第19話 写真

文字数 1,419文字

 幸弥が小学校に入学する直前、母は他所(よそ)小父(おん)ちゃんと結婚することになった。

「新しいお父ちゃんと仲良うするがよ」
 大叔母は幸弥に言い聞かせた。
「ほいたらお母ちゃんは、お仕事に行かんと、ずっと幸弥と一緒におれるきぃね」

 幸弥は素直にうなずいた。新しい父は不愛想だったが、たまに菓子や付録のついた雑誌を買ってきてくれた。やがて母は義父の子を身籠った。ひとりっ子だった幸弥は、兄弟ができるのが楽しみだった。

 ある日、学校から帰ると、アパートの駐車場で義父が焚火をしていた。幸弥はアパートの外階段を駆け上がり、弾んだ声で母を呼んだ。

「お母ちゃん、芋をちょうだい。お父ちゃんが焚火をしゆうきぃ、焼き芋を作ってもらうき!」

 居間の隅に座り込んでいた母が、ゆっくりと振り返った。母は泣いていた。驚いた幸弥が反射的に本棚を見ると、そこにあったはずのアルバムが消えていた。

 幸弥は部屋を飛び出し、転がるように階段を下りた。義父を押しのけて覗きこんだ焚火のなかに、アルバムはあった。開いたページから、あぶられて糊のはがれた写真が、ゆらゆらと揺れていた。

 炎に包まれた写真のなかで、父は笑顔のまま、悶えるように身をよじっていた。

 幸弥は悲鳴をあげた。義父につかみかかったが、あっさり振りほどかれた。地面に転がった幸弥はすぐに立ち上がり、何度でも飛びかかった。騒ぎを聞きつけた大叔母に取り押さえられても、幸弥は狂ったように暴れつづけていた。

 母が義父と再婚して、大叔母が管理人をしている木造アパートの二階の部屋に移ったとき、家中にあった父の写真をアルバムに貼り替えた。すると、それまではちゃんと覚えていた父の顔が、急に思い出せなくなった。焦って思い出そうとすると、なぜか浩二兄やんの顔が浮かんでくるのだ。
 父に申し訳ない気持ちになった幸弥は、毎晩布団に入る前にアルバムを見て、父の顔をしっかり目に焼きつけて眠った。それは決して義父への当てつけではなかったのに、義父は怒ってアルバムを燃やしたのだ。

 幸弥は激しく義父を恨み、その憎しみは義父の血を引く弟にも向けられた。幸弥は笑わなくなり、たくさんいた友達は、ひとり、またひとりと離れていった。
 家でも学校でも孤立した幸弥は、父の形見のラケットを手に、アパートの壁に向かってボールを打った。高学年になると、父の残した軟式テニスの指南書をむさぼるように読んだ。ひとりでもできる練習はサービスくらいだ。来る日も来る日も、幸弥は壁に向かってサービスを打ちつづけた。

 父の写真を燃やされてから、幸弥は父の顔を思い出すことができなくなった。

 幸弥の手元には一枚だけ、生まれたばかりの幸弥を抱いた父の写真があった。母がお守り代わりにランドセルに入れておいたのだ。薄暗い病室で撮られた写真は不鮮明で、父の顔もぼんやりとしかわからない。それでも、幸弥は日に幾度も写真をランドセルの小さなポケットから出して眺めた。そのうちに、写真はぼろぼろになってしまった。

 あの試合以来、幸弥が父を想うと、なぜか明神の顔が浮かんできた。
 浩二兄やんのときのような、父への罪悪感はわかなかった。

 もしかしたら、明神は父の生まれ変わりかもしれない——

 そんな馬鹿げた考えを、幸弥はすぐに打ち消した。
 しかし、それでもなお、何か別の、深い因縁のようなものがあるに違いないと、信じないではいられなかった。

 そうでなければ、説明がつかない気がした。


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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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