第111話 成長

文字数 1,074文字

(いつの間に……)

 そんな疑問が浮かぶのを、樹は呑みこむ。

 負けず嫌いで地道な努力を惜しまない。しかし、そんな自分の姿を、周りには決して見せようとしない。
 誠は、そういう独自の美学ともいえるような信念を持つ男だ。

 誠が新たに身に着けていたのは、リバースサービスだけではなかった。

 佑介に向けて、誠はラケットを下から振り上げてサービスを打った。
 バウンドしたボールは、またしても大きく左へ曲がる。
 不自然な動きに対応できず、佑介はたたらを踏んだ。

 この光景を、前にも見たことがあるような気がした。
 とっさに記憶をたどる樹の頭に、まだ幼さを残した幸弥の姿が浮かぶ。
 そうだ。あれは、幸弥と初めて対戦したときのことだ。
 試合が長期戦となり、体力の限界に追い込まれた幸弥が打ったのが、これと同じサービスだった。

 次のサービスは右へ、そのまた次は左へ。バウンドするたびに、ボールは樹たちの予想とは反対の方向へ弾んでいく。

 一度も打ち返すことができないまま、樹たちは1ゲーム目を落とした。

「なんや、誠。絶好調やいか!」

 試合を見ていた堅悟と耕太郎が賞賛の声をあげる。

「なんや知らんけんど、今日は大変(ざま)に調子がえいで」

 堅悟たちに応えつつ、誠はちらりと樹を見やった。

 たちまち、全身の血が沸き立つように、体じゅうが熱を帯びた。
 不敵な笑みが、樹の口元に浮かぶ。
 こんな感覚は久々だった。

 誠に対峙した樹は、あらん限りの力を込めてサービスを打つ。
 誠は果敢に打ち返す。
 誠の返球を目で追いつつ、樹は同時に沖の位置を確認する。
 沖の左わきを抜けるよう、ストレートのシュートを放つ。
 その瞬間、まるで樹の心を読んでいたかのように、沖が素早く左へ動く。
 真正面に立つ佑介めがけて、沖はフォアハンドでボレーを打った。

 体の正面へ打ち込まれたボールを、佑介はとっさにラケットで受けた。
 跳ね返ったボールがネットにひっかかる。

 沖もまた、誠と同様に目覚ましい進化を遂げていた。

 そんな沖へ、樹は容赦なく全力のサービスを打ち込む。
 気圧(けお)されつつも、沖は懸命にレシーブを打つ。
 樹がロブを打ち返すのと、ほぼ同時に、助走をつけた沖の体が舞い上がる。
 高く伸ばした腕の先で、ラケットがボールをとらえた。
 佑介が素早く反応し、ラケットを突き出したものの、ボールはフレームに当たり、コートの外へ転がっていった。

 結局、樹たちはストレート負けを喫した。
 感極まった沖は、とっさに誠に抱きついたあと、慌てて体を離し、非礼をわびた。
 普段はあまり感情を表に出さない沖の、意外な一面を見た気がした。
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登場人物紹介

明神樹(みょうじんたつき)


主人公。高知県西部の小さな集落にある荷緒小学校出身。おおらかで寛大な性格。共感力が高く、他者との境界線が曖昧なところがある。大人びて見られがちだが、実際は奥手で浮世離れした子供っぽい一面を持つ。

樋口誠(ひぐちまこと)


樹の親友。繊細で面倒見が良く、常に周りに気を配るタイプ。一見温厚そうだが、根は負けん気の強い情熱家。

水田幸弥(みずたゆきや)


南野中軟式庭球部員。小柄だが優秀な選手。幼少期の辛い体験によって、他人に上手く心を開くことができずにいる。その一方で、いったん心を許した相手はどこまでも信頼する素直な一面を持つ。

木戸佑介(きどゆうすけ)


樹の仲間。穏やかで誠実な平和主義者。気弱な性格のため、思うように実力を発揮できずにいる。

安岡堅悟(やすおかけんご)


樹の仲間。体格に恵まれており、仲間うちでは武闘派を自任している。デリカシーがなく、気の短いところもあるが、仲間思いで情に厚い。

間崎耕太郎(まさきこうたろう)


樹の仲間。天真爛漫なムードメーカー。小柄でフットワークが軽く、直感で行動するタイプ。堅悟とは凸凹コンビ。

間崎千代子(まさきちよこ)


耕太郎の姉。しっかり者で姉御肌な情報通。弟たちから頼りにされている。

土居要蔵(どいようぞう)


元西方ジャガーズの捕手。小学校時代に荷緒小チームに敗れたことで、樹をライバル視するようになる。

岡林文枝 (おかばやしふみえ)


西方中女子軟式テニス部の部長。問題意識が強く、まじめな努力家。目立つことと、粗暴な男子が苦手。

山形強(やまがたつよし)


通称〈がた爺〉。西方中軟式テニス部顧問。体罰も辞さないスパルタ教師。テニスの知識も経験も皆無だが、教え子には常に目を光らせている。

沖広義(おきひろよし)


西方中テニス部員。誠のペア。元はバレー部に所属していたが、芽が出ずテニス部に移った。義理堅くまっすぐな性格。

山中淳一(やまなかじゅんいち)


西方中軟式テニス部員。樹の先輩であり頼れるペア。スマートな言動とは裏腹な激情家。

大﨑正則(おおさきまさのり)


南野中軟式庭球部員。幸弥の先輩でありペア。幸弥にとっては部内で唯一心を許せる存在。小心者で不器用だが愛情深く、信念を貫くタイプ。

徳弘大河(とくひろたいが)


南野中軟式庭球部員。大﨑の引退後、幸弥とペアを組む。こだわりが強く、マイペース。万事において納得いくまで追求するタイプ。他人の気持ちを察するのは苦手だが、裏表のない真っ正直な性格。

杉本香(すぎもとかおる)


西方中の不良少女。戯れに樹を誘惑する。

金四郎(きんしろう)


山に捨てられていたのを、誠に拾われた。賢く、忠義心にあふれた日本犬系の雑種。

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