第137話 恩返し

文字数 1,045文字

 頭を越えるように高く打ち上げられたボールに、沖が飛びつく。

 ジャンプ力とリーチのほかに、沖にはもうひとつ武器がある。
 手首の強さだ。
 ラケットの面を目指す方へ正確に向けた状態で、手首を固定させることが、ボレーを打つには何よりも大切なのだ。
 手首は返さない。ただ当てるだけ。
 それでも、ラケット面の中心できちんとボールをとらえたときには、とても綺麗な音がする。

「ナイスボレー!」

 部長の声に振り返る。
 子どものように目を輝かせ、そばかすの浮いた色白の顔が、ほのかに(あか)く染まっている。
 嬉しくなった沖は、駆け寄ってハイタッチを交わす。
 日ごろは冷静で温厚な部長だが、試合になると顔つきが変わる。
 そんなところも、沖は好きだった。

 初戦は樋口・沖ペアの圧勝に終わったものの、二回戦の相手は一筋縄ではいかなかった。
 サービスエースを狙うわけでも、力で押し切るわけでもないが、堅実なプレーで粘り強くラリーをつづけ、こちらの隙をついてはポイントを重ねる。

「ちゃんとしたコーチに(なろ)うちょったがかもしれんにゃあ……」

 第1ゲームを0-4で終えたとき、部長がぽつりと言った。
 沖はうなずく。
 身体能力では負けていない。あいつらはただ、得点するコツを身につけているだけなのだ。

(こんなヤツらぁには敗けれん。まだ、恩返しがすんじょらん……)
  
 両手で自分の頬を挟むように叩き、気合を入れる。

 沖がテニス部に入る許しをもらうため、バレー部の顧問に会いに行ったとき、顧問は意地の悪い笑みを浮かべて部長に言った。

「テニス部の顧問は、たしか山形先生だったにゃ。当然、先生もご承知のことながやろう?」

「いいえ」

 顧問の目をしっかりと見返しながら、部長は答えた。

「部長の俺が、独断で決めたがですけん、山形先生は、この件にはかかわりないがです」

 顧問はあんぐりと口を開けたものの、すぐに元の陰湿な笑顔に戻ると、さも愉快そうに言い放った。

「それはそれは、ご立派な部長さんがおったもんちや。山形先生も、さぞかしご自慢に思うちょろう」

 その数日後、部活のときに見た部長の頬は、手のひらの形に赤く染まっていた。

(教師らぁ、みんなクズちや。何じゃち、自分らぁの思い通りにせんと気がすまんがや)

 沖が辞めたあと、お前らのせいで恥をかかされたと言って、バレー部の顧問は部員たちに当たり散らしたらしい。
 バレー部員たちの不満の矛先(ほこさき)は、当然沖に向けられた。
 部員たちから嫌がらせを受けても、沖は恨む気になれなかった。
 彼らもまた、被害者だ。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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