第70話 強くなるために

文字数 907文字

「あの……」

 ふいに、消え入りそうな声がする。
 虚を突かれた誠は一瞬まごついく。

「横から、いらん口出して、ごめんなさい」

 岡林だった。
 声を聞くまで、そこにいたことさえ気づかなかった。
 西方中テニス部において、ただただおとなしく、目立たない存在だった岡林が、いまや車内の注目を一身に集めている。

「私…ずっと、思うちょったことがあって……」

「なんな? 遠慮せんじゃちえい。言うてみぃや」

 誠の声が、岡林をそっと包み込む。

「私らぁが、毎日しよる練習…ほんまに、あれでえいがやろうか? 私、前にちっと、聞いたことあるがで…うさぎ跳びは膝に悪いけん、都会の学校ではやらんがやと」

「なぁし都会モンばぁ知っちょうがか? そういう大事なこたぁ、テレビで大々的に言わんかえ!」

 岡林の目と鼻の先で、堅悟がいきなり大声をあげた。

 よほど驚いたのか、岡林はそれこそウサギのように跳ね上がり、着地するなり佑介の背後に身を隠した。
 思いがけない岡林の行動に面食らった佑介は、「えっ? 俺? なんで……」と情けない声をあげながら、助けを求めるように周囲を見渡す。

 車内の皆が笑いだす。

 樹も笑った。しかし誠が目に入った瞬間、ふっと笑みが消える。
 誠の顔には、怒りとも、妬みともつかない、暗い影が差していた。
 恥ずかしさと焦りで朱に染まった佑介の顔と、青白く沈んだ誠の顔とが、鮮やかな対比をなして樹の目に映る。
 しばらくすると、誠は無理やり貼り付けたような笑顔を浮かべた。

「そんな話、俺も聞いたことあるでぇ」

 普段と変わらぬ口調だった。

「うさぎ跳びだけやない。グランド100週、素振り100回、がた爺が俺らぁに押し付けちょうがは全部、時代遅れもえいところちや。そんな練習、なんぼやったち、テニスは上達しやあせん。むしろ逆効果ぞ」

 そろそろと佑介の背後から顔を出す岡林を、視線の端にとらえつつ、誠はつづける。

「俺の地元に、テニスに詳しいひとがおるがよ。いま、そのひとに相談しながら、練習メニューを作り直しちょうけん、ちっくと待ちよりや」

 岡林の目が、朝露に濡れた葉が陽に照らさせたように、きらきらと輝く。
 満足そうに、誠は本物の笑顔を見せた。
 
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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