第128話 お姫様

文字数 1,083文字

 汗だくの体を引きずるようにして、樹は家へ帰った。

 表通りから家へとつづく坂道を上ったとたん、庭で洗濯物を干す(あき)子に出くわす。

「朝っぱらからどこへ行っちょったが?」

 つっけんどんではあるものの、昭子の目には息子を案ずる色が浮かんでいる。

「あんた、まさかノイローゼやないろうね?」

「そんながやない」

 ぶっきらぼうに答えて家へ入ろうとした樹は、ふと思い直したように、昭子を振り返る。

「俺らぁが(こん)まいころに観ちょった、外国の王子が時々女の子みたいになるアニメ、あったがやろう?」

「『リボンの騎士』かえ? 私はあの漫画が好きやったき、よう覚えちゅうで」

 昭子が懐かしそうに答える。
 少し躊躇してから、樹は思い切って尋ねてみる。

「その、王子ながやけんど、最後はどうなったがやろう?」

 昭子は(たもつ)が作業着にしている木綿のシャツを手に取り、上下に大きく振ってしわを伸ばす。
 それを物干しざおに通しながら、まるで絵本を読み聞かせるように言った。

「サファイア王子は本来の姿である女の子に戻って、めでたく隣の国の王子様と結ばれました!」

 一瞬のうちに燃え上がったかのように、樹の全身が熱を帯びる。
 朝焼けの色に染まった樹を、昭子は不思議そうに眺めていた。

 それからしばらくたったある朝、まだ早い時刻に、佑介が樹を訪ねてきた。

「俺ぁ、ケダモンながや……」

 いまにも泣きそうな顔でつぶやく。

 わけがわからず問いただすと、佑介は震える声で語りだした。
 夕べ、岡林の夢を見た。岡林があまりに可愛(かわい)いので、つい、不埒(ふらち)なまねをしてしまったのだと言う。

「俺ぁ……最低のクズ野郎ちや!」

 とても許せないというように、佑介は自分の頭を殴りつける。

「やめぇや! なんちゃ悪いことあるかや!」

 樹はとっさに佑介の腕を押さえつけた。

「岡林のこと、(なぐさ)みモンにしようらぁて、思うたわけやないろう? 夢んなかやけん、抑えが()かざっただけちや!」

 樹を見つめる幸弥の瞳が、すがるように伸ばした腕が、まぶたによみがえってくる。

「手ぇ出してしもうたがは、惚れちょうからこそながや……それを責めるがは、あんまりぞ……」

 いまにもこぼれ落ちそうなほどに、佑介が目を見開く。

 しばらくのあいだ、呆然と樹の顔を見つめていたが、やがて唐突に叫んだ。

「もしかして、お前も好きな子がおるがか?」

 顔がこわばるのが、自分でもはっきりとわかった。

「図星やろう。誰や? テニス部の子か?」

「違う!」

 佑介が思わず後ずさりをするほど、語気が荒くなる。

(幸弥のことは…二度と言わん)

 この瞬間、樹はそう心に決めた。
 もう誰も、悲しませたくなかった。

 
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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