第160話 岡林

文字数 931文字

 あの女生徒は誰だったのだろう?
 樹は記憶をたどってみるが、どうしても思い出せない。
 
 壇上では卒業証書の授与が行われていた。
 名前を呼ばれた生徒がひとりずつ舞台へあがり、卒業証書を受け取っている。

「岡林文枝(ふみえ)

「はい」と小さく答えた岡林の声が、樹の記憶を呼び覚ます。

 何かに(おび)えたように、微かな震えを帯びている。
 それでいて高く澄んだ、どこまでも響いてゆくような声。
 まぎれもなく、あの日、がた爺の前に立ちふさがった少女と同じ声だった。

 岡林のような目立たない生徒をあえて女子の部長に選んだ理由が、わかったような気がした。
 大勢いた女子のなかで、唯一自分に食ってかかった、普段はおとなしい少女の、うちに秘めた力を、がた爺は試そうとしたのだ。

 樹はこれまで、岡林のことを、どこか軽く見ていた。
 誠と佑介が彼女を好きになった気持ちも、樹には理解できなかった。
 これは樹の勝手な思い込みに過ぎないのだが、まるでふたりを翻弄しているかのような岡林の振舞いが、どうにも我慢ならなかった。
 しかし、岡林は、樹が考えていたような女ではなかった。
 一見すると、なやなよして頼りないが、確固たる意思を持ち、それを貫き通す強さがある。
 テニス部の練習内容に、最初に疑問を抱いたのも岡林だ。
 そして何より、岡林は女子テニス部をまとめ上げ、後輩からも慕われて、立派に部長の務めを果たした。
 がた爺の期待に、彼女は立派に応えたのだ。

 ふと、樹は胸がざわつくのを感じた。
 誠たちを振り回したのは、岡林ではなくて、むしろ自分だったのではないだろうか?

——佑介のヤツ、『樹に背中を押してもろうた』言うて、(わろ)うちょったでよぉ

——前もって佑介に教えちょったら、こればぁこじれんじゃち、済んだがやないか?

——ほいでも……もし、誠の気持ちがわかっちょったなら……俺ぁ、もっと、よう考えてから行動したと思うがや…

 誠の、耕太郎の、佑介の声が、樹のうちにこだまする。

 最初に岡林を好きになったのは誠だった。
 誠の想いの強さ、深刻さを知っていただけに、佑介の愚直な愛情表現は、樹には何となくうすっぺらに感じられた。
 佑介から相談を受けたとき、もっと真剣に取り合っていたら、結果は違ったのかもしれない。
 
 
 
 
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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