第23話 新宿ロケハン紀行(2)幸せの資格

エピソード文字数 3,635文字

詩音くん、大丈夫か?
総裁はそう詩音をいたわる。


詩音は高校入学を1年遅らせたほどの虚弱体質で、その上入学後しばらくは保健室登校だった。

その彼女をこの鉄研に招き入れたのが総裁たちであった。


そのようにもともと体の弱い彼女なのだが、鉄研では模型の腕と見識ではリーダー格であり、また総裁たちがなにかするときに強い心の支えとなってくれる。


1年年上なだけにみんなのお姉さんとしての安定感がある。

それゆえ総裁が「癒し系正規空母」を彼女を呼ぶのもたしかにそうなのだ。

その豊かな胸に抱きとめて「充電」するのも今やいつものことなのだが、彼女が豊かなのは胸だけではない。

大丈夫ですわ。取材、まだまだがんばりましょう。せっかく少ない軍資金の中から取材旅費を出したのですから。みんなのためにも取材バッチリしないと。
さふであるな。でも、詩音くんも体をだいじにするのだ。高校生に二階級特進などないのであるからの。
詩音は笑った。
そうですわね。この飲み物ちょっと飲んだらまた取材の続きをしましょう。
詩音はそう言うと、ペットボトルで飲んだあとの唇をハンカチで丁寧に、優雅に拭いている。
1号踏切とサザンテラスはこうなっているのですね。テラスの上の植栽が豊かですわ。ジオラマで緑は効果大きいのでこれも再現しなくてはいけませんね。
病院のサザンテラス側は1段高くなってこのような搬入口があるのだな。ディテールとして再現すると繊細で良さそうだ。
その隣も緑がまた豊かですわ。ただのコンクリートの建物の密集ではなくこういう緑があるのが東京らしさですわ。JAM(国際鉄道模型コンベンション)のテーマ「東京」を満たすにはこの再現が大事ですわね。
サザンタワーの基部の反対側はこのような階段になっておるのだな。ストリートビューではこのテラス上は収録されておらぬので取材大事であるのだ。
また1号踏切に戻ってきたぞよ。この踏切舗装のカラーも再現すべき事項であるのう。通りかかったこの8000形電車も新5000形の導入が発表された今、帰趨が注目されるところであるのだ。
機器などの更新をしていますけどもう7000形ロマンスカーLSEが引退したあと小田急で一番古い電車となりましたからね。大ベテランのこの8000形もお疲れ様でしたとお別れの日が近づいていますわね。
踏切のカラー塗装、目立つのう……。この踏切を強く特徴づけておるのう。
印刷で表現するか塗装で表現するか迷いますわ。
病院の2号踏切のほうに立体駐車場があるのはわかっておったが、この再現も難儀であるのう。
グレーチングみたいなメッシュの壁ですか……。風祭駅を作ったときにメッシュの簡易で非常に安価な再現法を開発・実施したのでその応用で行けそうではありますが、それでも難物ですわね。
かといって印刷でこの雰囲気が出せるかのう。しかも作っても目立たぬ可能性も大であるのだ。
でも。
詩音はまた笑った。
こうしてどう模型で再現するか思案しながら風景を一緒に見るこのロケハン、ほんとうに楽しいですわ。
そうか。でも無理はならぬぞ。
新宿2号踏切を病院側から見るとこのようであるのか。密集感がいかにも東京の下町の感じであるのう。
しかしここがモジュールレイアウトの分割線になってしまうため、わたくしたちによる再現は難しいですわね。
でも記録しておこう。なにかの役に立つかもしれぬ。
うっ、病院が休みで閉鎖されておるために見られぬところが多いのう。
でもお休みでないとここに来られないのですから、取材はとても難しいですわねえ。
取材できるところを取材するしかないのう。この歩道橋の上に登ってみるぞよ。
歩道橋の上から1号踏切を見るとこんな感じですのね。すごい密集感。でも電車が途切れて踏切も鳴らないのどかな静寂が時々あるのが印象的ですわ。これもまた東京の要素に思えます。
2号踏切の下り側に小田急の旧社屋がある。その線路際の植え込みを刈っている作業員の方がいらっしゃる。これもどこか長閑であるのう。都心であるがローカル風味であるのだ。
踏切もこの昼間は長い時は10分近く閉まることもありますが、のべつ幕なしにしまっているわけではないのですね。普段電車で通過するだけなので気づかなかったことが多いですわ。
それが取材の効用であるのう。
信号中継所をもう一度見るぞよ。この中継所の形状把握がなにげにむずかしいのう。
螺旋階段もどう再現するのか、考えてみてもわからないですわ。クラフトロボと真鍮棒を駆使するしかないかも。ともかく手を動かして試作して検討するしかないですわね……。
歩道橋の下にはキュービクルがにょきにょきと生えたタケノコのようにあるのう。これも再現できるであろうか。
われわれが3Dプリンタでキュービクルを作っているので、それを使うのが手ですわ。メーカー製だと種類が少ないのですがわれわれのつくった3Dプリントならバリエーションが作れます。
この中継所と雑居ビルの間から踏切が見える。こういうスキマの造作も調べて置かぬと工作時にこまるでのう。
ここで雑居ビルのビストロのコックさんたちがランチ営業が終わって一息ついているのかタバコをお召しでしたわ。そういう生活感も楽しいですわね。
そのビストロの窓も風情があるのう。ランプがまたいいかんじであるのだ。
再現したいですけどこの雑居ビルはなかなかの難物になりそうですわね。
雑然とした様子はとても手間がかかるので模型で再現するのが難しいからのう……。
詩音くん、よくがんばったぞ。そろそろ昼餉にしよう。
ええ……そうしていただけると嬉しいですわ。

