第131話 一緒に

文字数 1,783文字

 しばらくの間、誠は何か想いを巡らせるように虚空を見つめる。

「…水田のことさえなかったらにゃあ、俺ぁ、お前が高知市へ行くがは、()いことやち思うちょうがよ……」

 思いがけないことばに、樹は思わず誠の顔を見やった。

「お前は、こんな(ひな)びた片田舎で一生を終える男やない……俺ぁ、ずっと、そう信じてきたが」

 誠は真顔で樹の目を見返す。

「佑介も、堅悟も、耕太郎も、ここを出ていく気らぁ、ありゃあせん。あいつらぁは、ここよりほかには何ちゃ知らんまんま、(じじ)ぃになっていくがやろうにゃあ……」

 誠の目のなかに、微かな苦痛の色が浮かぶ。

「やけんど、俺は違う! ここで一生を終えたりはせん。一歩踏み出せば、ざまに広い世界が広がっちょうに、何故(なし)、こがぁな(こん)まい場所に閉じ込められんといかんがや?」

 樹はことばもなかった。
 自分たちが生まれ育った荷緒(になお)の集落に、誠がこんな想いを抱いていたことに、今の今まで気づかずにいたのだ。

「俺ぁ、高校を卒業したら、ここを出る。やけん、お前も、(もん)てくることらぁ考えなや! 世界は広いがぞ。ここにおったら絶対できんようなことに、満ちちょうがぞ!」

 ひと息にそう言うと、誠はしみじみとした顔になった。

「俺はにゃあ……(こん)まいころからずっと、お前と一緒に、そういう広い世界で勝負がしてみたい思うちょったがや……やけん、俺が高校出るまで、ちっくと待ちよってくれ」

 誠が空を見上げる。
 山の向こうに消えかかる太陽が、最後に放つ光が、誠の顔を照らしていた。

 その晩、樹はなかなか寝つけなかった。
 誠のことばが、刻々と変わっていった表情が、頭のなかに繰り返し浮かんでくる。

 外の世界に出たいなどと、考えたこともなかった。
 確かに辺鄙な田舎町かもしれないが、隣の一条市まで足を延ばせば、何もかもこと足りる。
 ほかの仲間たちと同じように、この荷緒の集落で十分満足していたのだ。
 誠が荷緒を嫌う理由が、樹にはどうしてもわからない。

——卒業したら、ここを出る

 誠のことばを聞いたとき、反射的に幸弥の顔が浮かんだ。
 まったく同じ台詞(セリフ)を、あの日、欅の下のベンチで、幸弥は樹に言ったのだ。

(あのふたり、似ぃちょうところがあるがかもしれん……)

 ふたりとも、ひたむきな努力家で、負けん気が強くて、他人に弱みを見せたがらない。
 そういう人間ほど、いったん心を許すと、相手をとことんまで信用してくれる気がする。

——友達らぁ、おらん

 そう告げた幸弥の、寂しげな横顔を思い出す。

(誠は、幸弥の友達になってくれんろうか……)

 そんな虫のいい、楽観的な考えが、樹の頭にこびりついて離れなくなる。

 翌朝、樹はふだんよりもかなり早くに待ち合わせの場所へ行った。

「俺にゃあ……考えてみたがや」

 家の前の坂を誠が下ってくるのが見えたとたん、樹は声高に言った。

「お前も、俺と一緒に高知市の高校へ行かんか?」

 驚いた誠は、あやうく自転車から落ちそうになる。

「何をバカなこと……お前、頭がどうかしたがやないか?」

「そう言わんと、よう考えてみぃや。お前はこっから出たいがやろう? ほいたら、なんも高校卒業するまで待たんじゃち、えいがやないか?」

 訴えかけるように、樹は誠の目を見つめる。

「俺ぁ市内のお祖父(じぃ)()から通うがやけん、お前もそうすりゃえいがよ。小学生のころは、毎年、夏休みにみんなで泊まりに行っちょったやいか」

 誠の顔が、次第に険しくなってゆく。

「市内には、高校もこじゃんちあるけんにゃあ。俺ぁ、西城にしよう思うちょう。そこは国際派を目指しちょって、語学に力を入れちょうがやと。お前、英語は得意やろう?」

 誠の暗い顔に、うっすらと光がさした。

「俺はにゃあ……ずっと、工業に行きたいち、思うちょったがや……」

「工業やったら、俺の従兄(いとこ)の敏郎兄ちゃんが行っちょったが」

「知っちょう。やけん、行きたいがや」

 記憶をたどるように、誠は空を見つめる。

「小六の夏休みに会うたとき、敏郎兄ちゃんが自慢しちょったがよ。工業でいろんな技術を身につけよったら、日本中どこへ行ったち食いっぱぐれん言うてにゃあ」

 樹は唖然(あぜん)とした。
 まだ小学生のうちから、誠はそんなことを考えていたのだろうか?

「…少し、考えさせてくれ。ほんで、このことは、誰っちゃあ言うたらいかんで!」

 キッと前方を見据えた誠の目のなかに、ギラギラとした光が宿っていた。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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