第175話 伝えたかったこと

文字数 1,202文字

 佑介の悲痛な声が、胸をえぐる。
 いたたまれない気持ちになって、樹はひざをついた。

「すまざった。俺のせいちや……余計な口出しせんと、お前が思う通りにさしちゃったらよかったがや……」

 もともと佑介は、岡林とは受験のあいだだけ距離を置くつもりだったのだ。
 それを中途半端だと非難したのは、樹だ。 

「止めぇや。樹のせいやあるかえ」

 佑介は驚いたように、樹の元へ屈みこんだ。

「こればぁ大事なことを、自分ひとりでは決めれんと、お前に頼った俺が悪いがや……」

 佑介の顔には、はにかむような笑みが浮かんでいた。

「ほんまは、こんなこと言うつもりやなかったがで。つい、愚痴っぽうなってしもうた……」

 佑介は砂浜に座りこむ。

「俺にとって文枝は、もう、なくてはならん存在になっちょったが……文枝も、同じや思うちょった。やけん、何があったち、俺らぁの仲は永遠に変わらん。俺は勝手にそう思いこんじょった……」

 佑介の隣に、樹もそっと腰をおろした。

「覆水盆に返らず、言うがやと。こぼれて地面に染みこんだ水は、二度と盆には戻らん。そういう意味ながやち、誠が言うちょった」

 波を吸って色の変わった砂を、佑介は手ですくい、絞るようにぎゅっと握りしめる。

「自分じゃち、未練がましい思うがやけんどにゃあ……俺ぁ、今じゃち、文枝のことが好きながで」

 どれだけ握っても、水は一滴も落ちない。
 佑介が手を開くと、指の形をくっきりとつけた砂の(かたま)りができあがっていた。

「やけん、どうしたち、あきらめきれん。俺ぁ、誠にそう言うた。当たり前やけど、誠はえらい怒りよってにゃあ。ボロクソに(けな)されて、殴られたが……」

 開いた手のひらから、砂の塊りがぽとりと落ちる。

「ほいでも、俺ぁ、本当(ざま)に嬉しかったがで……」

 落ちた衝撃で、砂の塊りはふたつに割れた。

「これまで、小突(こづ)かれたことは何べんもあったけんどにゃあ……本気で殴られたがは、初めてやった。俺は生まれて初めて、まともなひとりの男として扱うてもろうたがや……」

 ふたつに割れた塊りが、少しずつ崩れてゆく。
 佑介はいきなりそれを叩き潰した。

「俺ぁ、誠に言うちゃったが。こぼれた水が戻らんがやったら、俺は空っぽになった盆に、新しい水を注ぐ。新しい水で、もういっぺん、盆を満たしちゃる」

 紅潮した顔を、佑介は樹に向けた。

「お前にも、それを伝えたかったがや……」

 樹の胸に、ある想いが浮かぶ。
 それはどんどん膨らんで、今にもあふれそうだった。

「俺が余計なことを言うたせいで、お前らぁを悲しませてしもうた……」

 迷いながらも、樹は口を開いた。

「いま、俺が考えちょうことも、ほんまは、言うたらいかんことながかもしれん……ほいでも、俺ぁ、言わずにおれん……」

 佑介は真っすぐに樹の目を見返している。

「岡林も、今でも、お前を好いちょうち、俺は思う」

 その瞬間、佑介の顔がゆがむ。
 幼い子どものように、声をあげて、佑介は泣いた。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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