この1号踏切から新宿の空がよく見えますわね。

模型で作ったこの踏切からは、空ではなくきっとビッグサイトの風景が見えるのでしょうね。

きっとこの踏切をのぞきこむお客さんの笑顔でいっぱいになるのだ。

そうなるように頑張って作るのだ。

それを想像するだけで素敵ですわね……。
詩音の息が上がっているのに総裁は気づいている。
そのためにも詩音くんの力が必要なのだ。ちょい無理してしもうたか?
いいえ……。でも、もうちょっと私が丈夫な体であったらと時々思いますわ。

みんなと一緒に、もっと元気にいろんなことがしたい。

でもこの体では、無理。

つらいのう。ともあれカフェに着いたぞよ。
ここはベーカリー併設のイートインであるのだ。焼きカレーパンとアイスティーを所望したぞよ。焼きカレーパンは100円ながら本格カレーの味わいが絶佳であるのだ。
美味しいですわ。このベーカリーも再現したいですわね。
そうであるな。こういう思い出ごと再現したいのう。
詩音はアイスティーを口にし、荒くなってしまった息を整えている。
わたくしの幼い頃、わたくしの母は亡くなりました。それからあと父はわたくしを一人で精一杯育ててくれました。もちろん執事や召使いさんたちにも囲まれ、不自由はなかった。


でも、それがどんなに素晴らしくても、母の代わりにはならない。そのことを感じてしまうことに、わたくしは自分を責めてしまうようになりました。

うむ、それはしかたがなかろう。愛の形はさまざまであり、愛の本質的な代わりになる別の愛などないぞ。
わかっていました。それでもそれにわたくしはつらい思いでした。

普通の幸せのなんと尊いことか。きっとわたくしにそれは手に入らない。

模型を作ることの幸せはあるけれど、誰かと愛し合い、普通に子供を授かる幸せはきっと無理なのです。

十分幸せなはずなのに、そう思ってしまう。欲が深いとわたくしは自分が嫌になります。

むむ。しかし人はみな幸福追求権をもっておるのだ。幸せになりたいのは当然であるのだ。その気持はあって当然だし、それを恥じることなどないぞ。

未来もまたみな、いい意味でも白紙なのだ。

そうなのでしょうか……。体の弱いわたくしの未来は限られているように思えます。

わたくしに幸せになる資格はあるのでしょうか。

体が弱くなくても、本質的に無制限な未来を持っておるものなど、この世のどこにもいないぞよ。

それぞれの所与にあわせて、それぞれの未来を夢みて、それぞれに手に入れるだけであるのだ。

それゆえに夢も未来も命も、みな尊いのだ。

わたくしにもその未来や幸せや夢はあり得るのでしょうか。
それは絶対にあるのだ。望む限り、形を変えることはあっても、きっとあるのだ。

ワタクシもそれを信じてここまで生きてきたのだ。

総裁はそう言うと詩音に向けて、微笑んだ。
奈々センパイが「自分に関わるものは皆幸せになる」と言っておった。

その意味をワタクシも最近強く考えるようになった。


ワタクシも、今はわが鉄研の皆が幸せになれると思うし、信じておるのだ。

そうなのですか。
みなそのための才覚はあるから、きっと自ら幸せになれるのだ。

そのためにも、ワタクシはさらに我が鉄研のJAM出展と、テツ道の探求をがんばらねばならぬ。


総裁はまた微笑んだ。


その目の前の新宿1号踏切を、また電車が車輪をきしらせながら、ゆっくりと通り過ぎていく。

つづきます。
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登場人物紹介

長原キラ ながはらキラ:エビコー鉄研の部長。みんなに『総裁』と呼ばれている。「さふである!」など口調がやたら特徴ある子。このエビコー鉄研を創部した張本人。『乙女のたしなみ・テツ道』を掲げて鉄道模型などテツ活動の充実に邁進中。


*総裁のびっくりヒミツ能力(順次公開)

・隠れオッドアイ。安いラノベのキャラだと思われたくないので視力は悪くないのにカラーコンタクトをはめて眼の色を合わせている。しかしこのオッドアイのその眼を見てしまうと自白させてしまう作用がある。あまりにも危険なのでそれを抑制するためにもカラーコンタクト。


 ほかにもまだまだあります。


葛城御波 かつらぎ みなみ:国語洞察力に優れたアイドル並み容姿の子。でも密かに変態。しかしイマジネーション能力は随一。


武者小路詩音 むしゃのこうじ しおん:鉄研内で、模型の腕は随一。高校入学が遅れたので、実は他のみんなより年上。鉄道・運輸工学教授の娘で、超癒し系の超お嬢様。模型テツとしての腕前も一級。

芦塚ツバメ あしづかツバメ:イラストと模型作りに優れた子。イラストの腕前は超高校級。「ヒドイっ」が口癖。

中川華子 なかがわ はなこ:鉄道趣味向けに特化した食堂『サハシ』の娘。写真撮影と料理が得意。バカにされるとすぐ反応してしまう。

鹿川カオル かぬか カオル:ダイヤ鉄。超頭脳明晰で、鉄道会社のダイヤをアルバイトで組んでしまうほどの『ダイヤ鉄』。プロ将棋棋士を目指し奨励会所属。王子と呼ばれるほどハンサムな女の子。電子回路やプログラミングが得意。


田島ミエ たじまみえ:総裁の古くからの友人。凄腕の模型テツ。鉄研のみんなと一緒に大洗などを旅行したものの、関西在住で滅多に会えない。なおかつその実像は不明。

小谷奈々 おたりなな


総裁の友人。凄腕のBトレ自動運転の模型鉄。地下アイドルをしているらしい。ウサミン星がどうとか言っていたが詳細不明。

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