第93話 硬式テニス

文字数 1,036文字

 三学期に入り、誠を中心とした練習メニュー作りは佳境を迎えていた。

「この時期は、いわゆるシーズンオフながでねぇ。基礎体力作りに重点を置くとえいがやと」

 これまで西方中テニス部が取り組んできた、ただひたすらに根性を鍛えることを目的とした練習とは一線を画す、本格的かつ最新式のトレーニング方法が載った専門誌を、千代子は誠に手渡す。

 誠がページを繰り、樹と佑介が両脇からのぞき込む。

「ウェイトトレーニングは無理やにゃ。道具がないがやけん」

「中学生はまだ体が出来上がっちょらんけん、どのみち、向かんがよ。その本は大人向けに書かれたモンやけんねぇ」

 千代子は中高生用の指南書を本棚から取って、差し出す。 

「具体的な練習方法はこっちを参考にしぃや」

 なにげなく本棚を見やった樹は、精悍なテニスウエア姿の外国人が表紙を飾る雑誌に目をとめる。

「これ、ちっと見てもえいが?」

 千代子に尋ねると、「かまんけんど、それ、硬式テニスながで」という返事が返ってきた。

「硬式テニスち、なんな?」

「テニスには軟式と硬式があるがよ。知らざったが?」

 テニスは元々イギリスで生まれたスポーツで、日本に入ってきたとき、当時の日本人がやりやすいようにルールや道具を変えたのだと、千代子は説明した。その後、本家のテニスも日本で行われるようになったので、区別するために本家を硬式テニス、日本製を軟式テニスと呼ぶのだそうだ。

「やけん、外国ではテニスゆうたら硬式テニスのことで、オリンピックの種目も硬式しかないがよ」

「野球部みたいに、中学までは軟式で、高校になったら硬式になるがやろうか?」

「それはないで。幡多の高校には軟式テニス部しかないけんねぇ」

 千代子の目がきらりと光る。

「なんね、樹。硬式テニスに興味あるが?」

「別に。ちくと気になっただけちや」

 ただ、野球と同じようにテニスにも軟式と硬式があることに、因縁めいたものを感じただけだった。

「硬式テニスがやってみたいがやったら、高知には硬式テニス部のある高校があるがやなぁい?」

 樹の本心を探るように、千代子は顔をのぞき込む。

「あんたくのお祖父(じい)さんは市内に住んじょるがやろう? そこからなら通えるやいか」

 その瞬間、樹の心に浮かんだのは、さすがの千代子も予想し得ないことだった。

 (もしかして、幸弥と同じ高校へ行けるがやないか……)

「いまは基礎トレーニングを調べようがやぞ! 硬式テニスやち、放っちょけ」

 誠の不機嫌な声に、樹は慌てて幸弥の面影を頭から追い払った。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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