第127話 男か、女か

文字数 860文字

 誠の家の前を走り過ぎるとき、金四郎が吠えるのが聞こえた。
 まるで誠に責めているような気がして、とっさに耳をふさぐ。
 荷緒(になお)川にかかる橋を渡る。
 眼下の暗闇に、あの台風の日の濁流が見えるようだった。
 荷緒小を過ぎ、仲間たちの家の前を次々に走り抜けてゆく。
 雨戸が固く閉まった家々はしんと静まり返り、樹はそこで無心に眠る仲間たちを想った。

(俺ぁ……頭がイカれてしもうたがやろうか……)

 ゆるやかな坂を転がるように駆け下りながら自問する。
 不思議な虹はあとかたもなく消え去って、空は燃えるような茜色に染まっている。

 誠に指摘されるずっと前から、樹のうちには幸弥がいた。
 初めての試合で、幸弥の涙を見た瞬間、一粒の種が蒔かれたのだ。
 ずっと気づかないふりをしていた。
 そのうちに種は芽を出し、根を張り、枝葉を伸ばした。
 今となってはもう手遅れだ。

 海の向こうに小さな光の塊がのぞく。
 少しずつ、少しずつ、大きくなって、やがて火の玉を思わせる太陽が姿を現した。

 それが産み落とされた赤子のように思えて、樹は思わず足を止める。

 海が太陽を産むのだとしたら、海は女なのだろうか……

 夢のなかの幸弥は、まるで少女のようだった。
 欅の木陰のベンチで、樹を見ていた幸弥の瞳を思い返す。
 男が、男を、あんな目で見つめるものだろうか?

 樹はふたたび走りだした。
 これまでの人生で出会った人々の誰にも幸弥は似ていない。
 あるときは雄々しく戦う男であり、またあるときは庇護を求める女である。
 そんな、まるでこの海のような人間が、この世に存在するのだろうか……

 海沿いの道を走りつづけて、隣町との境にたどり着いた。
 この辺りの中学生のあいだには、暗黙の了解として互いに相手の領域を犯さない決まりがある。
 元来た道を戻ろうとしたとき、ふと、幼いころの記憶がよみがった。

 白黒のテレビ画面に映る、細長い外国風の剣を持った王子のアニメーション。
 この王子は馬を駆って勇ましく戦ったかと思うと、突然力が抜けて女のように弱々しくなった。
 その姿が幸弥に重なる。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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