第33話 真相の発覚、孤立する総裁
文字数 3,321文字
このリハーサルの輸送は著者の実家のお母様が往路を行なった。しかし復路はお父様に交代したのである。母は足を捻った、と言っていたが、どんどん痛みと腫れが増してきたと訴えておった。そして病院に行くということになった。
ありゃ、典型的な骨折の症状ですね。レントゲン撮れば診断確定ですね。
でも、手でなかったのが不幸中の幸いかな。著者のおかあさんって工芸作家だもんね。
さふであるが、足が使えぬのはやはり不便極まりないのだ。
でもその著者さんとおかあさんって揉めてなかった?ひどいっ。
うむ。ワタクシからいうのもナニであるが、著者と母の間では様々にすれ違っておるのだ……。それも著者が悪い著者が。
でもなんなんでしょうね。女親が息子のことをめちゃめちゃ悪く言ってその自信や尊厳を木っ端微塵にしてるって。
それがグレートマザーと呼ばれる母性の過剰であろうの。やられる男の子は全くたまったものではないのだが。
世の中ではちっとも通用しない、どうしようもない子供だから私が保護してやらないといけない、ってなってしまうのですわ。でもその保護の中では子供は窒息してしまいます。
なんかディズニーの「塔の上のラプンツェル」の話みたいー。
まさしくあれも親の過剰な保護が子を苦しめる話でもあるからのう。著者はそのため何度も螺旋階段に吸い込まれ落ちて行く悪夢に苛まれておった。
そういえば著者さん、仕事探しのために就労支援センターにもいってましたね。そこまで著者さん状態悪かったんですか? ひどいっ。
著者は母に徹底的に責められもしておったからのう。なにかというと「生きる資格がない」みたいなことを言われておった。片付けができない、料理ができない、身の回りのことができない、何もかもできてない、人間として失格だ、と。
そう言われても著者さん、他のこと頑張ったり評価されたりしてるのに。
そんなことよりも片付けができないことが本質なのだ。人間としてだらしない。それゆえ賞をもらおうが褒められようが意味がないのだ。
著者の母はそのことを他人の話としていうと、「なんてひどい!」というのだ。つまり一切自覚なくそう言っておるのだ。だからたまらないのだ。
過剰な母性とはそういうものでしょうね。悪気があってやってるわけではないでしょうけど。
悪気がなくてやられた方は、自分が悪いのだと思うしかない。こういうものは度が過ぎれば虐待なのだ。しかも悪気がないからそれは終わりはしない。
どっちが悪いってことにはできないような気がするなあ。子供だって親を悪いとは思いたくないだろうし。でもそうしたら自分を悪いと思うしかないよね。
施設では同じような類型の人もいた。年も取っているし話し方も考え方も全くしっかりしておる。しかし就労できないレベルなのだ。
でも著者さん、今お勤めしてるよね。なんで就労支援に?
今のお勤めが最低時給でしかもその勤務数のコマが少なくて収入として細すぎるのだ。しかもそんなところに10年もいたために、コマの多い勤務に就く能力があるかすら疑問になってしまったのだ。
周りは定年後に年金もらいながら生きがい目的に働いてる人達ですものね。働き盛りのはずの著者さんに取っては逆の意味で厳しすぎます。
かと言って抜け出せはせぬのだ。体は弱り、就労支援センターにいっても「あなたすでに就労してるでしょ」と言われて弾かれるのだ。制度的にもう抜け出しようがない。
そんななか、著者は実家の支援でなんとか暮らしておる。しかし、その母が骨折で動けなくなった。最後のはずのJAM出展、その母がいつものように著者の作品を「ひどいから作り直してやる」と言っていたのがその作り直しが途中で放り出されるのだ。
またですかー。お母さんはやる気だったんだよねー、それでも。
しかし!日程はすでに遅れておる。しかも母はまだ時間がある、というのだが、それは母の時間であって、そのしわ寄せは著者に寄ってしまう。サザンタワーは作り直せたがJR病院の建物、作り直したらすぐに積み込まねばならぬ。しかし!それにLEDをつけなくてはならぬ可能性も出てきた。その作業時間は何も考えられておらぬ!
そこで著者はその作り直しをやめてもらうことにした。それについて、母はやはり散々文句を言ったのである。聞くに耐えない嫌味である。「採点があるわけじゃないからいいのね」とか。
何言ってんの……。採点以前にすでにスケジュールぐちゃぐちゃになってるのに。
出展そのものが危ぶまれておることは全く知らないのに嫌味だけは言われるのだ。
あれ、でもこの状況、なんか一昨年と去年とだと違うー。誰かが全然出てこないー。
さふなり。ミエくんは別件で多忙であったから不在は仕方ないのである。
しかたないよね。でも、じゃあ、著者さんと総裁は一人で準備すんの?
致し方あるまい。ミエくんとその依代の奇車さんはすでに大きく金銭的にも負担しておる。忙しい中で頑張ってくれたのだ。
ワタクシはそこで自分を抑えた。でも、ワタクシは孤独と嫌味の中で、自分を見失い始めておった。なんのための出展なのか。なんのために頑張っておるのか。
そこで、つい弱音が出た。「GSE改やEXE改はどうなってしまったのだ」と。だがいうまでもない。別件の方で時間も労力も取られているミエくんたちにそれを問うのは酷な話であるのだ。
でも……せっかくJAMコンベンションに出展するのに、なんだかもったいない気がしてきた。
別件の方が時間もかかるし進捗きつかったからしかたないのよ!
ワタクシの手はまた止まり始めた。またビルに電飾をつけるとしても、そのつき方がよくわからぬ。サザンタワーからの夜景はみんな撮っても、サザンタワーの夜の姿は撮るものはほとんどいないのだ。
でも8月になりかけですわ。この追い詰まった今からまたロケハンに行くわけにはいきませんわ。そんな時間はありませんわ。
でも時間もないけど手が止まってるから同じことでしょ。ヒドイッ。
なんかパターンが見えてきましたよ。総裁たちって、こうやって周りが忙しいと、自分のやってることが「ただの暇人のやるくだらないことだ」って思ってしまうみたいな。
忙しいことはいいことで暇なことはただ悪いこと、なんてわけないのに。いくらなんでも自己評価低すぎですよ。これだけ支持されてるのに。
自己を評価する資格がないと育てられてしもうたからかもしれぬ。暇なことは必要とされてないということと思わされておるからかもしれぬ。
しかし肉親の作ったこういうものは呪いのように蝕んでくるのだ……。
著者さんももう46歳になるんだからしっかりしなきゃダメです!ヒドイッ。
ワタクシと著者はひどい迷いの底に落ちておった。ここまで曲がりなりにも順調だったのだが、完全にストップしてしもうた。ソフトの更新もできず、JITBOX積み込みのシミュレーションもできない。運搬物の箱がようやくできたのだが……。
え、あの新宿踏切のベース、箱なしに一旦運んだんですか!
箱を作るためには運ばねばならぬ。難関の工程であったが、なんとかやり遂げた。
しかしワタクシは、そのことすら肯定的に思えなかったのだ。暇なものがくだらないことをしている。内心の声が常にワタクシをそう罵倒するのだ。それにワタクシは耐えられなかった。
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