第45話 覚悟

文字数 1,544文字

 
 予期した通り、相手は執拗に大﨑を攻撃してきた。

 大﨑は逃げなかった。ラケットを顔の前でかまえ、目だけはかろうじて防御しつつ、容赦なく打ちつけるボールの痛みに耐えていた。
 体が震えるほどの怒りを、幸弥は必死に抑えこむ。ここで感情的になっては相手の思うつぼだ。
 我慢の果てに、ようやく第一ゲームが終わった。幸弥たちはポイント2‐4でこのゲームを落としたが、勝負はこれからだ。

 深く、深く息を吸って、ゆっくりと吐きだす。
 閉じたまぶたの裏に、大﨑のやわらかな笑顔が浮かぶ。
 ()ぎの海のような、(たい)らかな心でレシーバーを見据えると、幸弥はおもむろにファーストサービスを打った。
 コートを切り裂くように斜めに走るボールがサイドラインぎりぎりでバウンドする。
 レシーバーは構えたままの姿勢で、呆然と立ち尽くしていた。

——サービスは最強の武器

 父の残した指南書に書かれていた一文を、幸弥は嚙みしめる。

 幸弥は攻めのサービスを打ちつづけ、ストレートで第二ゲームを取った。

 第三ゲームでも、相手は大﨑を狙い撃ちしてきた。顔面を狙って打ち込まれたシュートが、顔の前で構えていたラケットに当たる。ラケットは衝撃で大﨑の顔に叩きつけられたが、ボールは相手コートへふわりと打ちあがった。
 急いで下がろうとした相手の後衛は足がもつれて転倒する。

「ひとりで転がりよって、あいつぁ何しゆうが?」
「嫌がらせばぁしよらんで、ちゃんと試合せぇ!」

 外野がヤジを飛ばすと、あちこちから失笑がもれた。

 これをきっかけに、相手ペアはぎくしゃくしだした。打ち込まれるボールが次第に甘くなってくる。まるで眠りから目覚めたように、大﨑の体は生き生きと動きだした。
 中ロブにタイミングを合わせて、みごとなボレーを決める。

「大﨑先輩、ナイスです!」

 激励の声をかけた幸弥は、大﨑の様子がおかしいことに気づいた。
 利き腕である右の手首を、しきりに気にしている。

「どうかしたがですか?」

 のぞきこむ幸弥の視界を遮るように、大﨑はさっと背中を向けた。

「大丈夫や。なんちゃあないき」

 顔だけ振り返って、大﨑が笑顔を作る。

「どっか痛めたがやったら、無理せんでください」

「ほんまに大丈夫ちや」

 大﨑はきっぱりと言った。

「試合を楽しい思うたがは、これが初めてながや。それやき、最後までやらしてくれ」

 幸弥はそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 幸いなことに、相手の選手たちはもう大﨑を攻撃しようとはしなかった。それどころか、勝負を投げてしまったように、コーナーをついたボールを追いかけることさえしない。
 第三、第四ゲームをつづけて取った幸弥と大崎は、試合に勝利した。

「すぐ冷やした方がえいです! 湿布もろうてきますき」

 腫れて熱を持った大﨑の右手首に、幸弥はうろたえた。

「斉藤先生にも、言うちょかんと……」

 そう言いかけた幸弥を、大﨑は制した。

「先生が知ったら、棄権せぇ言うにきまっちゅうき、いかんちや」

「でも……」

「ほんまに、俺ぁアホでなぁ。『イケる!』思うたら、つい(りき)んでしもうて、このざまや」

 大﨑が力なく笑う。

「ほいでも、やりたいがよ。この期に及んで、ほんまに情けないがやけんど、俺の最後のわがままじゃち思うて、聞いてくれんか?」

 幸弥は答えることができなかった、口を開けば、きっと涙声になってしまう。

「この腕じゃあろくに戦えんし、最後までお前の足を引っ張ってしまうけんどなぁ……」

「かまんがです! 先輩は無理せんで、見ちょってください。俺が戦うがを。俺、先輩に恥ずかしくない試合をしてみせます!」

 大﨑の目に涙がにじむ。幸弥は必死でこらえた。

(まだや。まだ、泣くがは早い……)

 痛めていない方の、大﨑の手を握りしめ、幸弥は自分に言い聞かせた。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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