第109話 空気椅子

文字数 1,242文字

 入部したばかりの新入部員は、まだラケットを握ることは許されない。

 ランニングや柔軟体操などの基礎トレーニングは全員が一緒に行うが、乱打などのラケットを使ったトレーニングは二年と三年だけで、一年部員は見学させることになっていた。

「ただ見ちょうだけながも、もったいない気がするでにゃあ」

 誠は一年部員に対し、先輩の練習を見ているあいだ、膝を曲げて踵を上げ、手を膝の上に置いた姿勢でいることを命じた。

 テニスで返球を待つときの基本の姿勢だ。
 体幹を鍛えるトレーニングになると思ったのだが、二年部員のなかにもこの姿勢を保てない者がいると知り、誠は愕然とした。

 二年生のなかでも、入学してすぐにテニス部に入った井上、西村、池田、坂下の四人は基本的に運動があまり得意ではない。
 今年の一年を見ていてもおぼろげに感じるのだが、どうやら男子軟式テニス部は『運動は苦手だけれど中学では体育会系の部活をやりたい』という学生の受け皿にされている(ふし)がある。

 ならば一から鍛え直すしかない。

 とはいえ、二年に見学はさせられないので、代わりに空気椅子(いす)はどうかという案が出た。
 ところが、堅悟が猛烈に反対したのだ。

「そんな罰ゲームみたいなもん、練習になるかや!」

 説得に(きゅう)した誠は、千代子に助けを求めた。
 万事心得た千代子は、すまし顔で堅悟に言った。

「あんたぁなんも知らんねや? いま空気椅子は、最先端の流行ながよ。都会の学校じゃ、休み時間にみんなしてやりようで」

 そばで聞いていた樹の頭に、お洒落な都会の学生たちが、校庭で輪になって、和気あいあいと空気椅子に興じる場面が浮かぶ。
 危うく吹き出しそうになったところを、佑介に肘でつつかれた。

 千代子の話を真に受けた堅悟は、率先して空気椅子をやりだした。
 それを見た同級生がこぞってまねをしたおかげで、西方中ではちょっとしたブームとなった。
 教室のすみや廊下には、空気椅子の長さを競い合う生徒があふれるありさまだった。

 肝心の井上たちの方は、けなげに取り組んではいたものの、なかなか思うようには出来なかった。
 佑介は、そんな彼らの練習に辛抱強く付き合っていた。
 樹や耕太郎のような、直感で体が動く部類の選手は、そのコツを上手く他人に伝えられない。それに対し、まず頭でやり方を理解して、練習を重ねることで技術を身につけていく佑介は、教えることが得意だった。

 同じ二年でも、途中から入部した者と井上たちとは、実力にかなりの差があった。
 実技練習は難易度によってレベル分けしていたので、沖を中心とした熟練組は誠が担当し、井上たちと一年を佑介が担当する流れとなった。
 まだ子供っぽさの抜けない一年部員たちは、人当たりの柔らかい佑介に懐き、まるで弟が兄に甘えるように、先を争って教えを乞うた。

 がた爺から副部長に任命されたものの、誠のように部に貢献できていないことを、佑介はずっと気に病んでいた。
 自分の力を発揮できる場を得たことで、佑介は少しずつ自信を得ていくようだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み