第162話 樹と土居

文字数 1,172文字

 卒業式を終えて教室へ戻る途中、背後からいきなり肩をつかまれた。
 驚いて振り返った樹の目に、口を一文字に結んだ土居の顔が映る。

「あとで、ちっと顔貸せや」

 それだけ言うと、土居は樹を追い越して、ずんずん先へ行ってしまった。

 最後の学活のあと、卒業生たちは別れを惜しむように校庭でたむろしていた。
 テニス部の後輩に囲まれる仲間たちに断りを入れてから、樹はうながされるまま、土居のあとをついていった。
 校門を出ようとしたとき、「キャプテン!」と呼び止める声がした。
 野球部員たちだった。
 ひときわ大きな声で、必死に土居を呼んでいるのは、桜野運動公園での最後の試合で、樹の隣に座っていた松原の一年生だ。

「行かんでえいがか?」

 振り返りもしない土居に、樹は声をかけた。
 土居は「(かま)ん」とひとこと発しただけで、そのまま国道に向かう道をくだってゆく。
 国道へ出たあと、さらに海岸につづく路地に入る。海を見に行くつもりなのかと思ったが、土居は海岸線に平行して走る、松林の遊歩道を曲がった。
 しばらく行くと、海とは反対側の松並木が途切れ、平野に広がる一面の辣韭(らっきょう)畑が現れた。
 その向こうに、懐かしい西方(にしがた)球場が見える。

「ここで戦ったこと、覚えちょうがか?」

「忘れるわけないろう……」

 奇跡の大逆転を果たしたあの日の試合が、仲間たちの勇姿が、樹の胸に鮮やかによみがえってくる。

「ほいたら、お前は何故(なし)野球部に入らざったがや?」

 咎めるような口調に、樹も思わず語気を強める。

「前にも言うたやいか。仲間との約束ちや」

「そればぁくだらん言い逃れが、通るち思うがか?」

 土居が噛みつくように叫ぶ。

「あんとき、俺ぁ、勝ち逃げは許さん言うたわにゃあ? それやに、お前は……男と男の約束を、反故(わや)にしよったがぞ!」

 あの日と同じ、燃える落日のような目で、土居は睨みつける。

 返すことばがない樹は、改めて、すまなかったと頭を下げた。

「あやまれらぁて言うちゃあせん! 俺ぁ、お前の本当の気持ちが知りたいがちや」

「本当の気持ち……」

 本当も何もない。自分たち荷緒(になお)の仲間は一心同体なのだ。
 五人で同じ部活に入るのは必然だった。五人のうち四人が野球部でなくテニス部を選んだ以上、ほかに選択肢はなかったのだ。

 そう答えようとした瞬間、耳の奥で、(きよし)の声がささやく。

——俺ぁ、やっぱり、野球が好きながです。どうしたち、(あきら)めきれんがです

 唇が凍りついたように、ことばが出なくなる。
 選択肢は、あった。
 たとえ仲間と決裂したとしても、自分ひとりでも野球をやるという選択肢が。
 ふたつも年下の清が、身をもってそれを教えてくれた。

 呆然と立ち尽くす樹を凝視したまま、土居が尋ねる。

「お前……俺が嫌がらせしよるち、思いようがか?」

「……嫌がらせながか?」

 力なく問い返すと、土居は少し考え込むような表情になった。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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