第147話 西方中野球部

文字数 1,224文字

 初回は打撃戦となり、両チームともに三点を失った。

 二回の表、ワンアウト2塁3塁で、初回に三塁打を放った一番打者がふたたび打席に立った。
 マウンドの前田は土居のサインに納得がいかない様子で、首を激しく横に振っている。

「タイム取れ。仕切り直せ!」

 樹は思わず声をあげた。

 前田は明らかに頭に血がのぼっていて、いったん落ち着かせなければ、まともに投げられそうもなかった。

 押し問答のようなやり取りのさなか、前田はいきなり振りかぶった。
 土居がミットを構え直すのと同時に、ランナーが走り出す。
 次の瞬間、バットがボールを叩く音が場内に響き渡った。
 真綿のような入道雲の浮かぶ空に、打球が吸いこまれていく。

 三塁側は大歓声がわきおこり、一塁側は落胆のため息が漏れた。

 そんななか、突然、場違いな明るい声がした。

「ピッチャー交代ちや。谷先輩、頼みます!」

 松原の一年部員だった。
 周囲の(とが)めるような視線をものともせず、追い討ちをかけるように、仲間たちをけしかける。

「谷先輩コールや!」

()めぇや! 前田が投げちょうぞ」

 慌てて制した樹を、一年部員がキッと(にら)みつける。
 その瞬間、樹は(きり)で胸を突かれたような痛みを覚えた。
 幼さの残る顔には不釣(ふつり)りあいな、憎悪に満ちた目が、真っ赤に潤んでいた。

 マウンド上には西方中の選手たちが集まっていた。
 噛みつくように何かを訴えている前田の横に、同じ浦賀の吉本がピタリと寄り添い、ほかの部員たちはふたりをぐるりと取り囲むようにして立っている。

--野球部に入ったち、そこでやる野球はもう俺らぁの野球やない。西方中の野球ぞ

 以前、誠から言われたことばを、樹はふいに思い起こした。

 野球部の顧問はなんとかこの場をおさめ、試合が再開された。
 続投となった前田は気迫みなぎるピッチングで打者を次々に抑えこむと、獣の咆哮(ほうこう)のような雄叫(おたけ)びをあげた。

 西方中は一点差を追いかける形で7回裏の攻撃を迎えた。
 マウンドにあがることのできなかった谷は、意地をみせるかのように三遊間を抜けるヒットを打った。
 ツーアウト満塁という状況で、打順は土居に回ってきた。

 威勢のいい音を響かせて素振りをすると、土居はゆっくりとバッターボックスに入った。
 初球はボール。
 次はストライク。
 塁に出ている選手たちは、大きくリードをとり始めた。
 次第に緊張感が増してゆく。

「落ち着け! よく見ていけ!」

 嫌な予感を振り払うように、樹は声をはりあげた。

 ピッチャーが大きく振りかぶる。
 土居の全身から熱気がほとばしる。
 鈍い音とともに、白球が頭上高く打ち上げられた。

 観客席のそこかしこで、悲鳴にも似た声があがる。

 土居はバットを振り切ったままの姿勢で、食い入るようにボールを見上げていた。

 キャッチャーが立ち上がり、慎重にボールの位置を確認しながらミットを構える。
 ゆっくり落ちてきたボールがすっぽりとミットに収まったとき、土居はぎゅっと目をつむり、唇を噛みしめた。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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