第3話 特別?

文字数 1,277文字

 誠は黙って海を眺めていた。
 やがて立ち上がると、自分も手を洗いながら、静かに言った。

「お前の気持ちも、わかるがやけんどにゃあ……俺ぁテニス部にしたがは、正解じゃち思うちょる。野球部には、西方ジャガーズのメンバーだけやのうて、浦賀小の連中がおるろう? ヤツらぁ〈お街〉のリトルリーグにおったがよ」

 西方町に隣接する一条市のことを、集落の人間は親しみを込めて〈お街〉と呼んでいた。その昔、応仁の乱を避けてこの地に移り住んだ公家が京都を模して作った町は、古くから〈土佐の小京都〉と呼ばれ、県西部に位置する幡多(はた)地域では経済、文化の中心地だ。近隣の住民は一条市に憧れる一方で、密かな劣等感を抱いてもいた。

「お町がなんなら? リトルリーグが、なんぼのもんながや?」
 樹は誠の顔をのぞき込む。

 ふいに、誠は口をつぐんだ。
 しばらく足元を見つめたあと、話を終わらせるかのように、きっぱりと言い放った。
「なんもかんも、多数決で決めたがじゃ。四対一やけん、仕方ないろう?」

 その瞬間、樹の感情が爆発した。

「なにが多数決や! もっともらしいこと言いよってからに。お前らぁ、女に目が(くら)んだがやろう? 千代子姉ちゃんが、テニスは女にモテる言いよったがやけん……」

 誠の顔に驚きの色が浮かぶ。それはやがて悲しみに変わり、最後は怒りに変わった。

「お前は…本気でそう思うちょるがか?」
 震える声で言うと、誠はいきなり立ち上がり、自転車を停めた駐車場に向かって歩きだした。

 慌ててあとを追った樹が、謝ろうとしたとき、誠は立ち止まった。
 振り返り、樹の目をじっと見つめる。

「お前はなぁ、自分では気づいちょらんかもしれんけんど、特別ながや。今度の試合じゃち、体格だけで選ばれたわけやないでぇ。野球だけやない、テニスじゃち、ほかのどんな競技じゃち、お前はきっと、上手いことやれるがよ」

 誠はもう怒っていなかった。
 口元は笑っていた。
 にもかかわらず、誠の目が、ひどく寂しそうに見えるのだ。

「お前は仲間やけん、明日は精一杯応援する。お前が活躍しよったら、俺らぁみんな、自分のことみたいに思うがやぞ」

 樹と誠は、町の中心部から遠く離れた集落にある、全校生徒数が五十人にも満たない、荷緒(になお)小学校の出身だった。
 同級生の男子五人組は幼いころから何をするにも一緒で、ひとかたまりになってじゃれ合う様子は、まるで仔犬の群れのようにみえた。

 仲間と離れて、樹だけが野球部に入るなどあり得ない。
 自分たちは五人でひとつだ。
 それは樹たちにとって、素朴で疑う余地のない事実だった。

 それなのに、誠は樹を「特別だ」などと言う。
 一心同体であるはずの自分たちのなかで、誰かひとりが特別などということが、あるだろうか?

 樹が思いを巡らせていると、誠が打って変わって陽気な声を出した。

「家まで競争や! 負けた方がコーラ奢るがぞ」
 言うが早いか駆けだした誠を、樹は慌てて追いかける。
「おい、待てぇや。反則ぞ!」
 ふたりは自転車に跨り、歓声をあげながら、緩やかなカーブがつづく坂道を、抜きつ抜かれつ、どこまでも登っていった。

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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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