第149話 それぞれの決断

文字数 1,050文字

「俺らぁも、先輩らぁが引退するとき、やっちゃったら良かったに、気が回らざったにゃあ」

 ひどく申し訳なさそうな顔で、佑介が言う。

 あの日球場で見た、(きよし)の顔、松原小の一年の顔。
 そして、テニス部の一年たちの屈託のない笑顔。
 それらを思い出すうちに、激しい感情が込みあげてきて、抑えきれなくなった。

「送別会は、お前らぁふたりへの、あいつらぁの感謝のしるしぞ。お前らぁは、部長として、副部長として、立派に務めを果たしたがやけん、堂々と胸を張っちょったらえいがや」

 いきなりの言葉に、誠と佑介は驚いて樹を見やる。

「樹、やめてくれ。お前にそんなこと言われたら、俺ぁ……」

 佑介の口から感極まった嗚咽が漏れる。

 前を走る堅悟たちが驚いて振り返った。
 佑介、誠、樹を順繰りに見たあと、ふたりは互いに顔を見合わせる。
 やがてすべてを察したようにうなずき合うと、何事もなかったように前を向いた。

 刻々と色を濃くする山の稜線を縁取りにして、茜色に燃える空が広がっていた。


 ずいぶんと思い悩んだあげく、樹は沖のもとを訪れた。
 桜野運動公園の野球場で、清が最後に口にしたことばが、ずっと心にわだかまっていたのだ。
 清たちが、テニス部に入りたいと思っているのかどうか、確信はない。
 それでも、もし彼らがそれを望んだならば、受け入れてくれるかどうかと沖に尋ねた。
 沖は快諾してくれた。
 
「いらん世話かもしれんけんど……」

 樹はそう前置きしてから、もしも野球部を辞めたいと思っているのなら、テニス部で受け入れてくれると、清たちに話して聞かせた。
 清を除く三人は、即座にテニス部への入部を決断した。
 前回の試合以来、松原と浦賀の対立は激しさを増して、荷緒は板挟み状態なのだと言う。

「このまま野球部におったら、野球を嫌いになってしまう気がするがです」

 三人が口をそろえて言うのを、清は黙って聞いていた。
 
「今すぐ決めんじゃち、(かま)んがぞ。ゆっくり考えてみたらえいで」

 わざと軽い口調で言ったが、樹は気がかりでならなかった。
 自分が余計なまねをしたせいで、清を追い込んでしまったのかもしれない……

 結局、清はひとり、野球部に残ることに決めた。

「樹先輩と話をしてから、ずっと、考えちょったがです。どっちを選んじゃち後悔するがやったら、びっとでも少ない方がえい……俺ぁ、やっぱり、野球が好きながです。どうしたち、(あきら)めきれんがです」

 清のことばは、まるで風のようだった。
 清々しいほどの潔さで、樹の胸にぽっかりと開いた穴を吹き抜けていった。 
 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み