第48話 勝つぞ!

文字数 996文字

 ようやく初めてのポイントを獲得した樹たちだったが、すでに1ゲーム落とし、現在のポイントは1-3。苦しい展開であることに変わりない。
 のけ()るようなフォームから繰り出す小松のサービスも手ごわいけれど、巨大な壁を思わせる公文(くもん)がふいに放つボレーやスマッシュはまさに脅威だった。
 地区大会も含め、それなりの数の試合をこなしてきたが、これほどまでに前衛の存在を意識したことはなかった。
 心のどこかに、後衛が試合の鍵を握るのだという(おご)りがあったかもしれない。
 樹のうちに、苦いものがこみあげる。

 トスを高くあげ、膝の屈伸を使って伸びあがり、サービスを打つ。
 打った瞬間、しまったと思った。ボールはサービスラインを越え、審判が「フォルト」をコールする。
 
(俺ぁ何をやっちょうがや……)

 つかの間、樹は目をつぶり、気持ちを落ち着かせようとした。
 セカンドサービスでは、ポイントは取れない。押されている状況ならなおのこと、ファーストサービスを確実に決め、得点に結びつけることが何よりも大切なのだ。

明神(みょうじん)!」

 山中に呼びかけられ、樹は目を開けた。
 前衛のポジションについた山中が、顔だけこちらに向けて樹を見つめている。

「この試合…勝つぞ!」

 驚いた樹は声もなく山中を見つめ返す。

「わかっちょう……何ちゃ言わんでえい……」

 声を絞り出すようにして、山中はつづける。

「俺らぁ勝つ。絶対に勝つ。そう思わざったら……やれん!」

 殴られたような衝撃が全身を走る。
 樹は静かにうなずいた。

 何度目かの、ロブの応酬。ときおり視界のすみに、ネットの向こうにいる公文に合わせて、ひたすらに動きつづける山中の姿が映る。
 わずかに振り遅れたボールが、公文の正面へ飛んだ。公文は即座に数歩下がり、長い腕を伸ばしてスマッシュを打ち下ろす。山中がラケットを突き出す。跳ね返ったボールはネットの上部をこすり、相手コートへ転がり落ちる。

 一瞬の出来事だった。むしろ、それを理解するのに要した時間の方が長かった。
 樹を振り返った山中の顔には、喜びよりも、とても信じられないという困惑の色が浮かんでいた。
 山中の不安を払いのけるように、樹はゆっくりとうなずく。
 山中はとっさに下を向いた。握りしめたこぶしが、肩が、ぶるぶると震える。
 やがて、体の奥底から発されたような雄叫びが、コートを揺らす。

 なりふり構わぬ山中の挑戦が、実を結んだ瞬間だった。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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