第136話 樋口部長
文字数 1,116文字
樋口部長が笑顔で話しかけてくる。
バレー部にいたときのことを、ぼんやりと思い出していた沖は、ハッとした。
「ほんまですねぇ。今日は万全の状態で試合したかったですけん、良かったです」
慌てて笑顔を作る沖を、部長がじっと見つめる。
その目のなかに案ずるような色があった。
(俺の顔、こわばっちょったろうか……?)
またしても、余計な心配をかけてしまった。
沖はなんだか申し訳ない気持ちになる。
テニス部に入ってすぐのころにも、部長から思いがけないことばをかけられたことがあった。
「結果を出したヤツには、誰っちゃあ文句はつけれんがで」
愚痴っぽくなるのは嫌だったから、バレー部でのことは言わないようにしていたのだけれど、部長は気づいていたようだった。
沖は胸のなかで自分に言い聞かせる。
集中しろ。すぐに試合が始まる。
部長にとっては、これが最後になるかもしれないのだ。
名前を呼ばれて、コートに入る。
相手の選手が、険しい目つきで睨みつけてくるのを、何の感情も持たずに、ただ見返す。
見えすいた
練習のたびに、安岡先輩の猛烈な打球を受けてきた自負が、沖にはあった。
第1ゲームは
ネットのすぐ前に立ち、相手の選手たちを見据える。
この瞬間の、なんともいえない緊張感が、沖は好きだった。
部長が相手の後衛とラリーを繰り広げるあいだ、沖は食い入るようにボールの行方を追う。
(いける!)
直感にまかせてラケットを突き出す。
上手く打てたかどうかは、音でわかった。
沖のラケットがボールをとらえた瞬間、小気味いい音が辺りに響く。
ネットぎわに立ちはだかって、チャンスボールをダイレクトに叩き込む。
その爽快感は、バレーボールでしか味わえないと思っていた。
アタッカーを目指していた沖にとって、軟式テニスの前衛はうってつけのポジションだ。
それなのに、ふとした瞬間、自分でも気づかないうちに、バレーのことを考えてしまうことがある。
それが、バレーへの未練なのか、ただ単に、バレー部で受けた仕打ちが悔しくて忘れられないだけなのか、沖自身、よくわからなかった。
——そんときは……俺が責任とるけん
まだバレー部に在籍していた沖が、テニス部の見学の許可を得ようとしたとき、反対する副部長たちに向かって、部長はきっぱりと言った。
今まで、こんな風に自分をかばってくれた人は、ひとりもいなかった。
(この人について行こう……)
その瞬間、沖はそう心に決めたのだ。
それなのに、未だにバレーのことを考えてしまう自分が、情けなかった。