第89話 簡単なもの

文字数 1,367文字

 その日の帰りみち、佑介、耕太郎につづいて堅悟に別れを告げたあと、誠はふっと思い出し笑いをした。

「堅悟のヤツ、ほんまに軽薄な男ちや。あいつは女なら誰じゃちかまんろうか?」
 
「高橋じゃち、同じぞ。俺のことらぁ(ひと)っちゃあ知らんくせに、よう『好きや』ち言えたモンやでぇ」

「ほいたら、あいつらぁ、案外お似合いかもしれんにゃ」

 夕闇に、誠と樹の笑い声が響く。

「軽薄ながは、あいつらぁだけやないけんど……」

 ひとしきり笑ったあとで、誠がぽつりとつぶやく。

「佑介じゃち、そうやいか。あいつぁ、ずっと『喜代子が好きや』言うちょったろう? 岡林は全然違うタイプやに、いきなり乗り換えよってからに」

 荷緒小で一緒だった喜代子は、押しが強く物おじしない性格だった。

「あんとき、岡林があいつの背中に隠れんかったら……佑介は、惚れやせんかったち思うで……」

「そうながやろうか……」
 
 樹にはわからない。

 なんとなく、このまま別れてしまう気にならなくて、ふたりは道端に自転車を停める。
 あたりが暗さを増してゆくなか、すり硝子(ガラス)を思わせる月が、淡い光を放っていた。
 樹は密かに、幸弥の面影を重ねた。

「樹は…水田の、どこに惚れたが?」

 夜気のように澄んだ誠の声が、樹の心臓をつらぬく。

 心の底では、とっくに気づいていたのだろう。 
 けれど、それを認めてしまったら、後戻りできなくなる気がして、恐かった。
 
「月ながや……」

 自分の声がつぶやくのを、樹は不思議な気持ちで聞いていた。

「月が真ん丸で、氷みたいに()ようて、綺麗やったが……」

 自分の意思とは無関係に、ことばが勝手に、口から(こぼ)れ落ちてゆく。

「それを見よったら、あいつが泣いちょう顔が浮かんできてしもうて……消えんが……」

 感情が、波のように、次から次へと押し寄せてきて、樹は思わず目を閉じる。
 
「もうずっと、消えんがよ……」

 身を切るような風が、ふたりの体を吹き抜けていった。

「二年になったとき、岡林と、同じクラスになったが……」

 それまで黙って樹の話を聞いていた誠が、ぽつりとつぶやく。

「変わった女でにゃあ、ほかのヤツが捨てよったゴミやら、散らかした机やら、すっと片付けようがや。けんど、何ちゃない顔でしよるけん、誰っちゃあ気づかんがで……」

 ふいにことばを切って、誠は夜空を見上げる。

「水田は…月、ながか?」

 真っ白い雲のような吐息が、夜に溶けてゆく。

「岡林には…そういう、華やかさはない。道端にひっそり咲いちょって、気づかんと踏みつぶしてしまう、()んまい花みたいな、女ながぞ……」

 誠は目を伏せ、足元を見つめる。

「…別に、あいつのことらぁ、何ちゃあ思うちょらんかったはずながや。それやに、あの日……泣きそうになるばぁ困っちょうがを見ちょったら、なんや急に、放っちょかれんような気持ちになってしもうて……」

 いきなり、誠は笑い出した。

「佑介のことらぁ言えんにゃあ。俺じゃち、簡単なもんちや」

 冴え冴えとした夜空へ向かい、大きく伸びをする。

「ああ、もう、なんもかんもぜんぶ、忘れてしまえ! 新しい年が来るがやけん」

 誰にともなく、叫ぶように言うと、樹を振り返った。

「貴重な休みぞ。せいぜい有意義に過ごそうでにゃあ。堅悟のヤツはアホやけん、餅ついて、年賀状書くがやと!」

 夜目にも白い歯をのぞかせて、誠は笑った。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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