第98話 何者

文字数 1,303文字

 祖父母から大切に育てられた大﨑は、自分は将来ひとかどの人間になるものと、無邪気に信じてきた。

 中学生になると、何かおかしいと感じるようになった。
 テストでも部活でも、どれほど努力しても、まるで努力などしていないような連中に勝てないのだ。

(俺は何者にもなれん……)

 はっきりそう自覚したのは、水田が入部してきたときかもしれない。
 まるで小学生のような体躯で、水田は難易度の高いサービスを軽々と打ち、部内の誰よりもテニスを理解していた。

〈天賦の才〉ということばを、そのとき初めて知った気がした。
 

 窓から差し込む日差しを浴びる壇上の元生徒会長がやたらに(まぶ)しくて、大﨑はそっと目を伏せる。

——人の心を知らんき、他人(ひと)から(うと)まれるがでしょうか

 水田のことばが、(とげ)のように大﨑の胸に刺さる。

 水田には言えなかったが、大﨑もまた、同じような疎外感を覚えることがある。
 そのたびに、気のせいだと自分に言い聞かせてきた。
 認めたくない気持ちもあったかもしれないが、何よりも、人に嫌がられるようなことをした自覚がなかったのだ。

 そんなある日、友人たちと談笑していた大﨑が、何かひとこと言ったとたん、白けたような空気があたりを包んだ。

「俺、なんか、おかしなこと言うたかや?」

 大﨑は思い切って訊いてみた。

 友人たちは少し困った様子で、互いに顔を見合わせていたが、そのうちのひとりが遠慮がちに言った。

「別に、おかしいことはないがやけんどなぁ、俺らがふざけ半分で言うちょることを、お前はいちいち真に受けるきぃ、疲れるがで」

 それを皮切りに、それまで黙っていた連中が次々に口を開いた。

洒落(しゃれ)が通じん」「クソ真面目」等々、散々に言われた。

 答辞を終えた元生徒会長が座席に戻る。
 大﨑のすぐ目の前を、背筋のすっきりと伸びた姿が横切っていく。

 水田が部内で浮いていたのは事実だった。
 人の心がわからないからではない。
 水田が本当は思いやりのある人間だということを、大﨑は誰よりも知っている。
 私生活において、様々な悩みを抱えている水田は、自分のことで手一杯で、他人に気を配る余裕がないだけなのだ。
 水田の家庭の事情については、部員の誰もが噂を耳にしているはずだ。
 にもかかわらず、同情する者はほとんどいなかった。

 自分が徳弘と似ているのではないかと、水田は気に病んでいたが、それは違う。
 徳弘は少し変わったヤツで、独自の価値観に基づいて生きているのだ。
 思ったことはすべて口に出し、しばしば相手を怒らせる。本人はそれを悪いと思っていないから、他人から指摘されても理解できないし、むしろ理不尽な言いがかりと捉えてしまう。

 大﨑は、徳弘のことも決して嫌いではなかった。
 水田も、徳弘も、確かに周囲の人間とは少し違っている。
 それは果たして罪だろうか?
 問題を抱えていて精神的に余裕のない人間を、身勝手だと批判する。
 悪意のない言動を、悪だと決めつけて責めたてる。
 その方がよほど罪ではないだろうか?

 だが大﨑は、部員たちに自分の思いを伝えることができなかった。
 下手に口を出したことで、ふたりの立場をさらに悪くしてしまうことが怖かったのだ。

 
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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