第134話 ありがとう

文字数 1,293文字

 樹のサービスに狙いを定めた小原が、前衛の有沢の名を鋭い声で呼ぶ。

 サッと身をかがめた有沢の陰から、小原の放ったシュートが、佑介めがけて一直線に飛んでくる。
 佑介はとっさに身をかわし、ボールはバウンドしてコートの外へ転がった。

「すまん! 思わず()けてしもうた……」

「避けたち(かま)ん。あんな球ぁ、顔にでも当たったら大事(おおごと)ぞ」

「…ほんまに、すごいヤツらちや……あんなプレイ、やろう思うたち出来んでぇ」

 さも感心したように、佑介がため息をつく。

(こいつは、高校でも、テニスをつづけるがやろうにゃあ……)

 ふっと、そんなことを考えた。

 次のレシーバーである有沢に向き合った樹は、ほんの一瞬、目を閉じる。
 この試合が終われば、もう、軟式テニスをすることはないかもしれない。
 幸弥、山中、それから佑介。
 これまでの樹は、常に誰かのために戦ってきたように思う。
 この試合だけは、自分のためにプレイしよう。
 きっと、これが最後の機会だ。

 目を開け、コートの反対側に立つ敵を見据える。
 トスを高くあげ、かがみこむ。膝の屈伸を使って勢いよく伸びあがり、渾身の力をこめてボールを叩く。
 有沢のレシーブがネットにかかる。
 相手の悔しそうな顔を見たとき、鼻の奥がツンと痛んだ。

 ふたたび小原と対峙する。
 もう二度と、あんな小細工はさせない。
 策を練る隙を与えないように、容赦ないサービスを叩き込む。
 小原のレシーブが浅い。樹は迷わず前に出る。
 高い打点でのストロークを、「トップ打ち」と千代子は呼んでいた。
 樹はサービスの次に、このトップ打ちが好きだった。
 バウンドしたボールが跳ね上がり、大きく弧を描く。
 頂点に達したところを、フルスイングで打ち込む。
 打球は相手コートへ斜めに突き刺さり、その勢いのまま、外へ飛び出した。

 ポイント連取に、西方(にしがた)中陣営が湧きかえる。
 駆け寄ってきた佑介と、固く手を握り合う。
 しかし、樹・佑介ペアの善戦はここまでだった。

 小原・有沢ペアの猛攻撃に、成す(すべ)もなく第3ゲームを落とし、樹たちは最後の大会を終えた。

「あの……頑張ってください。優勝して、四国大会、行ってください」

 試合後の挨拶を交わす最中、緊張した面持ちで、佑介が言った。

 一瞬、小原と有沢は驚いたように顔を見合わせる。しかしすぐに笑顔になって、こっくりとうなずいた。

 そんなふたりをまぶしそうに見つめていた佑介は、樹の視線に気づき、照れくさそうに笑う。

「これで、(しま)いながやにゃ……」

 まるで独り言のようにつぶやくと、佑介は樹に向き直った。

「…こんな気持ちで、終われるとは思わざった……なんもかんも、樹のおかげちや……俺を、見放さんでくれて、ほんまにありがとう……」

 樹のなかに、今日までの日々がまざまざとよみがえってくる。

「そりゃ、こっちの台詞(セリフ)ちや……最後に、お前とペアを組めて、ほんまに良かった……俺の方こそ、ありがとう……」

 言い終わらないうちに、涙がこぼれ落ちた。
 驚いて見開いた佑介の目にも、涙があふれている。
 やがて、どちらからともなく笑い出す。
 泣きながら、笑いながら、ふたりは互いに肩をたたき合った。

 

 

 
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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