぐように言った。

「趣味の悪い冗談やち思われたけん、笑われたばぁで済んだがぞ!」

 樹を見据えながら、誠はぶるっと体を震わせる。

「ほんまに、もう……何をしでかすやら、わからん! ひとりで高知へやるがが、心配になってきたでぇ」

「俺ぁ、本気で言うたがで……」

 樹は力なく答える。 

「やけんど、あいつには、伝わらざった……」

「伝わるかいや! 男が、男に、そんな、告白みたいな台詞(セリフ)ぬかすらぁて……誰っちゃあ、想像もせんわえ!」

 吐き捨てるように言ったあと、少し落ち着きを取り戻してから、誠は付け加える。

「…まぁ、水田もホモじゃち可能性も、ゼロではないけんどにゃ……」

 樹がピクリと反応する。
 とっさに、誠は自分の口を押えた。

「…水田は、ホモやないと思う……」

 樹は怒ったわけではなかった。
 一語一語を噛みしめるように、ゆっくりと、樹は言った。

「水田は……幸弥(ゆきや)は……ほんまは、女ながやち、俺は思うちょう……」

「…はぁ?」

 誠はあんぐりと口を開けたまま、それ以上ことばを発することができなかった。

「去年の夏休み、俺ぁ、あいつに会いに行ったがよ……そんときの、あいつの顔つきやら、態度やら……俺には、どうしたち、女としか思えんかったがで……」

 大きく見開いた誠の目に、うっすらと恐怖の色が浮かぶ。

「お前……自分が何を言うちょるか、わかっちょうがか?」

 誠の声は震えていた。

「そんなこと……水田に言うたら、お前、ほんまに殺されるで……『オカマ野郎』ち、言うちょうようなモンながぞ!」

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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